上山図書館で上山の宮脇にある正八幡(しょうはちまん)神社の資料を見つけた。
手書きガリ版刷りの神社資料を紐解くと
獅子二頭 享保二年八月吉日
施主は上山藩主の松平帯刀(たてわき)信通(のぶみち)・・・
朱塗りの一対の獅子頭有り、とあった。
こういう資料を見てしまうと衝動を押さえる事が出来ない。
早速宮司さんに連絡して拝見する事となった。
宮司さんの苗字も凄い・・・神社名と同じ八幡(やはた)である。
宮脇は上山バイパス側にそそり立っているマンションの東に入った所にある。
お祭りも盛大で、神輿渡行を上山市内まで行なう。以前は市内の八幡神社に御泊まりして
の渡行だったらしい。
獅子頭はその露払い役で、以前は一頭に六人が入り練り歩いたという。
獅子頭は多少の破損はあるが、300年前に制作された獅子頭とは思えない良い状態だった。
昨年までお祭りに用いられていたが、今年から引退している。
細部に渡って非常に端正に作られ、名だたる彫り師の作であろう。
眉毛の巻き毛の先端に丸く金箔が施されている。白鷹町荒砥の八乙女八幡の獅子頭でも同じ様
なデザインを見ている。
耳の作りが面白い。内部を刳り貫いて取り付け棒がある。
顎の底に記名が彫り込まれている。
白鷹町の浅立諏訪神社の獅子頭と同じような記名であるが筆跡は異なっている。
よく見ると神社資料と少し違う所が何箇所かあるのに気づいた。
雄雌獅子に同じ記名があり、一回り小さい雌獅子の裏の方が見えやすい。
資料には享保二年とあったが、廾(にじゅう)と見えるので享保二十年ではないか?
施主の「松平帯刀信通」とあるが、「信救(しんぎゅう)」と見える。
更に隣に 「同 源・・・」と刻まれていてその後ろがえぐられているが文字が見える。
上山藩主は十代続き「信救」の名前は無いので、年代的には「信通」だろうが何か大人の事情
があるのかも知れない。ちなみに信通は1697年備中庭瀬から3万石で移封している。
欲を言えば獅子幕も拝見し模様も見たい所。
300年前に藩主に送られた一対の獅子頭を眺めてみると凄いオーラを発している。
満足しきり・・・獅子頭ハンターは、また目を肥やしお腹パンパンで帰路についた。
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