川西町大塚の平田家の獅子頭

  • 川西町大塚の平田家の獅子頭
川西町大塚の積善寺で聞いた情報を元に、こちらのお寺の役員の平田寿蔵氏家にある獅子頭を拝見に

訪問した。電話で恐る恐るお願いすると快諾していただいた。平田家は荒井地区の公民館隣に

あり、代々住吉神社と積善寺文珠尊の例祭に用いる獅子頭を所蔵しているという。

しかし取材してみると、その由緒や詳細は残念ながら現材のご当主には一切伝わっていなかった。










獅子頭の内部に記名が有り、昭和58年に金子豊夫氏が塗り直しをしていた。その時タテガミも取り

付けたという。

獅子頭を見ての初見は総宮神社安部家に伝わる獅子頭と酷似しているという事だ。






その他、頭に浮かんでくる形はまだある。




川西町の獅子頭(小松の詳しいオジサンの資料)、




白鷹町畔藤の熊野神社の謎の獅子頭、





高畠の市神社の修理を手掛けた獅子頭である。




以前白鷹町鮎貝黒沢家「屋号あぶらや」さんで拝見し、レプリカ制作した獅子頭も強く引っかかる。






総宮神社の写真の神楽獅子について総宮神社略史にこう記述されている。

「安部家では亨保、寛保時代より西宮社家(俗に夷太夫えびすたゆう)として頒布に従事し、羽州

米沢を担当してまた、其の取り扱い村は数十ヶ所に及んでいる。また「偽像停止」の訴状も寺社

奉行所に数回上提した書状等あり又「太々神楽」の元締りとして勢子(手伝い弟子)数十人居たこと

もあり 当時の神楽獅子 鼓(つづみ)付物等現存している。この古文書数七十通現存・・・」





とある。この文にある(写真の赤い獅子)がこの獅子頭かどうかは未確認だが可能性は大きい。

平田家の獅子頭と写真を並べてみると作風が似ているので驚く。

金子豊夫氏に塗り替えの依頼がなければ色も同じだったかも知れない。

特徴として桐材で作られているのだろう、大変軽い獅子頭だ。獅子舞太々神楽の際で被るに丁度良い

軽さである。


何故に川西町大塚の平田氏宅に、この獅子頭が所蔵しているのか気になる所だ。

調べてみないと判らないが、勧進代総宮神社の修験平田家との関わりはどうだろうか?

また総宮神社の安部家と同じ様に西宮戎のお札を取り扱う夷太夫として平田家の祖先が存在していた

可能性も考えられる。

東大塚には弘化三年(1846)獅子踊りの記録(源内文書)が残っている。

また文久三年、八幡神社の屋根大修理と薬師堂の再建後の大供養に念仏踊りと獅子踊りが加わ

る大念仏が行なわれている。

口碑によると東大塚住の須貝庄右衛門が小松の獅子踊、菊田の念仏踊りを伝授したとあり

須貝家に神楽獅子も所蔵されている。この獅子頭は尾長嶋光玉寺所蔵の獅子頭と酷似しており

その獅子頭の記名には弘化三年、当村彌六とあり同作者と思われる。

このように大塚、とくに東大塚は念仏踊りと獅子踊りと神楽獅子があり芸能が特に盛んな

地域だったと考えられる。
2017.11.04:shishi6:[コンテンツ]

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