中大塚熊野神社にお邪魔した。
昨年の例祭に、拝殿にお邪魔し獅子頭や拝殿の記念写真を撮影していた。
訳有ってお祭りの道具類を拝見した。
残念ながら獅子舞いについては総代の方に尋ねても不明で記録文献も用意は無かった。
では・・と拝殿の記念写真を見てみると貴重な写真が目に止まった。
その写真には、昭和52年7月19日(1977年)「鳥居の場の舞」
「舞獅子に改む 獅子・笛・太鼓若連一同」
という記名もあった。
その写真には現在の飯豊小白川の五十嵐氏の作の総宮系の獅子頭とは違うタイプの獅子頭だ。
一見茶色だが特殊な塗りで、タテガミや鼻ヒゲの取り付け位置が総宮系でない。
タテガミが脳天のコブ穴からと眉毛の上の際に植えられ、鼻ヒゲは鼻の穴には無く
唇の上の際に植えられている珍しいスタイルだ。
握り手が角材で白鷹系の匂いも漂って来る。西大塚の薬師堂の古い赤獅子も白鷹鮎貝系のスタイル
なので関係があるのかも知れない。
地元に金子豊夫氏という彫り師がいたので、その可能性が大きい。
その写真を切っ掛けに総代から「以前はヤー獅子(訪問した家の前でヤーーと気勢をあげる
事から)いわゆる獅子回しのスタイルだった」という話になった。
更に・・
中大塚熊野神社の現在の総宮系の獅子舞いは昭和52年からで隣の地区の西大塚八幡神社から獅子舞
を習ったという。
他の写真には昭和60年7月20日 「熊野神社獅子頭新調記念総代事務係」とあり先代の獅子頭が
写っている。渡部 亨氏作と推測している獅子頭だ。昭和60年とすれば渡部氏はまだ健在だ。
また、平成21年11月1日「熊野神社御獅子頭新調奉納記念」という写真には五十嵐氏の作の写真が
写っている。実は、この獅子頭はすぐ後に当工房に修理に来ている。
この年にいきなり急に黒獅子になってしまったという異変が起こった。
この経緯は内緒である。
今回の調査で、新たな獅子頭の発見があった。正確には二頭の可能性もある。
一つは顎がバラバラになって破損した宇津権九郎型の獅子頭で、この獅子頭で「ヤー獅子」を
行なっていたのかも知れない。
獅子幕が二つあり、古い獅子幕の獅子頭取り付け口の下には布製の「後ろタテガミ」が取り付けて
あった。・・・これは珍しい。
可愛い千鳥もいる。
同町朴之沢の熊野神社の獅子幕を制作した時、麻縄で制作した事がある。
新しい現在使用している獅子幕には、朴之沢と同じ「後ろタテガミ」が取り付けられていた。
総代の話では、未調査の古い会計簿が多数有るそうだ。
それを調べれば獅子頭の作者や詳しい事実が浮かんでくるのではないか??
しかし・・一度だけの調査では見えてこない面白い事が隠れているので獅子の調査は
面白くて止められない。
そうそう、総代の話していた謎の小振りの獅子頭と金子豊夫氏の空き家になった生家にある
獅子頭の話も調べてみなくてはならない。
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