長井市中央地区公民館

 雅外は明治期の川柳の名家として知られ五十川の悠哉、荒砥の卜枝とともに
西部の三傑とうたわれた。本名は加藤源四郎といい、天保7年の生まれ、郷土の
川柳の始祖は緑庵(みどりあん)太橘であり、太橘の没後文莠が二世となった
が、早世したので雅外が推されて緑庵三世を継ぎ指導者となった。この碑は明
治26年4月1日、培柳社同人が雅外を顕彰するために建てたもので、書は元老院
議官金井之恭の筆である。
明治29年10月15日の永眠。60歳。
(昭和62年度設置)





▼コメントはこちら
名前

件名

本文

URL

画像

編集/削除用パスワード
※半角英数字4文字で自由に入力下さい。


手動入力確認イメージ
※イメージ内の文字を小文字の半角英字で入力して下さい。



 ※ 投稿後、すぐに反映されます。