白鷹鮎貝系獅子頭の張り子木型である
大きさは奥行き12cm幅9cm高さ8cmだが張り子にすると縮む
この木型に和紙を貼って赤い獅子頭の張り子に仕上げる予定だ
米寿の祝の記念品の依頼である
昨年納めさせていただいた鮎貝八幡宮の獅子は雌雄一対の獅子頭
絹糸の毛を植えて仕上げる
口は開かないタイプだが、いずれ開口出来るタイプも開発したい
開口タイプは張り子でなく桐の木彫りになるだろう
黒獅子タイプも数種類試作している
将来張り子工房に変身するかもしれない
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彫り師
総宮略史の42ページに歴代の獅子頭の記録がある
この資料を分析してみると、二つの推測が見えてきた
以前掲載した牛の涎に記された、総宮の獅子頭についての記述の中に
安永年間 宮村に小兵衛と云う大工あり 此(この)小兵衛に命じて 又似せ造らせたり
とあったが小兵衛の作という獅子頭は存在せずブログは謎で閉めた
ところが元治の獅子頭の記述の下に「奉再興」とある所に注目した
作り直しか、塗り直しのことであろう
牛の涎の話が本当であれば元治年間の獅子頭を赤外線カメラで調査すれば小兵衛の記名が出て
くるかもしれない
元治元年は1864年・・
平山の熊野神社にある小兵衛作の獅子頭は安永9年1780年に作られた
また総宮神社略史の鬼面寄進の大工小兵衛は天明二年1782年とあり、この頃小兵衛が総宮神社の
獅子頭を制作し80年程経過した後、元治元年に修復され奉納されたのではないか?
鬼面を奉納した理由も飯沢市之丞(平吹市之丞)が獅子頭の塗りを担い、小兵衛が彫刻したことが
推測される
またその後の嘉永五年の獅子頭も作者不明である
以前から歴代の獅子頭を比較してみると、この獅子頭の左眼が異様に飛び出した天地眼に造形されて
いる・・・寛文の獅子頭をよほど観察し復元しようとしている感が有り余る作である
モデルの獅子頭の形を忠実に彫り上げ、更に飛び出した眼の伝説の強調しているかのようだ
そこで、その時代の彫刻家である長谷部吉之助が現れてくる
これはあくまでも推測
長谷部吉之助は文化13年1816年生まれ、明治31年1899年に83歳で亡くなっている
嘉永五年は長谷部吉之助が36歳で少し若い気もするが可能性はある
明治25年1892年頃に白鷹町西高玉、長井市勧進代、白兎の三兄弟獅子を制作し
1868年以降45~49歳に白鷹町十王龍澤寺の彫刻を残しているので、かなりの腕前なのだ
まぁ~まだまだ謎は晴れないのだが、今後の研究にご期待願いたい
この資料を分析してみると、二つの推測が見えてきた
以前掲載した牛の涎に記された、総宮の獅子頭についての記述の中に
安永年間 宮村に小兵衛と云う大工あり 此(この)小兵衛に命じて 又似せ造らせたり
とあったが小兵衛の作という獅子頭は存在せずブログは謎で閉めた
ところが元治の獅子頭の記述の下に「奉再興」とある所に注目した
作り直しか、塗り直しのことであろう
牛の涎の話が本当であれば元治年間の獅子頭を赤外線カメラで調査すれば小兵衛の記名が出て
くるかもしれない
元治元年は1864年・・
平山の熊野神社にある小兵衛作の獅子頭は安永9年1780年に作られた
また総宮神社略史の鬼面寄進の大工小兵衛は天明二年1782年とあり、この頃小兵衛が総宮神社の
獅子頭を制作し80年程経過した後、元治元年に修復され奉納されたのではないか?
鬼面を奉納した理由も飯沢市之丞(平吹市之丞)が獅子頭の塗りを担い、小兵衛が彫刻したことが
推測される
またその後の嘉永五年の獅子頭も作者不明である
以前から歴代の獅子頭を比較してみると、この獅子頭の左眼が異様に飛び出した天地眼に造形されて
いる・・・寛文の獅子頭をよほど観察し復元しようとしている感が有り余る作である
モデルの獅子頭の形を忠実に彫り上げ、更に飛び出した眼の伝説の強調しているかのようだ
そこで、その時代の彫刻家である長谷部吉之助が現れてくる
これはあくまでも推測
長谷部吉之助は文化13年1816年生まれ、明治31年1899年に83歳で亡くなっている
嘉永五年は長谷部吉之助が36歳で少し若い気もするが可能性はある
明治25年1892年頃に白鷹町西高玉、長井市勧進代、白兎の三兄弟獅子を制作し
1868年以降45~49歳に白鷹町十王龍澤寺の彫刻を残しているので、かなりの腕前なのだ
まぁ~まだまだ謎は晴れないのだが、今後の研究にご期待願いたい
嫁入り
本日大安、獅子頭の納品だ・・
納品の日は朝から何となく落ち着かないもの
気温も上がり時々雨模様の一月末である
ちょっと左手にチリッと痒みが出たのだが、収まったので手袋を持参
成田八幡神社に平成18年一作目の獅子頭を制作してから、早いもので十年経ってしまった
修理も重なり色々苦い勉強もさせて戴いたが、二作目の依頼を戴くとは思わなかった
二作目は極上の柳との出会いもあり、形も勉強の成果もあり、逸品の平吹市之丞作に
少しは近づいたのではないかと自負している
一作目を作る前に成田の個人の方からの依頼で二頭制作し、更に試作の為に一頭制作している
そして今回二作目を作る為、三作制作している・・・やっと七頭制作し頭の中に獅子頭の形が
収まって来たという感じだろうか?
