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神社を曳く写真
川西町犬川の龍蔵神社拝殿で見つけた写真である。 昨日の龍蔵神社の幕末と明治の獅子頭の写真資料を探している時に出てきたものである。 「田護神社本殿曳き(犬川村龍蔵神社より)大正15年 下奥田氏子中にて 」と表題にある。 茅葺屋根の雪は少ないので季節は今頃の様な気がする。厳冬期の寒さや積雪に耐え、春らしく なって人々の心に希望がみなぎってくる春だろう。 相当な重量であろう神社本殿を橇(ソリ)に乗せ、村人あげての共同作業である。先頭に丸太 らしき物を二人程で運んでいる。丸太はこの太さからすると相当な重さなのだが・・何をして いるのだろうか? 犬川から下奥田の田護神社までの直線距離はグーグルアースで測ってみると4.56kmだが、無舗 装で冬の雪道の農道を神社を人で力曳いて行くならば1日以上はかかるのではないか? 違う疑問も浮かんでくる。 そもそも一体どうして神社本殿を移動しているのか? 龍蔵神社の本殿を建て直しするので、古くなった田護神社に譲渡したと考えるのが一般的だろう。2022.03.18 -
ブログ新居へ移りました
この度、獅子宿燻亭6がいっぱいになり新居へ引っ越しになります。 新たに「 獅子宿燻亭7 」 http://samidare.jp/shishi7/ を開設致しましたので、そちらを検索お願い致します。2018.01.24 -
白鷹十王皇大神社の獅子頭塗り替え
早いもので一月も後半である。これから寒波到来で荒れ模様の予報。 本日は白鷹町十王の皇大神社獅子頭の塗り替えの完成引き渡しを公民館で行う。 その際、雌獅子の拝見をお願いしているので楽しみである。 資料写真にちょっと鼻先だけ見えていた獅子頭で気になっていた。 塗り替えの獅子頭は二代目の宇津権九郎型の獅子頭で昭和57年、飯豊町小屋の渡部 亨氏作 の獅子頭である。 35年経っての塗り替えであるが、歯打ちが少ないので破損がほとんど無い。 タテガミも白馬毛の植替えを行っている。 気になるのは雌獅子 塗り替え獅子の引き渡しを早々済まして、雌獅子へ視線を注ぐ。 作風を読むのだが・・独特な様式だ。 風貌に萩野の獅子頭がチラチラ見え隠れするが、記名は見つからなかった。 赤外線カメラが不調で機能しない。 巻き毛眉毛の繋がり様が、米沢六郷西藤泉の大雷神社で見た獅子頭と重なるが・・。 解明には少し印象を熟成させないと閃いて来ないようだ。2018.01.22 -
作者不明の気になる獅子たち
置賜の南から北へ同作者と睨んでいる、いくつかの獅子頭がある。 南は米沢の李山から同所、徳町疱瘡神社と上小菅一之宮神社、北上して川西下奥田の田護神社、白鷹浅 立諏訪神社、白鷹は鮎貝黒沢家、萩野の獅子頭と繋がってくる。 米沢李山諏訪神社 米沢徳町疱瘡神社 米沢上小菅一之宮神社 川西町下奥田田護神社 白鷹浅立諏訪神社 白鷹鮎貝黒沢家に伝わる獅子頭 白鷹萩野大日堂の獅子頭 ただし浅立の獅子頭は備前型様式で同じだが作風が少し違っているので参考にである。 また浅立諏訪神社と類似しているものは、近くの広野と小山沢の獅子頭のグループに分けられる。 李山諏訪神社と川西下奥田の田護神社、浅立諏訪神社の獅子頭は備前型で、以前何回も取り上げ ているが、何故備前型の獅子のデザインなのかは現在も分からない。古来よりの備前との養蚕交易が 関係しているかも知れないのだが・・。 萩野と鮎貝黒沢家の獅子頭を見比べると目や鼻、特に歯の作風に共通性が見られるのに気付く。 萩野の獅子について類似している獅子頭は、米沢の徳町疱瘡(ほうそう)神社や、広幡の一之宮神社 に見られるので、まだ他に発見されるかも知れない。いずれも記銘が見つからず残念である。 いつもながら感じる事だが、なんと置賜の獅子頭は多様性に富み、古来より各地で素晴らしい獅子頭 が受け継がれてきたのか・・・このまま分からぬままでは済まされない貴重な文化財であると痛感す るのだ。2018.01.12 -
飯豊町大平山ノ神神社の獅子頭の作者
飯豊長井県道10号線から西、町役場の北西奥に地区に山ノ神神社があった。現在は諏訪神社境内に 移転している。 2012年そちらの獅子頭修理の依頼があった。 その頃は獅子舞いも行なわれていた様だが、その後獅子舞いは廃止されてしまった様である。 獅子幕の麻の前幕も新調 先日、飯豊町役場の教育委員会の方からの依頼で飯豊町の獅子頭の調査を行う事になり、以前 手掛けた獅子頭データを調べている。 公のお墨付きを頂戴しての調査なので、スコブルやり易いのでありがたい。 パソコンに集めた資料を放り込んで整理してない。 飯豊の獅子についての資料確認を行なっていると大平山ノ神神社の獅子頭の事を思い出した。 大平の獅子頭は後頭部上部の所に5~6cm程のヒビが入ったので、そこを修理するのだが 難しい問題があった。 獅子幕を取り付ける穴が、今まで見た事の無い穴だった。 普通の幕穴は表から裏に貫通しているが、そうではなく表から45°に穴を開け貫通させず途中で 留めて2・3cm間隔を置いて反対側から穴を開け紐を通し、その紐に幕を縫い付けるという方法だっ た。その二つの穴の真ん中にヒビが入っていた。 幕の紐を獅子頭に縫うような感覚であるが何故、こんな手の混んだ方法を選んだかは謎である。 改めて全部の紐を付け直すのは大変なので、その紐を切らずに修理して欲しいという難しくも 楽しい修理だった。 昨年末、下椿の座主神社で見た「椿村 伊藤彦右衛門の作」の獅子頭と同じなので確認してみると 大平の獅子頭の内部にも同じ刻銘が残されていた。明治11年なので座主神社の獅子頭より早い年代 である。 今後改めて大平の獅子頭について調査することになるだろう。 現在、資料で調査した飯豊町の各神社23ヶ所だけでも75頭の獅子頭を確認している。 個人宅に伝わる獅子頭は調査対象外だが、情報があれば調べない訳にはいかないだろう・・・ 今まで誰も開けなかった、飯豊の獅子の歴史の扉を開いてみようではないか。 三日月型の顎紐も彦右衛門流2018.01.09 - ...続きを見る