山形市えたか町神楽

  • 山形市えたか町神楽
山形市に三日町の三浦家につたわる獅子神楽があった。

餌鷹町(六日町)に住んでいた頃、霞城神楽と称され、代々山形城の御用を務めてきた。

三浦家は水戸から移ってきた初代「和田幸太夫」が延文元年(1365)斯波兼頼(しば かねより)
が山形城の築城の時、城の地固めの為の神楽を舞ったと伝えられている。
㊀の家紋を用いている事から江戸の丸一太神楽の系統とみられている。

同家の今に伝える獅子頭の内部に「文禄三年(1594)八月十五日、奉納最上出羽守(でわのかみ)
義光、稲荷宮太神楽」の刻名がある。(今から457年前)

また、寺社奉行と両所宮 佐藤斎宮(さいぐう)の添書があって「烏帽子白張指貫致着用、
神事可勤仕者也。仍而許状如件、雑掌印、文化十二巳辛四月 和田太夫殿」という許状もある。

また山瀬遊圃著「山形雑記」巻之上に「太神楽師、六日町、帯刀、和田忠太夫」とあり、さらに
同書に「是は正・五・九月、右幸太夫手下之者召れ、家中毎獅子舞致し、初穂の次第に寄、種々
の芸致恒例に而、子供は何所迄も跡遂致し、次第に見物人増、狭き場所に而は芸も十分に不出来
、不面白其芸を仕廻、隣へ移る前に、神楽師銘々刀を抜、神楽歌を謡へ、弊を持ちたる者も交わり
、くるくる剣舞致し、夫にて終わる」と記していた、当時の状況を知る事ができる。

獅子頭は狛犬型で壮大で赤顔、耳、眉、鼻は黒塗り、歯と眼は金塗りである。幕は大きく、
黒地に巻き毛の模様、二人立ちである。獅子舞の他に神楽七つ芸がある。囃子は三味線、
笛、太鼓、鉦である。毎年正月元旦に印役神社で舞初めをし、蔵王温泉酢川神社で打止め
する。

             出羽の民俗芸能 安彦好重氏著 みちのく書房出版より引用

古文書入りで大変難しい記述であるが詳しく調べてあり、大変貴重なものだ。
もう少し調べてみたい。
2017.06.18:shishi6:[コンテンツ]

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