大正から昭和初期にかけて各地で大盛況だった草相撲。
その中でも寺泉の加藤四兵衛氏、その活躍を讃える記念の石碑が残っている。
相撲協会から免許状も授与していたという名力士でもあり、獅子舞の不朽の名警固だったようだ。
その息子や孫も代々相撲を受け継いだとか。
その勇姿が褐色の写真に残されている。
総宮神社の警固も務め、見るからに獅子舞を仕切る怖そうな警固である。
加藤警固の伝説かどうかは定かでないが、二階から神輿や獅子を見下ろして見物する事は
強く禁じられた風潮があった。
ある年の祭の日、本町の小野医院で二階から見下ろす入院患者を引きずり下ろしたという
今では大問題になるような逸話を残している。
この写真は五所神社前で筋骨隆々、威風堂々の二人警固は現在と同じ豪華な化粧廻しを
披露している。京都で作らせたのだろうか、「村雲」「小荒美」が醜名である。
小荒美は置賜の方言で「ちょっと暴れる」の意ではないだろうか?
総宮神社の記念写真が残っていた。
中央の眼光鋭く長い髭のご老人は名獅子頭 「斎藤 与次兵衛 氏」新町シムラスーパーの向
かえが生家だ。
調査中だが修験の先達(山伏)の指導者らしい。明治初頭まで大町にあった修験の明王院は
総宮神社の獅子舞の一切を取り仕切っていたので、その指導者だったのだろう。
明治に入り修験道禁止令が出て明王院は廃れ、獅子連という組織に変革していったのだろう。
この後 昭和の時代に入り、やがて日本は戦争の渦中に走っていく。
この貴重な写真は寺泉の鈴木昭二氏より提供戴いた。
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