ご存知でしたか
約400年前の1601年、慶長6年8月、関ヶ原合戦後、会津120万石から、米沢30万石へ
削封された、上杉景勝の重臣として、執政に当たった直江山城守兼続は、翌年慶長7年2月27日、雅友20余人ともに、亀岡文殊堂を詣で、詩歌の席を設けた。
何故の余裕か、知るべくもないが、現在、その原短冊『亀岡百首』文殊堂奉納百首が、大聖寺(亀岡文殊堂)に残されています。
その原本を再現し、パネルとして展示中です。
『400年を経て、蘇る戦国武将のロマン』『亀岡百首』亀岡文殊堂奉納詩歌百首パネル展として、すべての詩歌を展示しました。
特に、代表的な直江兼続の漢詩『元日』と、天下一の傾奇者 前田慶次の詩歌『船過江』の解釈と詠んだときの思いを解説しています。
ぜひお運びください。
場所は、亀岡文殊堂、お札販売所の隣の会場です。
入場無料、会場時間 午前9時~午後4時までとなっています。
尚、写真のような、案内看板が出ていますのでご覧ください。
今後、展示内容をバージョンアップをしていきますので、お楽しみに
パネル展をごらん頂き、ご意見、ご希望などございましたら、このブログに投稿お願いします。
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◆直江兼続ゆかりの地高畠 /:/:/:
2009.01.10:toda:コメント(0):[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
◆お社神社 /:/:/
高畠町は広く屋代郷として納まっていました。
その原点が、この神社『お社さま』だといわれています。
この神社を中心に、高畠町全体が、昔から生活していて
この地区を、屋代と呼んだといいます。
この近くにあります。
その原点が、この神社『お社さま』だといわれています。
この神社を中心に、高畠町全体が、昔から生活していて
この地区を、屋代と呼んだといいます。
この近くにあります。
2009.01.02:toda:コメント(0):[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
◆置賜地区観光協会専従職員の研修開催 続編
最後は、宮坂考古資料館に立ち寄りました。
前田慶次の鎧兜や、直江兼続が長谷堂の戦いで付けた、
鎧兜が印象的でした。
これで、角観光協会の『天地人』対策は、万全となりました。
前田慶次の鎧兜や、直江兼続が長谷堂の戦いで付けた、
鎧兜が印象的でした。
これで、角観光協会の『天地人』対策は、万全となりました。
2008.12.14:toda:コメント(0):[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
◆敵兵を救え/*/*/*/*
新聞でも紹介された、工藤艦長の行為を記した書籍です。
高畠の古代人が、日向洞窟に12,000年前から住み着いた地区、屋代が
生まれ故郷です。
延年と続く、古代人のDNA、そして屋代郷魂と日本の武士道が
多くの戦争難民を救いました。
高畠の古代人が、日向洞窟に12,000年前から住み着いた地区、屋代が
生まれ故郷です。
延年と続く、古代人のDNA、そして屋代郷魂と日本の武士道が
多くの戦争難民を救いました。
2008.12.10:toda:コメント(0):[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]