第三十一話「生かされていることを思う③」

 炎天下、お墓の補修作業が毎日続く。ある石材店の社長に言わせると「現場なんか見なくても、棹石(一番上に建っている○○家と彫刻してある石)を乗せるだけで、取りあえず二十万円。それが高価で嫌なら、他の石屋にでも行きなさい、仕事なんか幾らでもある」との事。
 また、他の石材店の社長は「今の時期から墓石修復のお願いをされても、しっかりした仕事をしようとすると、年内に出来るかどうか。一応注文はお受けしますが、もしも私の所より、より早い時期に良さそうな仕事をしてくれそうな石屋さんが有れば、そちらで仕事をして頂いても結構ですよ。」と仕事を引き受けながら、アドバイスもすると言う。
 震災から4ヶ月が経ち、少しずつではあるが街がきれいになっていく。道路沿いの倒壊した家々が瓦礫と一緒に片付けられていくと、街の景観がずいぶんと変って見える。大津波で流された後の空間は「え、こんなに海が近かったの!」と言う場所もある。あの日から街はダイナミックに変化し続けている。そうしながら、だんだん街が落ち着いていく。今も大変な生活を強いられている避難者も多く居るが、それでも少しずつ前に向かって行こうとしている。
 震災から数日、まだ震災の全体像が見えていない頃、やっとの思いで連絡が付いた石屋さんに、個人的救援物資を届けながらこんな話をした。
「とんでもない被害の上に、こんなにも多くの人々が亡くなり、行方不明になっている。地域の経済や人心が落ち着くまで何年かかる事か?亡くなった方々の事を考えると、なんか気が引けてお墓の話しは出来ないね。しばらくお墓の仕事は出来ないだろね。お互いに我慢の時だね。」と言う内容だった。しかし、現実にはその様な事にはならず、かなり早い時期からお墓の補修作業が始まりました。被害の少ない現場作業可能な石屋さんは、今はほとんど毎日、目一杯の状況で働いています。
 そう言えば震災直後から数日の間、仙台市内の特に被害の大きかったお寺の駐車場で、ドーンとテントを張り『お墓修理受付』と張り紙をして営業している大手仏壇店が有りました。私自身は「こんな大変な時に、何を考えてあんな事をしているのだろう。」とも思いましたが、個人的心情では疑問な事も、社会的経営方法としては正解だった様です。こうして見ると、多くの人達がお墓を通して『先祖の魂』を大切に思い、そこに自分の心の安らぎを求めようとしているのかもしれません。
『震災後、慌てるように結婚するカップルが増えている』と言うニュースを聞いた事があると思います。あの状況がまた来たとき、一人で怖い思いをするよりは二人で居たいと思う若者が多く在ったのでしょう。昔から聞き飽きるほど耳にした言葉ですが『人は一人では生きる事が出来ない』のです。それはある面では『生きたい』と言う心の現われだと思うのです。
 しかしその反対に、今も避難所で生活している石材店の職人さんが、こんな事を言うのです。
「あの日俺も、お袋や家と一緒に津波で流されてしまえばよかったと思う。」と。「何を馬鹿な事を。」と私が言うと、彼は避難所での現実の生活を話してくれました。管理しきれない避難者の我が儘、避難所を運営する側の優柔不断から、放置されるしかない人々の身勝手な行動。語りだせばきりが無いくらいのストレスが、彼の心を蝕んでいる様なのです。
 また他の知人からは、こんな話も聴きました。山形のある温泉旅館に、地域ごと集団で非難している人達。避難先に到着した当初は、震災の緊張感からか、しずかに生活されていたようですが、避難生活が二週間も過ぎた頃から、朝から酒を飲んでの大騒ぎが始まり、挙句の果ては、旅館から毎日提供される食事に対し「あんたら、よくもこんな不味い物、食っているな。」の一言。大震災は人々から今までの生活を奪い去ったばかりでなく、人格や人間性までも破壊してしまった様です。
 こうした状況を思うと、私たちが考えなくてはならない大切な事は、『今、生かされている。』と言う事ではないのでしょうか。立場の差はあれ、その事を意識できれば、おのずと生活は変わって来るはずです。
 もう直ぐお盆になります。春の彼岸は震災直後でゆっくりお墓に行く事も出来なかったと思いますが、お盆はぜひ『お墓参り』に行ってあげて下さい。ご先祖と対面される事で、心の平安が訪れると思います。まだ整備されていない墓地も多く有りますので、足元にはくれぐれもお気お付け下さい。
2011.07.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]