12月30日高畠町金原の熊ノ前地区の熊野神社に訪れた。
こちらもクリスマス寒波で、すっかり雪深くなっている。
公民館の前の鳥居から川になっていて鉄製の橋を渡り杉林の奥に熊野神社がある。
大晦日から正月の参拝の為の準備の際に拝見出来る事になっている。
ところが、軽油使用の除雪機にガソリンを入れてしまうトラブルで大騒ぎしてしまい遅くなって
しまった。圧雪の道を急いで向かうと参道で、幸いにもお願いした方とバッタリお会い出来た。
神社には手の混んだ透かし彫りの彫刻が施されていた。
二井宿出身の戸田半七という名工がいたというので、調べているがこちらの拝殿にあった棟札では
その名前は発見出来なかった。
小振りの獅子頭は米沢の六郷桐原八幡神社で見た獅子頭と酷似している。近くの玉龍院の獅子頭も頭
に浮ぶ。帰ってから自宅で桐原八幡と玉龍院の獅子の写真を比較してみると作風も細部の特徴もピッ
タリ合致した。・・とすると芋づる式に似ている獅子頭が現れてくるのだ。
玉龍院の獅子頭に彌次右衛門の伜(せがれ)弥市の作という記銘が残っていた。川西町の玉光寺では
同時期の作風が似ている彌六という彫り師の記銘が残っている獅子もあり、二代に渡って獅子彫りを
行なっていた可能性も判明してきた。
現在、熊ノ前のお祭りは毎年8月14日に行い、子供達が獅子頭で20数軒の氏子を厄払いをして回
る。
私が獅子拝見で訪れるというので関係者内で話になったとき、他に二軒の家で獅子頭があるという
ので、直ぐ近くのお宅を一軒案内して戴いき獅子頭を拝見した。
伊佐沢の獅子宿の近くからお嫁にこられたというお婆ちゃんも獅子頭の由来は不詳だったが、軸に
歯で噛んで獅子を被った痕があり、飾り獅子でなく用いられていたのが解った。
彌次右衛門の作風とは異なるが、複数民家で獅子頭が存在しているのは何か理由がある筈である。
文政年間に熊野神社を地元の棟梁が再建しているので、その頃だろうか?
熊野神社関連の古文書が多数存在していたが、高畠町に保存依頼したという・・・。
もう一頭は、お昼近くになったので年明けに再調査をする事にした。
獅子頭について詳しい事は解らず終いだったが、知らずに埋もれて行く歴史の一片が
僅かながら見えた様な気がする。
間も無く新たな歳が明ける・・・。
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