神社拝殿ミュージアム

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あらためて伊佐沢神社の拝殿の内部を見て驚いた・・・何回も見ているはずなのに。

古いのに、大きくて鮮やかな絵馬が飾られ、鬼面や獅子頭の数々。



合社された八幡神社の絵馬ではないか?

元治元年の絵馬だが、背景のウルトラマリンの顔料は如何に入手したのか・・?

暗い拝殿で一際光っている。

見る者の感受性によって変わったのだろう。

以前関心が無かった物も、数多く見ていると脳の何処かの回路が繋がるのかも知れない。

正に目からはらはらウロコが落ちる状態だ。





この絵馬の明治27年の記名と同じ年に梅津弥兵衛の獅子頭も奉納されている。

明治27年前後に何か記念すべきことがあったのか・・?

一番の目的は婆獅子検分であったが、絵馬にも目覚めてしまったようだ。

大きな絵馬には元治元年と見えるあるが、その他は顔料皮膜が剥離して赤外線カメラでも判別

出来なかった。この大作の絵師の足跡も謎である。




花筏の化粧回しも展示している。平成8年頃齢90の翁、山口久吾氏との出会いがあり

獅子宿に展示していた事がある。この化粧回しは紅花で染めた毛氈(もうせん)地に花筏

の文字を中に綿を入れ膨らませている手の込んだ仕事だ。

木製の鬼面はかなり前から板壁の鴨居に差し込まれたままで、茅屋根をトタンに葺替えしたと

きに取り外されたのだろう。邪鬼によって厄から神社を守ってきてひっそりと引退している。




口を開けた鬼面と口を閉じた、仁王のような表情の鬼面である。

総宮神社の平吹市之丞寄進し高橋小平の彫り風の鬼面なので赤外線カメラで記名を探ったが

見つからなかった。 合社した棟札を拝見すれば感動する名前が出て来るかも知れない。


記念撮影の写真も興味深い。

長井では最古の七代目梅津弥兵衛が写真館を始めたので、弥兵衛が撮影したかも知れない写真

だ。当時伊佐沢村長の山の神、鈴木琢磨氏の姿も伺える。ヒゲの立派な宮司も興味をそそる。




まだまだあった

神社の西隣に寂れた小屋がある。小屋と言っては失礼だった。

婆獅子が奉納されたという中伊佐沢にあった稲荷神社だったのだ。

大正16年ゴロに合社というか伊佐沢神社として合併されて仕分けされてしまった時に

曳いてここまで運ばれたのだそうだ・・・高橋敏永宮司伝




現在の元稲荷神社は獅子舞保存会のお休み宿になっている。

以前から何か曰くありげな建物と感じてはいたのだが・・まさか。

板壁に薄ら文字が見えるので、先月米沢の長手 三宝荒神神社の拝殿にあった墨書

を思い出し、赤外線カメラで撮影するとアルアル!!

落書きもあるし、川柳らしきものもある。三宝荒神神社の拝殿も昔、出羽三山詣りの

行屋だったらしいので、ここも行屋だった可能性も出てきた。






長くなりそうなので、ちょっと休憩



肝心の婆獅子を拝見した。

大きい!しかしその割に軽い・・かなり薄く彫り込まれていている。

彫りが大胆で、しかも繊細に眼の内部や鼻の内部を彫り込んで、6mm厚位で薄く軽量化

を計っているようだ。


これは、やはり成田八幡の最古の獅子頭の作者と推測している高橋小平色が強くなる。

いゃぁぁぁダイナミックだ!




青い矢印をお気づきだろうか?

実は見た事無い大きなコブ?状の突起だった。タテガミで気がつかなかった。

角でも無い、宝珠でも百毫でも無い・・・謎の追加オンパレードである。



顎の軸穴付近の形も、どこかで見たよーな気がする。





軸棒の位置も成田八幡の獅子頭の位置と同じである。


念仏踊りの写真もありちょっと色付けしてみた。





境内での撮影バージョンもある。



大正8年の貴重な写真を詳しく分析してみる事にする。
2016.05.03:shishi5:[獅子彫り日誌]

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