第六話「『生きる』を考える時代」

 新緑の季節になりました。今年の仙台は桜の季節が、思った以上に早く過ぎ去ったので、青森まで桜を追かけて行きました。
 私はこの年齢になって、弘前城の桜を初めて観ましたが、京都の円山公園とも、三春の滝桜とも違う、桜花の力を感じました。「毎年、桜とともにやってくる春を楽しみに、日本人は生きているのかな。」などと解った様な事を想いながら『お城の桜』を見ていると、その桜の下を歩く人達も、何とはなしに、楽しそうに見えてきます。
「しかし、こんなに多くの人たちが、さて何所から来るものやら。」と、人々の流れを観察していると、結構お年寄りの方が多いことに気がつきました。まあ、私自身も五十を超えた人間ですから、他人のことは申し上げられませんが、それにしても皆さんお元気です。
 ところで突然ですが、なぜ定年退職年齢は六十歳なのでしょうか? 以前、誰かから聞いた話では、かつて(たぶん明治時代の頃)日本人の平均余命は五十から六十歳ぐらいで、それ以上の年齢の人は僅かしか居なかったから、と言う事らしいのです。(本当かな?)
 現在の日本では、平均寿命は八十歳を超えています。昨年、私の妻の父親は八十二歳で亡くなりました。その母親は百二歳で、義父の死の数ヵ月後に亡くなりました。寿命が長くなりすぎて、生まれた順に死を迎えることさえも無くなってきました。
 私はただの石屋ですので、『年金がどうの』とか、『政治がどうの』などと語ることは出来ませんが、一人の人間として、この長すぎるぐらい延びた人生を、如何に有意義に生きて行けば良いのか、途中で息切れしない生き方を、考えなければなりません。
 この連載では『死』に関する準備を主に伝えたいと考えていましたが、『死』を語るならば、同じ様に『生』も考えなくてはならないのですよね。
今、私はあるボランティア団体で、中学生・高校生に、『自分の職業』の話をする活動をさせて頂いています。いろいろな職種の大人たちの話を聞きながら、若い人たちにこれからの生き方を考えてもらうという企画で、今年の春休みは、県南部の高校の教室で八人から十人の生徒さんと話す機会が、二日間で五回ほどありました。夏休みも、冬休みもお話をさせて頂く予定が入っています。
 初めての時は、「わけわかんないオヤジが、何を話すの!」みたいな態度をとる子が多いのかな?と、考えていましたが、どの子も真剣に話を聞いてくれます。後日、お話をした生徒の皆さん一人一人の感想が、私の所に送られてきます。私は、同じ様な話をしたつもりですが、みんな感じ方が違う様で、それぞれの感想・感謝の言葉が綴られています。私の話が、彼らの心の栄養に成ったのなら、これから長い人生を生きていく上での参考に成ったのなら、私にとってもありがたい事だと思います。
 しかし、大人が若者に対してこうした活動をしなければいけないというのは、生きるだけで精一杯だった時代とは違い、私たちの生活に余裕が出来たからなのでしょうか。人間が一人一人、大切にされるようになったからなのでしょうか。それとも、若い人たちの、生きていこうとする力が弱くなったせいなのでしょうか。
 とにかく、若い人たちには、しっかり生きて行ってほしいと、私は思います。まさにこれからは、少子高齢化の時代です。現在三十五歳の人口は約二百五万人だそうです。同じく十五歳の子供達は約百十万人だそうです。このままで行くと、日本で中心になって働く人たちが、二十年後には半分になることになります。ある程度の年齢になっても、我々が働き続ける必要があるのと同時に、生活の基盤も整備しなくてはなりません。安心して働き生活するためにも、『保険』などの見直しも必要なのかもしれません。
 充分にお金を持っている人には『保険』は必要無いのかもしれませんが、何かを自分の家族に残したいとか、また、自分の死後、家族には迷惑を掛けたくないという思いがある人にこそ、『保険』は必要です。
 『遺言』『遺産』『お墓』何をどのように残すにしても、お金が必要になります。次回はこのような話を、聞きかじりではありますが、少し、してみたいと思います。
2009.05.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]