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エコノミーとハピネス



幸福学の第一人者である前野さんの講義。

発展途上の研究なのだろうが、
とても興味深く面白い。

エコノミーとハピネス。

GNPに対して、
地域総生産量(Gross Local Product)というのは
当然考えられるだろうが、

国民総幸福量(GNH)という概念があるのなら、
地域総幸福量(Gross Local Happiness)
という指標があっても面白い。

総生産量では敵わなくても、
総幸福量ならばどうか?

安全も健康も経済も、
一定程度担保されている「先進国の田舎町」って、
頑張れば案外いいとこ狙えると思うのだが。

個人的には、両方バランス良く上げていくのが
地域としては吉。
2018.01.11:NAO:コメント(0):[読みログ]

年の変わり目に思ったこと

勉強と研究の違いは何か?

自ら仮説を立てて、それを実証するのが研究で、
誰かの研究結果を学ぶのが勉強。

と定義した上で、
「まだ誰もやっていないかどうか?」という切り口は、
これからの時代をサバイブしていく世代の人にとって、
特に重要な観点のひとつではないかなと感じる。

(馬鹿馬鹿し過ぎて誰もやってないとかいう類のものも含め。)

地元からそういうマインドセットを持った人財が
沢山現れてほしいと願うし、
そういう場づくりが必要だと思う。

地域の至宝たちよ、共にググろう。
2018.01.01:NAO:コメント(0):[メモ・雑感]

赤ん坊の豪速球

  • 赤ん坊の豪速球
午前3時。

半ば朦朧としながら、
産まれたての赤ん坊とガチで対峙していると、
時折人間の眠っていた能力が呼び起こされる。

当たり前だが彼らは言葉を話すことが出来ない。
だから自分の感情や要求をノンバーバルな
パッションで伝える他ない。

にも関わらず、
我々大人はその要求を割と的確にキャッチする。

(と言っても、腹が減ったとか、
うんこして気持ちが悪いだとか、
何と無く物足りないから抱っこしろだとか、
要求の種類は限られてはいるのだが。)

何が言いたいかというと、
我々は普段言語に頼り過ぎていて、
言葉を獲得する以前にあったはずの
発信と受信の能力をあまり信用していない。

以前海外を放浪したときに感じたことは、
「めっちゃありがとう」とか「まじごめん」とか、
ここ一番で伝えないといけないことは
言語を習得していなくても伝わるということだ。

というか言語が話せない方が
伝わるかも知れないとさえ感じる。

野球投手でいうところのコントロールが、
ニュアンスを正確に伝えることだとすれば、
パッションはスピードとか球威みたいなものだと思う。

赤ん坊が投げる球は、常に大谷翔平ばりの豪速球です。
2017.12.26:NAO:コメント(0):[メモ・雑感]

言葉に体温と体重を乗せる



言葉に体温と体重を乗せる。

人前で話す機会を頂いたとき、
流暢に話せた時ほど実はスベっている、
みたいな現象はよく起こる。

カラクリはそういうことだったか~と納得しました。
(政治とは全く関係ないですが)

体温→実体験に基づく感動

体重→実績に基づく責任や覚悟

みたいに解釈しましたが、
「本音」で話せているときとそうでないとき、
音声データの波形を取って比べてみたら、
意外に面白い結果が出そう。
2017.12.20:NAO:コメント(0):[読みログ]

テクノロジーの進化がもたらすもの

  • テクノロジーの進化がもたらすもの
未来に想像を働かせてみる。

テクノロジーの進化がもたらすもの。

それは多分、あらゆる境界が曖昧になり、
取り払われていくことだと感じる。

国と国との境界、
現実と仮想との境界、
人間と機械との境界、
健常者と障害者との境界、
大人と子供との境界、
自分と他人との境界、などなど。

今現在物理的な壁として存在しているものの間に、
テクノロジーが仲介することで、
それは次第に溶け合っていくだろう。

時間と空間は限りなく圧縮され、
紛争や格差などの現存する問題が、
AIによって最適処理されていくだろう。

人口は次第に減っていって、
もしかしたら地球にも優しいかも知れない。

それほどインターネットという
技術革新がもたらしたインパクトは甚大だなーと感じる。

それが人類という種にとって、
良いのか悪いのかは分からない。

僕という個体にとって、
良いのか悪いのかも分からない。

生きるという過程において課題となるものを、
すべて取り除いていった先の黄昏の世界には何が残るか?

ふと「風の谷のナウシカ」のワンシーンが浮かんだ。
2017.12.06:NAO:コメント(0):[メモ・雑感]
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