縁あって飯豊町の伊藤嘉六家は寛文年間、長沼嘉右衛門家の跡を継ぎ明治に至る迄、約二百年間にも
わたる長い年月、肝煎或は大肝煎を勤めてきた旧家である。その旧家に伝わる獅子頭があった。
訳有って飯豊町が譲り受けて保管している。譲渡された獅子頭は二頭有り、大きなケースに入った
獅子頭には記名があった。
嘉永五年(1852年)165年前の長井の総宮神社系の黒獅子である。
直感的に梅津弥兵衛の作と思われたが、見ているうちに昭和初期の長井市の竹田吉四郎の作風も
垣間見える。
もう一頭の小振りの獅子頭は明らかに竹田吉四郎の作風間違い無しで、塗り直したての様な状態の良
い獅子頭だ。しかし昭和初期なので80年は経っている筈だ。
嘉永五年の獅子頭は実に珍しい様式の獅子頭だった。
まず、総宮系の黒獅子の眉間に有る筈のコブ(百毫)がない。額には神楽系や白鷹町西高玉の
獅子頭の額にある横シワが彫られている。
頬の髭も五本の毛穴が両側に豊かに植えられている。
しかし、その他は実に良く彫り込まれた逸品である。
耳や、鼻や目尻には弥兵衛や吉四郎にも見慣れない造形が見られる。
目の金の部分に飴色の透けた漆が塗られている。金箔を保護する為に薄めた漆を塗る事も有るが
塗り方も中途半端な施行で違和感を感じる。
内部にも違和感が見られ、後部に中塗り状態と思われる黒の地に記名が朱で書かれている。
そして中央部から鼻先かけて修理をしたように、朱が塗られいた。
舌は欠落して無い。上下の歯には歯打ちの為の使用感が残されていた。
また興味深い事に、獅子幕を取り付ける為の幕穴が特殊な作り方だった。
以前、この伊藤家の南部にある深淵の獅子頭の修理を依頼された事があった。
その獅子は伊藤家の総宮系の獅子頭と違い、飯豊の諏訪神社系の天眼(視線が天を仰いでいる)
の獅子頭だった。
普通獅子幕の幕穴は裏まで直角に貫通した穴なのだが、表面から45 °に二穴を彫り、V型
に幕を取り付ける糸を、その穴に通す・・という妙に、こだわった手法だった。
その為顎の底は、二通りの膜の取り付け位置の為、穴だらけになっている。
何故此の様な面倒な膜穴を採用したのか謎である。
獅子頭拝見の後、拝見を導いて戴いた方に案内され、譲渡された伊藤家の方に話を聞く事が出来た。
55年程前までは伊藤家で祀っていた山ノ神神社の例祭で数軒の氏子で獅子舞いを行なっていたとい
う。二頭の詳細は不明だが、長井の親戚筋に当るW氏が20年前に世話をして朽ちかけた獅子頭を修復
したのだとか・・。
確かに嘉永五年の獅子頭にしては余りにフサフサとした縮れた馬のタテガミが植えられている。
目のくすんだ塗りもの理由もその話を聞いて繋がってきたのである。
実に興味深い獅子頭なので紹介できて満足である。
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