ところで来月末
題して「獅子振り幕の内ばなし」~成田男の血が騒ぐ、獅子の魅力に迫る~
という講演会が成田公民館と獅子連中で企画されている
そこで講演する依頼を戴いた
昨年、こちらのブログにも掲載した成田の獅子舞い密着取材の報告や置賜圏内の獅子文化の
話等いよいよ紹介する事になった
成田だけではない、日本各地の伝統芸能、伝統文化の伝承や後継者問題の危機が迫っている
獅子頭を作る職人や漆を塗る職人も、やがて消えて行くだろうか
古来から人と人とを繋いできた祭りの存続すら危ぶまれる昨今だ
先人達が魅了された獅子舞文化というものを探ってみよう
納品の日は朝から何となく落ち着かないもの
気温も上がり時々雨模様の一月末である
ちょっと左手にチリッと痒みが出たのだが、収まったので手袋を持参
成田八幡神社に平成18年一作目の獅子頭を制作してから、早いもので十年経ってしまった
修理も重なり色々苦い勉強もさせて戴いたが、二作目の依頼を戴くとは思わなかった
二作目は極上の柳との出会いもあり、形も勉強の成果もあり、逸品の平吹市之丞作に
少しは近づいたのではないかと自負している
一作目を作る前に成田の個人の方からの依頼で二頭制作し、更に試作の為に一頭制作している
そして今回二作目を作る為、三作制作している・・・やっと七頭制作し頭の中に獅子頭の形が
収まって来たという感じだろうか?
ところで来月末
題して「獅子振り幕の内ばなし」~成田男の血が騒ぐ、獅子の魅力に迫る~
という講演会が成田公民館と獅子連中で企画されている
そこで講演する依頼を戴いた
昨年、こちらのブログにも掲載した成田の獅子舞い密着取材の報告や置賜圏内の獅子文化の
話等いよいよ紹介する事になった
成田だけではない、日本各地の伝統芸能、伝統文化の伝承や後継者問題の危機が迫っている
獅子頭を作る職人や漆を塗る職人も、やがて消えて行くだろうか
古来から人と人とを繋いできた祭りの存続すら危ぶまれる昨今だ
先人達が魅了された獅子舞文化というものを探ってみよう
お里探し
平成10年頃だろうか? 米沢市内の神社の一対の獅子頭の修理の依頼があった
耳と軸棒の破損で、当時この種の獅子頭についての見識がなく調査記録も無いままだ
米沢市内というだけで神社の名前も記憶に無い
どなたかご存じないだろうか?
それぞれ脳天に宝珠と角を乗せている獅子だが、詳しく見分してみると制作者が違う
後ろから見ると分かる
顎の作り方が違うのだ
また宝珠の獅子の木口の形は長井の獅子頭の特徴が伺えるので長井出身の彫り師だろう
どちらも何処かで見た様な作風だ
宝珠の獅子頭の眉と瞼の形が笹野観音の金獅子と同じ様式に気づく
一方、角の方は白鷹の萩野の獅子頭の顎の構造に似ているのだ
再調査したいので何方かご存知の方はご一報願いたい
耳と軸棒の破損で、当時この種の獅子頭についての見識がなく調査記録も無いままだ
米沢市内というだけで神社の名前も記憶に無い
どなたかご存じないだろうか?
それぞれ脳天に宝珠と角を乗せている獅子だが、詳しく見分してみると制作者が違う
後ろから見ると分かる
顎の作り方が違うのだ
また宝珠の獅子の木口の形は長井の獅子頭の特徴が伺えるので長井出身の彫り師だろう
どちらも何処かで見た様な作風だ
宝珠の獅子頭の眉と瞼の形が笹野観音の金獅子と同じ様式に気づく
一方、角の方は白鷹の萩野の獅子頭の顎の構造に似ているのだ
再調査したいので何方かご存知の方はご一報願いたい