天童の貫津神楽

  • 天童の貫津神楽
冬の抜ける様な青空に映える瀟洒な洋館、旧東村山郡役所資料館に訪れた。

長井にも、旧西置賜郡役所があり同じ様な明治の近代西洋建築様式で建築されたモダンな洋館

小桜館がある。






餌鷹町神楽を源流とする貫津神楽は廃れてしまい、獅子頭や幕、神楽面、曲芸の道具類

一切合切が、昨年太夫の遺族から寄贈され、こちらの資料室に眠っていた。







貫津神楽の情報は天童市史にあり、まだ現役の神楽を舞う写真が多数あったのだが既に太夫は亡くな

って解散し太夫の奥さんは米沢に移り、道具類がこちらに寄贈された訳である。




天童に来る前、先日訪れた山形市の三日町の元餌高神楽の太夫宅にお借りしていた写真や資料を

お返しに行って貫津神楽の話を尋ねた。やはり貫津神楽の太夫も餌鷹神楽で修行し習って技術的にも

人格的にも優れたと認められた者だけに神楽を行なう事が許されたとある。













旧東村山郡役所資料館では細矢館長に案内や解説を丁寧に対応して戴いた。

幕付きの神楽獅子、おかめ、ひょっとこ2、鍾馗面、曲芸の一通りの道具類があった。太鼓や

三味線、長持ち台は無かったようだ。



























                    赤外線写真 記銘不詳



天童市史の貫津神楽の資料写真や資料館に道具と一緒に保存されていた神楽の写真を見ると

違った獅子頭を用いている事に気付く。 餌鷹神楽や貫津神楽、大石田や谷地とか様々な

神楽集団が、その都度、メンバーを補い合いながら神楽を行なっていたのだろう。

貫津神楽は北村山や最上、時には庄内までお呼びが掛かり一年を通して暇無く巡業していたという。



寄贈された貫津神楽の資料の中に山形新聞の記事があって実にうまく紹介されていた。




















2017.12.22:shishi6:[コンテンツ]

この記事へのコメントはこちら

以下のフォームよりコメントを投稿下さい。
※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。
今日 116件
昨日 75件
合計 402,195件