西大塚薬師堂の東に岡地区があり、その個人宅へ獅子頭を拝見に出掛けた。
大塚駅踏切付近である。
岡地区には十二神将の石の祠があり、年に一度大晦日に公民館に集まり祭りとするらしい。
獅子頭には記名があり「渡辺重左衛門」の作で明治25年4月とある。
塗師は「永井屋鶴之助」である。
その家のご先祖は昔、他人の保証人になり財産を差し押さえに事になったが、獅子頭と仏具だけは
直前に親家が預かり難を逃れたという。
幕もあり、獅子舞を行なった微細に痕跡が残されているが、記録は無く詳細不明のままであ
る。
近くの薬師堂は岡の十二神将の別当で、昭和28年頃まで「追い獅子」「やー獅子」と称され
る。獅子頭は個人所有で十二神将のお祭りに若者達が、その獅子頭で地区を練り歩いていたの
だろう。
獅子舞は特別習ったものでなく獅子舞を行なっていたそうなので、この獅子も同じと推測でき
る。
同じ頃この地で「北方念仏踊り」を青年団組織で行なった写真の記録があり、随分地区の若者
達が活発であったかが伺える。
獅子舞いは明治25年頃から行なわれ、昭和初期で途絶えてしまったのではないだろうか?
この獅子頭の作者である渡辺重左衛門は置賜総合病院の南の中沖地区に生まれ、米沢や川西の
獅子頭を制作している。
この獅子頭の形が良く見られるので渡辺氏の作と直ぐ分かった。
獅子箱も残されていて、白鷹の山口で見た蓋がドーム状になっている蓋である。
この獅子頭は本舗初公開。
初めて聞いた塗師名「永井屋鶴之助」が興味深く怪しい。
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