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◆亀岡文殊『待定坊』(たいじょうぼう)墓参並びに念仏踊り開催

  • ◆亀岡文殊『待定坊』(たいじょうぼう)墓参並びに念仏踊り開催
7月18日行われました。

『待定坊』(たいじょうぼう)とは、亀岡文殊堂内に『鐘楼堂』『観音堂』を建立された方です。30歳代で発心剃髪して、『待定』と号しました。

出羽三山で修業し生き仏として世に尽くそうとしましたが、仏の導きで亀岡文殊堂に参り、文殊堂の奥の院の籠って衆生を済度したのです。

そしてたまたま、文殊堂に鐘楼堂と観音堂がなかったので、その建立を発願し日夜大勧進につとめ、数年間に渡る努力の結果、享保15年に『鐘楼堂』が 翌年には、観音堂が建立されました。それはそれは大変な努力の結果でありました。


『待定坊』(たいじょうぼう)は、自分の発願がかない、それぞれ建立が終わると
鐘楼の傍の洞窟の中で生きながら入寂しました。

享年47歳、入寂のとき十念を唱えていたそうですが、その声が21日間聞こえたと伝えられています。

人々は、この坊さんの供養のため、念仏講(百人講)を組織し毎年7月17日に念仏踊りをしたそうです。

18日は、『待定坊』(たいじょうぼう)の墓参と念仏踊り奉納を行いました。

当日は雨で大聖寺本堂で行われました。







◆高畠安久津八幡宮のじじばば石の謎 @@@@

  • ◆高畠安久津八幡宮のじじばば石の謎 @@@@
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山形新聞で取り上げられました。

あなたはどう思いますか   ???

これが全体像です。



ババ石の両端に穴が空いています。片方は 1つ貫通しています。



もう片方の端は、2つの穴が貫通しています。





穴のあいているババ石と穴の開いていないジジ石を立てて、真中に巨大な

旗竿を立ておおきな旗をなびかせたと  記事は書いています。

高畠の某芸術員の方に聞いたら、あの2つの大きな石は、巨大なものを運搬

するとき使ったものだと思われる。といっていました。

はたしてどちらが正しいでしょうか  

また別の説も出で来るのでしょうか

皆さん考えてみてください。






◆『二人の政宗物語』YBCで制作中です。  @@@@

  • ◆『二人の政宗物語』YBCで制作中です。  @@@@
高畠を舞台にした、伊達家9代儀山政宗公
 
17代独眼竜政宗公の物語本日収録中です。

7月25日放送予定です。

独眼竜政宗が梵天丸時代に過ごした資福寺跡です。

◆猫の宮近くの紫陽花 8分咲きです。@@@@

  • ◆猫の宮近くの紫陽花 8分咲きです。@@@@
毎年楽しみにしている場所です。

◆白アジサイも咲いてきました。

◆直江兼続考案のお墓  @@@@

  • ◆直江兼続考案のお墓  @@@@
万年堂と言うそうです。鈴沼西入口のT家の墓もそうです。

一度ご覧ください。





◆明治維新の志士 雲井龍雄ゆかりの地 /:/:

  • ◆明治維新の志士 雲井龍雄ゆかりの地 /:/:
高畠の自性院  《雲走る》 の小説で紹介されています。

高畠を監視するため宿にしていたそうです。