8月1日川西町玉庭酒町の羽黒神社に訪れた。
何時もの様に、丁度例大祭の神事が終了して祝宴の最中にお邪魔したが快く拝見出来た。
こちらの宮司さんが諏訪神社の宮司さんで、以前獅子頭の修理でお世話になっていた。
宮司さんと面識があると心強い。
車を停め境内に入ると、拝殿の中に獅子頭が見えた。
拝殿の中にお邪魔すると、もう一頭現れた。
総代神社関係者の方々8名程で、お神酒が入り和やかな雰囲気で祝っている。
どちらも獅子箱の上にあり、箱が気になって見せてもらうと蓋の裏に記名がハッキリ残っていた。
一頭の箱は、蓋の上部に丸みが有り、蓋の当りに縁が回してあって白鷹の鮎貝や山口の獅子箱に
似ている。
記名には寛政六年(1794年 222年前)七月廾三(23)日 人工 佐藤 惣源
もう一頭は
安政二年(1856年 160年前)六月朔月
彫り師らしき記名が書かれているが達筆過ぎて読めず解読中である。
読者の皆さんで読める方がいたらご指導戴きたい!
どちらも、何処かで見た様な獅子頭で、記名が残っていたので大発見だ。
偶然、寛政六年の獅子頭は前回紹介した高畠の高房神社の頭高の獅子頭と
鼻先が堀金の證誠寺の獅子頭と似ている。
安政二年の獅子頭は珍しく顎にヒゲを蓄えていて、歯や牙、タテガミの作風、口の中の舌や彫り痕を
残す作り方は初見である。
とにかく「寛政六年の獅子彫師 佐藤惣源」の大発見は大きな収穫である。
8月21日
川西の詳しいオジサンこと渡邊敏和氏著作の
川西町の「獅子舞」について 2008年発行に記載があった。
人工 佐藤惣弥
獅子彫り師寄進
齋藤善右衛門 ・・とあった。
なんと読みづらい崩し字なのであろうか・・・。
齋藤 ? 藤は賛成出来るが齋は疑わしいのである。
納得いかない。
獅子彫り師の寄進も引っかかる。
彫り師の工賃を寄進したので作者の名前では無いのではないか?
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