ようやく鎌倉時代末期(約700年前)の獅子頭と伝えられる獅子頭を拝見出来た。
春日大仏師の作。
春日大仏師とは定慶(じょうけい)を言うのだろうか?
米沢市の古墳遺跡戸塚山の麓にある浅川地区の泉養院(せんよういん)に伝わる白山権現
(仏が衆生を救う為に神、人等の仮の姿をもって、この世に現れること)である。
古文書には、年に一度当所に村民潔斎(身体を清らかにする事)して、獅子を担ぎ出し村の
隅々を舞踏したという。年中の邪気をを除き疫病が流行した時に、一度獅子頭を出院して村中を
一戸づつ祈祷したら一人も死するものが無かったという程の霊験と書き残されていた。
また興味深い逸話に、片方の耳が欠けているが(現在はもう片方も取り外されていた)
亀岡(高畠町)善行院一宮(文珠一宮獅子勇健尊)の獅子頭があるが、泉養院の獅子頭の間に
獅子同士の闘いの伝説があり、両獅子とも乱行はなはだしく当院の獅子は、右の耳をとられ、
相手の獅子は黄金の歯をとられたという伝説があるという。
高橋 登氏の資料より
獅子頭は祭壇中央の護摩供養のススで真っ黒の祠(ほこら)に鎮座していた。
簾(すだれ)で隠され普段は見る事は出来ないが、何度もお願いし特別に拝見出来たのだ。
他の神社や寺院と違い権現として祀られているので秘仏でもある。
ススに隠れているが黒塗りで、金箔も良い状態で目の縁には鮮やかな朱が見られた。
幕穴らしき跡や、唇の縁に毛を植えた跡があった。
顎が破損しており、一度余りに乱行激しく土中に埋めたが、たたりを恐れ掘り返し
祀ったという波乱の過去を持つ獅子頭にふさわしい傷跡である。
鼻先の唇との境界に特徴があるようだ。
また他所の獅子頭とも闘ったり荒々しさと疫病で苦しむ村民を救った伝説
の獅子頭とは思えない程、今は静かに清めの灰を被って眠っている。
また何時しか、荒ぶる姿を我々にも見せて欲しいものである。
権現様の両脇には、見事な仏像がおられたのでご紹介したい。
まだ仏像には詳しくないが、虚空蔵尊の二人の童子「こんがら童子」「せいたか童子」が
素敵である。虚空蔵尊の目には玉眼が施され鎌倉時代の作らしい。
今回獅子頭は正面からだけ撮影させていただいた。
内部の記名や細部までは調査出来なかったが、昭和34年に山形県の貴重文化財の認定を
受けているので、そちらから調べてみたいものである。
しかし、泉養院の獅子と闘ったという亀岡の善行院にあるという獅子とは?
まだ日が高いので、帰り足ついでに高畠の亀岡に下調べに向かってみようと考えたが
、同行した小松の詳しいオジサンは、泉養院へ忘れ物をしたとかで戻ってしまった。
今日も高気圧でスカットした快晴だ・・・。
まだ5月というのに、まるで初夏。今年は夏が長くなるのかも知れない。
田植えも急ピッチである。
携帯のナビで場所を検索する。
亀岡文珠の隣の南側にあるはず。
すると「文珠一宮」という看板があり、訪れてみた。
なんと立派な彫刻が目に付く。彫りのキレが良く見事である。
お堂は、通年板塀に守られている。
基礎から束が高いので床下を囲って物置にしている豪雪を考慮した造りのようだ。
こちらの彫刻師や棟梁も調べてみたい。
泉養院と死闘を交えた獅子頭はいずこへ??
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