飯豊長井県道10号線から西、町役場の北西奥に地区に山ノ神神社があった。現在は諏訪神社境内に
移転している。
2012年そちらの獅子頭修理の依頼があった。
その頃は獅子舞いも行なわれていた様だが、その後獅子舞いは廃止されてしまった様である。
獅子幕の麻の前幕も新調
先日、飯豊町役場の教育委員会の方からの依頼で飯豊町の獅子頭の調査を行う事になり、以前
手掛けた獅子頭データを調べている。
公のお墨付きを頂戴しての調査なので、スコブルやり易いのでありがたい。
パソコンに集めた資料を放り込んで整理してない。
飯豊の獅子についての資料確認を行なっていると大平山ノ神神社の獅子頭の事を思い出した。
大平の獅子頭は後頭部上部の所に5~6cm程のヒビが入ったので、そこを修理するのだが
難しい問題があった。
獅子幕を取り付ける穴が、今まで見た事の無い穴だった。
普通の幕穴は表から裏に貫通しているが、そうではなく表から45°に穴を開け貫通させず途中で
留めて2・3cm間隔を置いて反対側から穴を開け紐を通し、その紐に幕を縫い付けるという方法だっ
た。その二つの穴の真ん中にヒビが入っていた。
幕の紐を獅子頭に縫うような感覚であるが何故、こんな手の混んだ方法を選んだかは謎である。
改めて全部の紐を付け直すのは大変なので、その紐を切らずに修理して欲しいという難しくも
楽しい修理だった。
昨年末、下椿の座主神社で見た「椿村 伊藤彦右衛門の作」の獅子頭と同じなので確認してみると
大平の獅子頭の内部にも同じ刻銘が残されていた。明治11年なので座主神社の獅子頭より早い年代
である。
今後改めて大平の獅子頭について調査することになるだろう。
現在、資料で調査した飯豊町の各神社23ヶ所だけでも75頭の獅子頭を確認している。
個人宅に伝わる獅子頭は調査対象外だが、情報があれば調べない訳にはいかないだろう・・・
今まで誰も開けなかった、飯豊の獅子の歴史の扉を開いてみようではないか。
三日月型の顎紐も彦右衛門流
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