置賜の南から北へ同作者と睨んでいる、いくつかの獅子頭がある。
南は米沢の李山から同所、徳町疱瘡神社と上小菅一之宮神社、北上して川西下奥田の田護神社、白鷹浅
立諏訪神社、白鷹は鮎貝黒沢家、萩野の獅子頭と繋がってくる。
米沢李山諏訪神社
米沢徳町疱瘡神社
米沢上小菅一之宮神社
川西町下奥田田護神社
白鷹浅立諏訪神社
白鷹鮎貝黒沢家に伝わる獅子頭
白鷹萩野大日堂の獅子頭
ただし浅立の獅子頭は備前型様式で同じだが作風が少し違っているので参考にである。
また浅立諏訪神社と類似しているものは、近くの広野と小山沢の獅子頭のグループに分けられる。
李山諏訪神社と川西下奥田の田護神社、浅立諏訪神社の獅子頭は備前型で、以前何回も取り上げ
ているが、何故備前型の獅子のデザインなのかは現在も分からない。古来よりの備前との養蚕交易が
関係しているかも知れないのだが・・。
萩野と鮎貝黒沢家の獅子頭を見比べると目や鼻、特に歯の作風に共通性が見られるのに気付く。
萩野の獅子について類似している獅子頭は、米沢の徳町疱瘡(ほうそう)神社や、広幡の一之宮神社
に見られるので、まだ他に発見されるかも知れない。いずれも記銘が見つからず残念である。
いつもながら感じる事だが、なんと置賜の獅子頭は多様性に富み、古来より各地で素晴らしい獅子頭
が受け継がれてきたのか・・・このまま分からぬままでは済まされない貴重な文化財であると痛感す
るのだ。
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