残暑厳しい日が続く。
強い日射しが少し和らいだ3時過ぎ、高畠町に訪れた。
根岸の熊野神社の例祭のはずだが、現場には気配はなく変更したのだろうか?
少し移動すると高畠町泉岡で大宮子易神社のお祭りを発見した。
道路沿いに位置し、ちょっとした岡の上に神社がある。
息を切らして石の階段を登ると神社では役員が準備で急がしそうだ。
すぐ拝殿に置かれた獅子頭を見つけた。
その顔付を見て驚く・・・以前拝見した亀岡の善行院の獅子頭とそっくりである。
形は似ているが作りは粗く、善行院の獅子をモデルにして作った様な感じもする。
記名がハッキリ残っていた。
初めて確認する名前で寛政五年(1793年)七月 高橋賀造の作とあった。
耳は差し込む部分が壊れて修理されていた。おそらく垂直の位置から90度変えられ垂れ耳になった
のだと考えている。この方が邪魔にならない。
類似している善行院や長野の飯田の獅子頭の耳は、垂直に立っていたからだ。
長野県飯田の獅子頭
亀岡善行院の獅子頭
まだ未調査だが米沢市御廟熊野神社の獅子も怪しい
上下の歯には鉄板が大雑把に取り付けてあり、同じ位置に歯が無い部分がある・・。
加賀の獅子のように、その隙間に刀を差し込むのだろうか ?
眉に毛穴痕が見え、タテガミは麻の繊維を取り付け、額には三角錐状の百毫がある。
目のデザインも独特な様式で面白い。唇が真ん中でくびれているが、何処かで見た形だ。
出発の時間になり神輿が先に出て、続いて獅子頭担当の方が獅子を持って出発した。
1キロ程離れたお寺の後ろに熊野神社が有り移動し、そこから祭りが出発するのだと言う。
お盆過ぎて日が短くなってきて日が沈んで薄暗くなってきた。
お寺の中を過ぎると大きなケヤキの陰に神社があり、子供達が集まって賑やかだ。
小川に掛かった石橋が、そのケヤキの根っこに包まれようとしている。
小川に遮られたように地面の片方に偏って張った根は、長い年月を経て何か強い力を感じる。
湿気が多くて息苦しい。出発時間で待機する法螺貝を持った若い宮司さんが居た。
宮司の装束着用で見るからに暑苦しい。額には大粒の汗が吹き出ている。
お囃子は無く、鈴を持つ人と拍子木を持った人が居たが時々思い出した様にならすだけで
格別決まった約束はなさそうだ。
出発した神社から終点の大宮子易神社迄は一本道で、小さな田楽提灯が唯一祭りを知らせる
ものだ。
行列は町端で行列を待つ氏子に獅子頭の歯噛みをし、次に宮司が神輿に向かって短い祝詞をあげ
祈願し、法螺貝を吹いて進むという渡行を繰り返すのだった。
六時半にはすっかり暗くなり、神社の石段参道沿いの提灯が灯って綺麗だ。
小高い神社境内から演歌が流れ祭りの雰囲気を盛り上げている。
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