大工 高橋小平の名前が、成田八幡神社の棟札にあったという資料を提供戴いた
明和九年(1772年)8月29日の棟札の写しである
小平は成田八幡神社の建造に関わっていた
恐らく小平は宮大工で社殿の建築や梁などの彫刻を手掛けたのではないか
総宮神社の鬼面制作は天明二年(1782年)なので十年前の仕事である
鬼面の寄進者兼塗師である飯沢市之丞は婿入りし、後に平吹市之丞となり
文政(1804年~1817年)年間には五十川の肝煎を勤めていたので鬼面寄進の動機は察する事
が出来る
前回の話題に有った平山熊野の獅子頭制作は安永九年(1780年)である・・
総宮神社略史の「牛の涎」に安永年間(1772年~1780年)、に宮村の大工小兵衛に命じて獅
子頭を似せ造らせたり・・とあり、小平作の幻の獅子頭の記録が残っている
(尚、小平と小兵衛と紛らわしいが同人物と考えている)
総宮の獅子頭制作と平山熊野の獅子頭制作が同時期なのが分かり、大工として実に脂の乗り切
った時期なのであっただろう
だんだんぼやけていた小平や市之丞の姿が現れて来た
成田の獅子頭も、この頃の作と考えるのが自然ではなかろうか
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