川西町犬川の龍蔵神社拝殿で見つけた写真である。
昨日の龍蔵神社の幕末と明治の獅子頭の写真資料を探している時に出てきたものである。
「田護神社本殿曳き(犬川村龍蔵神社より)大正15年 下奥田氏子中にて 」と表題にある。
茅葺屋根の雪は少ないので季節は今頃の様な気がする。厳冬期の寒さや積雪に耐え、春らしく
なって人々の心に希望がみなぎってくる春だろう。
相当な重量であろう神社本殿を橇(ソリ)に乗せ、村人あげての共同作業である。先頭に丸太
らしき物を二人程で運んでいる。丸太はこの太さからすると相当な重さなのだが・・何をして
いるのだろうか?
犬川から下奥田の田護神社までの直線距離はグーグルアースで測ってみると4.56kmだが、無舗
装で冬の雪道の農道を神社を人で力曳いて行くならば1日以上はかかるのではないか?
違う疑問も浮かんでくる。
そもそも一体どうして神社本殿を移動しているのか?
龍蔵神社の本殿を建て直しするので、古くなった田護神社に譲渡したと考えるのが一般的だろう。
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