西大塚の八幡神社の直ぐ西に天台宗 成就院がある。
金子熊太郎が仏壇欄間の彫刻を手掛け、また「妻 はな」の実家でもある。
仏壇欄間は小規模だが、前後部に力強く繊細に波浪を象った彫刻を残していた。
パイナップルの様な、蘇鉄も彫刻のモチーフとして意味があるのだろう。
仏具に目を移すと従弟の「金子 豊奉納」の記名の入った仏具や大黒様の木彫の他、
昭和24年と26年に奉納された極小細密のお不動様の木彫、小さな蓮の花びらの形の銅とガラ
スの器に、白い石と瑪瑙(めのう)のようなものが二粒は行っている物があった。
雰囲気的に釈迦の遺骨「仏舎利」だろうか?
大黒様は台座に固定され、上箱からスルリとスライドして取り出せる逗子型のようで工夫され
ている。小品の彫刻ながら単純化され、洗練された大黒像である。
金子 豊の作風の分析はこれからだが建具を得意とした緻密な作風を感じさせる作品だ。
拝殿の棟札には、なんと天文四年(1534年)の記名がある。
天台宗は修験の院なので書状には羽黒山からのものが見受けられた。
流れる様な達筆に目を奪われてしまう。
こちらに獅子頭の所在を尋ねると、境内のお大日様のお堂の中にあるという。
さっそく拝見すると・・・。
私には獅子頭センサーが装備しているので、ご案内の方より一早く見つけてしまう。
赤い小振りの獅子だが形は総宮系。作者は梅津弥兵衛と思われるので明治期の作。
塗りの様子を見ると最初から赤く塗られている珍品だった。しかも幕穴が内部に貫通させる
のが通例だが、斜めに木口に開けられている。どうゆう理由か謎である。
熊太郎は明治29年当時の大塚村内学校合併の際建築設計、工事請負をしている。現在の成就
院は元小学校跡の建物を改築しているというので熊太郎が便宜を図ったのだろう。
この記事へのコメントはこちら