7月18日行われました。
『待定坊』(たいじょうぼう)とは、亀岡文殊堂内に『鐘楼堂』『観音堂』を建立された方です。30歳代で発心剃髪して、『待定』と号しました。
出羽三山で修業し生き仏として世に尽くそうとしましたが、仏の導きで亀岡文殊堂に参り、文殊堂の奥の院の籠って衆生を済度したのです。
そしてたまたま、文殊堂に鐘楼堂と観音堂がなかったので、その建立を発願し日夜大勧進につとめ、数年間に渡る努力の結果、享保15年に『鐘楼堂』が 翌年には、観音堂が建立されました。それはそれは大変な努力の結果でありました。
『待定坊』(たいじょうぼう)は、自分の発願がかない、それぞれ建立が終わると
鐘楼の傍の洞窟の中で生きながら入寂しました。
享年47歳、入寂のとき十念を唱えていたそうですが、その声が21日間聞こえたと伝えられています。
人々は、この坊さんの供養のため、念仏講(百人講)を組織し毎年7月17日に念仏踊りをしたそうです。
18日は、『待定坊』(たいじょうぼう)の墓参と念仏踊り奉納を行いました。
当日は雨で大聖寺本堂で行われました。
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◆亀岡文殊『待定坊』(たいじょうぼう)墓参並びに念仏踊り開催
2009.07.19:toda:コメント(0):[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
◆高畠安久津八幡宮のじじばば石の謎 @@@@
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山形新聞で取り上げられました。
あなたはどう思いますか ???
これが全体像です。
ババ石の両端に穴が空いています。片方は 1つ貫通しています。
もう片方の端は、2つの穴が貫通しています。
穴のあいているババ石と穴の開いていないジジ石を立てて、真中に巨大な
旗竿を立ておおきな旗をなびかせたと 記事は書いています。
高畠の某芸術員の方に聞いたら、あの2つの大きな石は、巨大なものを運搬
するとき使ったものだと思われる。といっていました。
はたしてどちらが正しいでしょうか
また別の説も出で来るのでしょうか
皆さん考えてみてください。
あなたはどう思いますか ???
これが全体像です。
ババ石の両端に穴が空いています。片方は 1つ貫通しています。
もう片方の端は、2つの穴が貫通しています。
穴のあいているババ石と穴の開いていないジジ石を立てて、真中に巨大な
旗竿を立ておおきな旗をなびかせたと 記事は書いています。
高畠の某芸術員の方に聞いたら、あの2つの大きな石は、巨大なものを運搬
するとき使ったものだと思われる。といっていました。
はたしてどちらが正しいでしょうか
また別の説も出で来るのでしょうか
皆さん考えてみてください。
2009.07.16:toda:コメント(0):[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]
◆『二人の政宗物語』YBCで制作中です。 @@@@
高畠を舞台にした、伊達家9代儀山政宗公
17代独眼竜政宗公の物語本日収録中です。
7月25日放送予定です。
独眼竜政宗が梵天丸時代に過ごした資福寺跡です。
17代独眼竜政宗公の物語本日収録中です。
7月25日放送予定です。
独眼竜政宗が梵天丸時代に過ごした資福寺跡です。
2009.07.05:toda:コメント(0):[◆高畠の歴史・東北の歴史◆]