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怨霊菅原道真と大朝日岳の竜(まとめ)

  • 怨霊菅原道真と大朝日岳の竜(まとめ)
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山形県大江町黒森の雷神社(現在は廃神社)には火炎をまとった龍が清涼殿を襲う絵馬が飾られていた。中央には何も知らずに宴に興じる藤原家が。左には菅原道真公らしき公家がニコニコしながら天拝山 の上に浮かんでいるように見えた。道真公は大朝日岳の龍を使って清涼殿に雷を落とし、藤原家を襲った のではないか...

ついに怨霊道真公の無念を晴らす祭祀線の全貌が明らかになりました。関わる祭祀線をまとめました。ぜひご覧ください!

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市ノ瀬日吉神社、平安京大極殿、大朝日岳、中ノ島公園、天拝山、天拝神社、氷室神社、崇道神社、一条戻橋、大沼浮島弁天島、奥州市、遠野市、早池峰山、荒穂神社、清涼殿、祝瓶山、榎社、竈門神社上宮、筑前国分寺、国分天満宮 他

関係頁
「道真公の無念を晴らす朝日嶽修験 祝瓶山」
「藤原家を襲った菅原道真」
「平安京の鬼門」
「朝日嶽信仰 大谷金輪寺・大圓寺・平圓寺はどこ?」
「平将門の乱」
「大谷天満宮はどこにあった!」
「平安京大極殿と大朝日岳」

2025.06.05:sikumi:[菅原道真公と朝日岳信仰]

道真公の無念を晴らす朝日嶽修験 祝瓶山(いわいがめやま)

  • 道真公の無念を晴らす朝日嶽修験 祝瓶山(いわいがめやま)
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長井市には「祝瓶山」から大朝日岳を遥拝するもう一つの朝日嶽修験(朝日岳信仰)があった。怨霊菅原道真公が藤原家を襲った祭祀線では、この祝瓶山が大切な役割を果たしている。長井市のWEBサイトを眺めていると、坂上田村麻呂が創建した総宮神社、行基が開基した遍照寺が隣り合わせで位置しているのが目についた。調べたい気持ちがムクムク湧いてきた。

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※写真はサイト「やまがた山」さんより拝借

関係頁
藤原家を襲った菅原道真
「平安京の鬼門」
「朝日嶽信仰 大谷金輪寺・大圓寺・平圓寺はどこ?」
「平将門の乱」
「大谷天満宮はどこにあった!」
「平安京大極殿と大朝日岳」
「伊勢・志摩の神々の祀られ方」


祝瓶山、五所神社、總宮神社、中村観音堂、大沼の浮島(弁天島)、川口村若松観音、山元毘沙門神社、松沢牛頭天王、三淵神社、九野本観音堂、岩倉神社、大谷金輪寺、遍照寺、杉山不動の滝、川口寺跡地、大朝日岳、座主神社、称名寺、菖蒲薬師堂、太松院、延壽寺、出塩文殊堂、富神明神社、下生井馬頭観音堂、龍雲院、広野観音堂、浅立諏訪神社、栗木沢二渡神社、富沢天満神社、木の沢羽黒神社、天拝山荒穂神社

2025.05.22:sikumi:[菅原道真公と朝日岳信仰]

3.大谷の祭祀族菅原家を護っていた菱形祭祀線

  • 3.大谷の祭祀族菅原家を護っていた菱形祭祀線
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山形県朝日町の大谷地区は、菅原道真の左遷時に側室一統が移り住んだと伝わっている。地区内には四つの天満宮があった。前回の大谷天満宮を調べている時に、峯壇天満宮の位置のずれが気になった。もう少し北東ならきれいな菱形になったはず。だいぶ前だが、大谷の天満宮を訪ねる見学会に参加した時に峯壇天満宮の別当の方から「以前は他の場所にあったらしい」と聞いたことを思い出した。それなら調べてみる価値はある。

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↓こちらを先にご覧ください
1.大谷天満宮はどこにあった!
2.朝日嶽修験 金輪寺・大圓寺・平圓寺はどこ?

峯壇天満宮(朝日町)、大谷天満宮(朝日町)、白山神社(朝日町)、愛宕神社跡(朝日町)、金輪寺跡、大圓寺跡、平圓寺跡、薬師堂、北野天満宮、高木天満宮、日月神社、加茂神社、福寿院、昌城院、稲荷大明神社、三瀧山観音堂、以上すべて山形県朝日町大谷。厳島神社(大江町)ほか。

2023.10.09:sikumi:[菅原道真公と朝日岳信仰]

2.朝日嶽信仰 大谷金輪寺・大圓寺・平圓寺はどこ?

