今日は小国町にやって来た・・大宮子易両神社の獅子頭だ。
こちらには二頭の獅子があるので楽しみにしてきた。
まずは参拝
拝殿に立派な神社扁額
ロココ風の様を思わせるような凝った造形である。
ネット検索で見れる獅子頭は室町時代とあるが・・。
私の印象では江戸中期・・川西町最古の時田八幡寺の享保の獅子頭の匂がするからである。
金箔を合成して目の表情を強調してみた。
神社の創建は1300年・・和銅5年。古すぎて目眩がして来るようだ。
お邪魔した宮司さんの社務所も歴史を思わせる造りである。
こちらは詳細不明の室町(仮称)の獅子頭。
本邦初公開の獅子頭は寛政五年(西暦1793年)施主 金子十三良と陰刻が残されていた。
作者は不明であるが、神社の建て替え等の棟札に記されている例もある。
平安の獅子と顎の底造りが違う。
平安の獅子は、軸棒に歯で噛んだ跡があり、被り舞を行なったようだ。
寛政の獅子には、握る為の半月形の溝が頭の裏と、顎の下に刻まれていので頭上に掲げる舞い
方ではない。
舞手の頭より下で行なっていたのではないだろうか。
耳の固定方法も、室町は耳に棒を付けて、頭の穴に差し込んでいる。
寛政の方は、紐であった。
寛政の顔付のまぶたが、米沢笹野観音の獅子頭のまぶたと似た造りで、耳の形が村上の獅子頭
の特徴を思わせる。
平安の方は、時代考証は無視して先日報告した、西大塚の彫り師渡辺重右衛門の獅子頭の眉間
のシワに似ている印象だ。渡辺氏の獅子頭は一連の梨郷神社や川西の獅子頭に共通している。
何処の獅子頭を雛形にしているのか不明だが、何か関わりがあるのかも知れない。
こちらの神社と二つの獅子頭の関わりは一切不明である。
現在、獅子頭は祭りで用いられる事は無いので、残念ながら資料亡失と獅子頭に向ける関心が
少ないという事もあり詳細は分からずである。
町内には他に、諏訪神社があり四月と九月例祭で神輿渡行に獅子頭が厄払いをする。
獅子舞いは無くね頭を噛むという所作だけだというが、見てみないと分からないもので
是非拝見したいものだ。
村上と置賜を結ぶ中間点なので、新たな発見が潜んでいるかも知れない。
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