飯野敬太郎著「小松豊年獅子踊りの生まれるまで」に実に興味深い「叶壇」という話を見つけ
た。
セクシー女優の話ではないのであしからず。
以前話題にした著作だが、この話は触れなかった筈である。
大雪の夜、ちょっとご紹介しよう。
町内 田町から(287号長井街道スーパー梅屋さん方面西へ)米坂線の踏切を渡ると直ぐ左側
、民家の後方に、湯殿山や他の石塔の附近に、「叶壇」(かのうだん)と呼ばれている場所が
あります。「壇」とは、遠く昔の「祭祀(さいし)を行なう場所」とあり、一段高く造られて
あります。各々の一辺、又は、四方の角が正確に東西南北を指し、疫病(流行り病)や旱魃
(かんばつ)、不作など森羅万象、自然の悪現象などに、神佛の力を借り、祈祷に依って困難
から逃避しようとした。祈祷の聖地であります。
霊験あらたかな、その場所について、人々は「叶ふ壇」(かなふだん)と名付けました。
特に、宿場町として盛えて来た我が町には、三日町、五日町、八日町、十日町の町名が示すよ
うに各地に市が立ち、他町村との行き来が盛んでした。
なかでも有名なのは、馬の大市があります。大金を懐に東北は言うに及ばず、日本中から家畜
商である馬喰(ばくろう)さん達が、当地に逗留して商売しておりました。
北前船では日本全国から、或は遣唐使、遣隋使に依る外国から・・・と、各地の情報が集まり
、散ってゆきました。情報と共に、独特の文化さえも持ち込まれました。異文化である処の腰王
神、信州の諏訪神社、虫送り、神送り行事、商宮律(しゃぎり)と呼ばれている山車(だし)、
などなど、徳一上人、楠正成、上杉謙信公達の歴史を代表する人々の通過などと共に、各地の文
化が次々ともたされました。その中には、旅のつかれをいやし、短い宿泊の楽しみに数々の芸能
人が訪れ、公演していきました。
叶壇の話を耳にし、芸能の上達と大入り満員を祈願して訪れた人達も沢山おったと思はれます。
昭和十五、六年頃迄も役者さん達を伴ってお参りした事もある、と、小松座の関係者から聞いた
こともあって、霊験も偲ばれる様です。藩主の交代や、行商人、旅芸人たちの中でも、当町に住
みつき、諸国の文化を伝えて来られたことも事実です。
Googl Earth より
・・・これから、肝心な獅子踊りの話になりますが次回に紹介したい。
昨日からの大雪で、小松の現地での聖地取材は雪解けを待ってからとします。
まだまだ獅子舞や獅子踊りについては、あまりに我々に伝わる事無く消えようとする文化が隠
れている様だ。
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