かなり前に三頭共に塗り替えされ、総代関係者も三頭がお祭りで地区に出た事は記憶に無いという。
拝殿の棚の上で、静かに時代が流れに身を任せている。
今年の祭で獅子頭を拝見した時に、一番大きめの獅子頭の軸付近に記名を見つけた。
しかし、軸を外さないと見ることが出来なかったので再調査をした。
すると前回片方の軸付近にばかり注視したため、もう一方の記名に気付かずにいた。
顎を外し確認してみると、もう片方には、年号があった。
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更に、耳の木口にも直筆の記名が残っていた。
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左側には「米澤 柳町 大仏師 桂八 二十才」
右側には「慶應(けいおう)戌寅(ひのえ とら)二年(1866) 八月 十五日」
耳の木口は解読中である。
これで年代作者名が確定した。
柳町は現在も米澤に存在しているが、問題は桂八の苗字が無い。
ただ耳の木口に「鈴木」と見える文字があり苗字の可能性を期待している。
驚く事は「大仏師 桂八 二十才」である。
数えの年で考えると18か19才で、仏像彫刻師の長を名乗るとは驚きである。
赤い二獅子頭の小さい方の獅子頭の舌の形にも、作者解明の兆候に気づいた。
特徴ある舌の形である。川西町の玉庭に数体確認している。
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上下の歯に鉄板を取り付け補強していた。
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三頭目の珍しい形の黒い獅子頭にも記名があったが、特徴のある癖字で解読難航だった。
実際に再確認すると、見えてきた。
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恐らくであるが、
「万治元年(1658)戌戊(いぬ つちのえ)六月十九日 大山 大蔵 ・・」
と見える
六に塗料が垂れている事が判明したので見えてきた。
これが事実であれば、なんと358年前の獅子頭という事なる。
寝た子を起こす様な発見だった。
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