第三十二話「感謝のこころを考える①」

 朝、白い霞の中から引き戻されるように意識が自分の物になると「きょうも目覚める事が出来た。」と感謝します。若い頃はそんな風に思ったことも有りませんでしたが、東日本大震災からは『毎日普通に生活できる事、家族皆元気である事』などと同時に、『朝、目がさめる事』が感謝の対象になったように思います。
 私は若い頃から早起きのほうでしたが、数年前からは、ほとんど毎朝四時頃には布団を抜け出す様にしています。目覚めと同時に起き上がり、寝床から自分自身の体を開放する。いつまでも床の中でぐずぐずしない事が、早起きのコツのようです。
「そんなに早く起きて何をするの?」と思われるかもしれませんが、朝からやるべき事は色々と有る物です。特に震災後は、新しく建てるお墓の作業の時より早い時間から、復旧作業現場に向かいます。補修作業は幾つかの被災現場を廻るので、夕方暗くなるまで作業を続ける事も結構あります。なので、朝はまず、テレビのスイッチをオンにしてニュースを見る。同時にパソコンも立ち上げて、メールのチェックもします。
 また、中国やインドの工場に送る、墓石図面の作図などの事務所仕事がある時は、三時前に起きだして、自宅の玄関側に建っている事務所で『墓石製作CAD』を利用して作図する事もあります。(これが結構、頻繁にあるのです)
 結果的には、この時間帯に仕事をする事で、効率的な仕事が出来ているのかもしれません。この早朝の時間帯を『ゴールデン・タイム』とか『プラチナ・タイム』と呼んで、一日の中で最も重要な時間帯で有るという人も居るぐらいなのです。
 そんな毎日が続いて、あの日から五カ月が過ぎました。仙台市内や石巻の中心部など、都市部の主だった霊園・寺院墓地の墓石は徐々に復旧されて来ています。しかし、牡鹿半島や三陸沿岸のように、被災された人達が居住していた場所から他の場所に避難して、極端に人口が少なくなっている地域の墓地は、未だに手も付けられていません。
 そう言った『震災直後から数週間、ボランティアも殆ど来なかった』地域も、お盆には出来るだけ多くの人達が「お墓参りが出来ればいいな」と思い、まずは墓石本体と、それに付属する石碑(墓誌・供養塔)の復元作業をすることにしました。(実は、震災から三ヶ月過ぎたころに、この地域にボランティアに入った友人からの依頼があったのです。)
 本当ならば、お墓全体を修理すればいいのですが、そうした作業では時間がかかり、お盆までに多くのお墓の補修作業をする事が出来なくなります。ですから、外柵などの補修は時間的余裕が出来てからと言う事で、後で作業させて頂く事にしてもらいました。
 それでも、きちんとした仕事をしようとすれば、一日に作業が出来るのは三基ぐらいまでです。ラフター・クレーンなどの重機を同行させて作業すれば、五基以上の修理が出来る事も有りますが、何箇所かの現場を移動しての作業の場合は、移動時間を考えると数をこなすのは無理なのです。
 そんな仕事が続いているある日、墓地で作業をしていると「私たちも今は避難所暮らしで、決して楽な生活ではないけれど、まずはご先祖様に安心して貰わなくちゃね。暑い中、本当にありがとうね。」とおばあさんから笑顔で声をかけられました。そう言って貰うと本当にありがたく思うと共に「少しは人のために為っている。」「良い仕事をさせて頂いている。」と、感謝の気持ちで一杯になるのです。
 お盆も近くなったからでしょうか、補修工事をさせて頂いたお客様から、手紙や電話でお礼の言葉いただきます。
「ありがとうございました。これで安心して、お墓参りが出来ます。」
「おかげさまで、後日の余震でも傾いたり、動いたりしませんでした。」
 これが、日に焼けて真っ黒になりながら炎天下で作業した、今年の私の夏の出来事です。
2011.08.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]