長井市中央地区公民館

 創建年月不詳。古来加賀の白山権現を勧請し白山宮として鎮座。
同じ境内にあった白山寺(明治3年廃寺)が別当寺であった。明治初年
の神仏分離に際し、白山神社と改め宮村一村の鎮守とした。明治6年
宮村大火で類焼した後、土蔵造りの本殿に再建した。昭和6年3月不審
火により社殿焼失、氏子の寄付によって9月に再建したのが現社殿で、
棟梁は黒坂秀吉であった例祭には十日町子供会の獅子舞が行われる。

昭和61年度設置。平成5年度再設置。平成29年度修復予定。


 当山の開基は古く平安時代の寛仁元年(1017)の開山と伝えられ、
始めは法相宗であった。
天保14年遍照寺34世諦真(たいしん)和尚が再建し、現在の堂宇は平成
元年に住職 神尾昭臣が新築したものである。
 本尊は大日如来。他に菅谷不動尊分霊・境内に弁才天尊・子育地蔵
尊がまつられている。
 年中行事のうち、4月28日お不動様のお護摩、昔から目の神様として
信仰を集めている。7月末、弁天様の祭礼は子供会が中心になって行わ
れている。

昭和63年度設置。平成15年度一部内容の変更。



 橋の形がT字形で、鐘を鳴らす撞木に似ていたので撞木橋と呼ばれた。
昔ここで2本の川がY字形に合流し、横50m、縦17mの大きさの橋だった
という。
 今の橋は昭和6年(1931年)に架けかえられたが、橋の欄干の常夜燈は
太平洋戦争中に供出された。昭和59年(1984年)長井市制30周年を記念し
て再び安らぎの灯をともし旧状を復元するため、県と市と町の人々の善意
と奉仕によって昔の形のままの常夜燈が設置された。
 また、西にある名刹摂取院は信仰と学問の中心で、寺子屋修身館(1853年)
があった。近くの常楽院に隠居した名僧宥日上人が袈裟を枝に架けた松も
この橋の北たもとにあった。

平成6年度設置。平成28年度修復。



 昭和56年3月8日建碑除幕。詩文は「青猪」の詩の一節。

 青ゆき 美しく つもりて
 谷なすところ 崖なすところ
 青猪はしる 青猪走る
 ああ
 雪降りたり 青き縞なして
 雪は つもりたり

青年の頃から農民運動に参加し、昭和7年25歳で処女詩集「街の百姓」を
敢行。
 戦後終始野にあって市民平和・民主教育・自然保護の諸運動を続けな
がら、日本の農の文化史を射程において詩の連作をつづけ、多くの後輩
を育成する。
 毎日出版文化賞受賞。
(平成5年度設置 平成19年10月に宮原から白つつじ公園内に移設)



 恵日山常楽院は始め御影堂(みえいどう)と呼ばれ、遍照寺中興開山
宥日上人が隠居(閑居)されたところであった。上人はこの寺で時を過
ごされるうち、77才の正月13日(文政4年)その行方がわからなくなった。
その時この井戸の端に履物が脱ぎそろえられてあったため、さてわと井
戸替えをしてみたが、出てきたものは古い石塔一つだけだったので、こ
の石塔を井戸のほとりに建て置き上人の形見としてあがめまつった。の
ちに御影堂を建立してその仏壇に安置したと伝えられている。
 上人は不思議な霊力を具え、ことに火伏せの霊力が著しかったとされ
るため、ご命日には近郷近在からこの井戸の水を汲みに来る者群をなし
たといい、今もなおお水取りに来る人が跡を絶たないという。

昭和59年度設置。平成17年度修復。



 当山は高僧宥日上人が晩年閑居の地として文明元年(1469)開山、
不動明王の像を刻して本尊とされた上人の遺跡であり、特に火難消除
の祈祷所として知られ、春の大般若の日に上人ゆかりの井戸水を汲ん
で屋根にかけると火難を免れると伝えられ、今も信者でにぎわう。
 大正6年長井町大火の際 不運にも類焼し、同10年再建された宥日堂
を本堂として現在に至っている。
 寺宝に本尊不動明王・宥日上人御真筆・十六善神軸・文殊ボサツ像
等があり、特に文殊様のお祭はアカザ祭りとしても古来格別のにぎわ
いである。

昭和61年度設置。平成15年度修復。