  • 2.朝日嶽信仰 大谷金輪寺・大圓寺・平圓寺はどこ?
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山形県朝日町の歴史が実に面白い。東北最大の隠された出雲族の聖地かもしれない「大朝日岳」と、その麓に役の小角が開き朝日嶽修験の拠点だった「大沼浮島」がある。 『朝日町史』によると、800年頃~1500年頃まで「大谷」に朝日三十三坊と呼ばれる宗教集落があって、金輪寺・大圓寺・平圓寺の三つの坊が朝日岳での修行の先達をしていたとある。町史の著者は、これらの坊があった「大谷」が、朝日町の大谷と考えるのは多少の問題ありと書いているが、私は自信を持って朝日町の大谷だと思っている。理由は、上流に朝日岳修験の拠点「大沼」があり、祭祀族の菅原道真の側室一党が太宰府左遷時に移り住んだ地であること。徳川時代は天領だった。大朝日岳が見える位置であること。さらに大谷は祭祀線が蜘蛛の巣状態。そこでこの三社がどこにあったかをその祭祀線で割り出してみることにした…

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金輪寺・大圓寺・平圓寺・白山神社(大谷)・大谷天満宮・日月神社(大谷)・薬師堂(大谷)・若宮八幡宮(大谷)・北野天満宮(大谷)・大沼浮島・豊龍神社・平塩熊野神社・朝日大龍神社・春日神社・大朝日岳・秋葉神社(大谷)・平安京大極殿・明王院不動寺・常徳寺・二渡観音(大谷)・二渡神社・庭渡大明神・熊野神社(八ツ沼)・昭和新田遺跡・永林寺・長傳寺・大沼神社(沼山)・稲荷神社(大谷)ほか

参考/平安京大極殿と大朝日岳

2023.10.05:sikumi:[菅原道真公と朝日岳信仰]

1.大谷の天満宮はどこにあった!

  • 1.大谷の天満宮はどこにあった!
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山形県朝日町には、白鳳8年に役行者が参籠修行し開山したという「大朝日岳」と、その麓には朝日嶽修験の拠点だった「大沼(大沼の浮島)」があります。そして、そのすぐ下流の集落「大谷」には、菅原道真の側室一党が道真左遷の折に移り住んできた集落があります。そこには菅原家(現白田家)が建立し幕末に火事で消失した「大谷天満宮」がありました。祭祀一族だった菅原家が小さな大谷集落に移り住んできた理由は、大朝日岳と大沼の神気を都に差配する役割だったのかもしれません。それを探るには、まずはわからなくなってしまった大谷天満宮本殿の位置を探し出さなければなりません。何度も足を運んでの現地調査と祭祀線探査により、ついに見つけ出すことができました!

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大谷天満宮、東根若宮八幡神社、大谷日月神社、大谷白山神社、柳川熊野神社、長沼大沼神社、東根諏訪神社、長瀞日枝神社、大朝日岳、大沼浮島、大谷峯壇天満宮、平塩ご塞神、立石寺奥の院、左沢八幡神社、慈恩寺宝蔵院、羽黒山五重塔、将門塚 ほか

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藤原家を襲った菅原道眞

2023.09.27:sikumi:[菅原道真公と朝日岳信仰]

藤原家を襲った菅原道眞公

  • 藤原家を襲った菅原道眞公

この記事はこちらに更新しました (2025.6月)

朝日町大谷には、菅原道真公が太宰府に左遷の折に側室一党20世帯ほどが移り住んだと伝わる。前項でも紹介したが、平安京は日枝神社(滋賀)のルーツ神を祀る日吉神社(福岡那珂川町)と、古代出雲族の大聖地だったであろう大朝日岳や大沼浮島(山形県朝日町)に守られていた。この平安京を護るしくみを菅原道真が作ったのだと推測する。ただ、祭祀線はプラスにもマイナスにも転じられる。出雲族菅原一族は道眞死去後に、この京都を護る祭祀線で朝日岳の龍神を動かし平安京清涼殿に雷を落として無念を晴らしたのではないだろうか。


日吉神社(福岡県那珂川町)、平安京大極殿、大朝日岳、中ノ島公園、天拝山、天拝山 荒穂神社、清涼殿、祝瓶山


※2025年6月に再調査更新

2017.04.19:sikumi:[菅原道真公と朝日岳信仰]
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