8月17日川西町玉庭の松尾神社に訪れた。
神社に到着する前、藤屋さんでお昼のラーメンを食べながら情報収集する。
初めての店は入る前に少し構えるのだが、藤屋さんへ入ってみると一瞬でその緊張が消えた。
店内は生活感一杯で、子供達のおもちゃや道具類、熱帯魚の水槽があり、奥の茶の間ではお婆
ちゃんが、ちゃぶ台でお茶しながらテレビをのんびり見ている。
さらに夏休みの子供達が複数でワイワイ賑やかだ。
注文を聞きにきたお母さんは「子供がうるさくて、ぶじょうほうなぁ~」と至極フレンドリー
だった。
お祭りの話をすると驚いた様に「今日だっけがぁ~?」とお祭りの日程表を探し出した。
「無い 無い」と息子さんとお嫁さんのやり取りの後、知り合いに電話をかけていた。
ようやく獅子廻しが今日の3時過ぎに廻ってくる事が判明した。
素朴な味のラーメンも美味しかったが、藤屋さんの家庭的な雰囲気な味が
病み付きになりそうだ。
神社に戻ると例大祭の直会(なおらい)真っ最中だった。
この雰囲気で取材突入しずらいが、益々あつかましくなって平気になってしまった。
総代長に名刺を渡すと、怪訝そうな表情で渋い様子・・・。
なにやら関係者に意見を聞いている。
こっこれは、初めて取材拒否の洗礼かな ?・・と一瞬覚悟したが結局、了解戴いた。
以前に川西で開催した詳しいオジサンの企画の獅子頭展で、一悶着あった話を思い出す。
また獅子頭を借りにきたのではないかと勘違いされたようだ。
獅子頭は二頭あった。
どちらも見覚えのある表情である。
拝殿で獅子頭の解説が始まる・・・
総代の方々も獅子頭については詳しくは見ていない。
他の神社でも、たいてい大まかな印象でしか把握していないのが常だ。
この神社の黒い獅子頭のタイプは現在、玉庭や小松の4箇所で確認している。
一つは新山神社の総宮系の黒獅子以前にあった赤い獅子頭である。
このタイプはレプリカを制作して残しているので、一目で同じ作者と感じた。
四箇所の獅子頭に面白い違いが有るので面白い。
眉や耳の下のタテガミの丸いカールの数や大きさである。
一番最初の獅子頭が松尾神社
額に丸い百毫(びゃくごう)と思われるものがあり、丁寧に螺旋も描かれている。
赤い獅子頭は細かい眉毛や頬のタテガミの形が特徴だ。同所玉庭の朴ノ沢熊野神社の古い
獅子頭に似ている。
獅子幕には◯に三本線や三つ巴の家紋が染め抜かれている。
頬の突起が米沢川井の羽黒神社の貝沼宣智の作の獅子頭の印象である。
拝殿には古い絵馬や記念写真が飾られているが、その中で一枚の写真に驚く。
米俵を二段重ねの土俵だ。以前この地区出身の力士も居た様で草相撲の全盛の頃らしい。
獅子の話に総代方も打ち解けてきた。
拝殿の隣に小振りの祠が有り、その話をすると思い出した様に
「そういえば・・中に獅子頭みだいなあったっけなぁ~」と言い出した。
「なになにっ!!??それは・・」という事になり確認してみる事になった。
今まで何十年も開けてない祠の扉が開いた。
「うわっ!!」という驚きの声の先には、なんと鬼面が現れた。
獅子頭ではなく、神社の屋もの棟の端に取り付けてある木製の鬼面である。
鬼面も何処かで見た様な作風だ。
鬼面は一対であるはずだがもう一つは見当たらない。
中に彫刻の破片もあり、どうやら屋根をトタンに葺き替えの際に取り外した物を
ここに保管したものだろう。
獅子廻しの出発の時間であるが、鬼面の発見で関心の風向きが変わってしまった。
獅子廻しは、学生服姿の二人と青年のリーダーの三人だけである。
獅子頭を持って神社の回りを三回「悪魔払い~ぃ」と叫びながら巡ると境内から
出て行った。囃子はなく「悪魔払い」のかけ声だけである。
地区の決まった場所に近くの人が集まり、頭を歯噛みしてもらうのだという。
地区の寄付により神社を管理する方々も高齢化している。
管理費の捻出負担も大変だろう・・。
人口減少、少子化はジワリジワリと山間の里を浸食している。
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