天気が回復したので、お昼前に川西町小松の「叶壇」探しに行ってみた。
飯沢敬一郎氏の著作資料を元に、グーグルアースで上から下見をした場所にたどり着いたが
雪が積もってしまい一段高い所など見当もつかない。
諦めの早い性格なので、戻ろうとすると雪掻中の、ご年配の男性を見つけた。
叶壇について尋ねると「ちょっとまって・・丁度いい方がいる」と戻ってきた道を案内された。
数間先の家の前で「いま出てくっからよ、詳しいセンセいだがら」と、何が始まのか・・。
「詳しい方がお寺の札売って回ってだなだ」
玄関から風呂敷を持った2人の年配の方が出てきて事情を話す。案内してくれた方と
アレコレ話していると「ハーー判った」と、その場所を説明してくれた。
お札売りの方は、50年も小松豊年獅子踊りの経験者でもあり指導者だった。
見える所まで近づいて「あそご あそご」と指差しながらドンドン進んで行く。
さっき路上に置いてきた車が気になるが「大丈夫 大丈夫」と雪掻きのスコップを掲げながら、更に
踏切を越える。
また、ご近所の知り合いの方が雪掻き中で、その方に声を掛けた。
「あっちだごで」と向いの家の奥を指差しながら、今度はその方も合流してスコップを持ったまま案
内してくれた。
あぁなんて親切な方々だろう! と感動しながら案内の方々が雪道を踏み固めてくれる。
これも地元の人でも忘れかけている「叶壇」なんて探しにきた獅子彫り師が珍しかったのだろう。
石祀(石の小規模の神社やお堂)と石碑が並んでいた。
資料には一段盛り上がった所とあり、イメージとは違ったいた。
お向かえの案内の方は小さい頃、氏子でお祭りをしたり、ここの側の川で泳いだりしたそうだ。
左から有志一同と記銘のある石祀、象頭山(ぞうずさん)の石碑、湯殿山の石碑、青面金剛、石祀
庚申塔が一列に並んでいた。
象頭山(香川の金比羅大権現の異称)には若連とあり、湯殿山の石碑には幕末の萬延元年
(1860)、南方(旧地区名)村中安全等という記銘が刻まれていた。
小松豊年獅子踊りが、いの一番に踊り初めする神聖な場所についに辿り着いた訳である。
しかし、お向えの方から昔聞いた話では、元は違う場所にあり移転してきたという。
昔の飴屋の近くだったとか・・また気になる話が頭を持ち上げてきた。
叶壇について飯野敬太郎氏の著作には、今日確認してきた場所の「石塔の附近に一段高く作られ
ている」とある。雪の為に肝心な叶壇は気がつかなかったのである・・詰めが甘い。
場所は突き止めたので願いは一応叶った。来春、雪解けの頃に再び訪れてみよう。
いつもながら獅子拝見の旅で感じるのだが、住民の方々の親切さに驚かされる。
獅子が引き合わせてくれる不思議な縁なのだろう。
追記
叶壇について、お馴染み小松の詳しいオジサンに聞いてみた。
流石に、ちゃんと調べていた。
古い地図に記載されていて石祀の前は旧長井街道で松並木が続く宿場街道
だったのだそうだ。確かに石祀の後ろに太い木の根っこが残っていた。
叶壇は経壇とも呼ばれ、金属製円筒に仏教の経を入れ石棺に納めて埋められているそうだ。 小松周辺でも発掘されているようだ。
獅子踊りとの関わり等は、もっと掘り下げてみたいものである。
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