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2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 18

  • 2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 18

平成26年度「長井の心を育む推進事業」で公開した写真を取り上げる。

長井のまちには、その歴史の中で様々な建物があらわれては消えを繰り返してきた。現存しているものもあれば消えてしまったものもある。その時々の人々の暮らしを彩り、時代を形どってきた建物等を、大正3年・昭和9年の時間軸周辺でご覧いただく。

 

通りの大正3年対昭和9年

 

             大正3年の地図

 

 

明治43年当時の本町通り。石川肉店あたりからの風景とされている。この道路は明治以前からある古い道路だ。両側には切妻屋根が多く茅葺だ。道路はもちろん砂利道で側溝もある。切石組みと素掘りの側溝が混在している。

 

 

昭和23年の本町通り。

 

 

              昭和9年の地図

 

 

昭和9年町勢要覧掲載の写真。現在の中央十字路から西方を撮影したもの。奥に長井駅が見える。両側にすずらん灯(街路灯)があるが、駅側と十字路側でデザイン違う。道路は昭和8年に長井で初めて舗装された。ちなみに、長井で初めて自動信号機が設置されたのも中央十字路で昭和37年9月のこと。当時は中央十字路を「山交十字路」といっていた。中央に変わるのは昭和38年以降のこと。

 

 

 

2015.04.22:n-old:[歴史的建造物]

2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 17

  • 2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 17

平成26年度「長井の心を育む推進事業」で公開した写真を取り上げる。

長井のまちには、その歴史の中で様々な建物があらわれては消えを繰り返してきた。現存しているものもあれば消えてしまったものもある。その時々の人々の暮らしを彩り、時代を形どってきた建物等を、大正3年・昭和9年の時間軸周辺でご覧いただく。

 

橋の大正3年対昭和9年

 

             大正3年の地図

 

 

大正14年の町勢要覧に掲載された長井橋写真。東山から西方を望む。木橋だ。

 

 

大正3年町勢要覧に掲載された「撞木橋」写真。バックに長井警察署庁舎が写る。

 

 

大正14年の町勢要覧に掲載された撞木橋写真。

 

          昭和9年の地図

 

 

昭和9年町勢要覧に掲載された長井橋の写真。昭和6年12月12日に「長井橋「長井大橋」同時に竣工した。ワーレン式トラス4連橋。照明がつけられているが、両橋ともデザインが違っている。

 

 

長井橋の灯具デザイン

 

 

昭和9年町勢要覧に掲載された長井大橋の写真。長井橋とは双子のようだ。

 

長井大橋の渡り初め後の記念写真。左に旧長井大橋が見える。

 

 

長井大橋の灯具部

 

 

昭和9年町勢要覧に掲載された「撞木橋」の写真。渡り初めは昭和6年12月30日。

 

 

 

 

2015.04.20:n-old:[歴史的建造物]

2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 16

  • 2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 16

平成26年度「長井の心を育む推進事業」で公開した写真を取り上げる。

長井のまちには、その歴史の中で様々な建物があらわれては消えを繰り返してきた。現存しているものもあれば消えてしまったものもある。その時々の人々の暮らしを彩り、時代を形どってきた建物等を、大正3年・昭和9年の時間軸周辺でご覧いただく。

 

銀行の大正3年対昭和9年

 

    大正3年の地図

 

大正3年は長井駅開業そして、長井に初めて電灯が灯った記念の年。その時代に銀行は3行確認できる。

 

 

大正3年発行の町勢要覧に掲載された「両羽銀行長井支店」の写真。両羽銀行(現山形銀行)は、明治29年4月14日山形市に開業。長井町には明治30年3月15日、宮十日町635番地(第八十八国立銀行長井出張所内)に「両羽銀行長井出張所」として開設された。そして同年4月1日から営業を開始した。同年6月30日には第八十八国立銀行長井出張所が廃止となり、両羽銀行がその業務を引き継ぐ。

明治33年11月6日、同じ十日町560番地に移転。地図の箇所が、それ。明治34年8月1日には出張所から長井支店に昇格。

 

 

大正3年の町勢要覧に掲載された長井銀行の写真

 

 

明治41年の絵葉書写真

 

株式会社長井銀行は明治30年10月27日、小出2485番地に資本金6万円で設立された。前身として明治24年3月、共興会(または芝興会)がある。明治37年11月にあら町に移転する。

大正3年当時の頭取は横山孫助。長井銀行は昭和8年8月11日に羽陽銀行に買収され、姿を消した。

 

 

株式会社第百廿五銀行長井支店の写真。これも、大正3年発行の町勢要覧に掲載されたもの。いつから設置されていたか不明だが、大正3年にはあった。当時の支店長は石口寅之助。

株式会社第百廿五銀行の前身は、明治11年12月19日、米沢に開設された第百廿五国立銀行。明治30年8月11日には株式会社第百廿五銀行となり、昭和2年4月11日まで存在した。

 

      昭和9年の地図

 

 

 

 

写真は、現NTT敷地に建っていた旧羽前銀行長井支店の建物。昭和26年に「置賜信用組合(現山形中央信用組合)」が入居した。

羽前銀行は昭和3年10月10日、荒砥町大字石那田958番地に資本金100万円で設立された。荒砥銀行・赤湯銀行・沖郷銀行が合併したもの。

長井町には昭和4年10月、「大字宮境町西1 460番地2(現NTT敷地)」に長井支店として設置された。昭和15年8月1日には両羽銀行に合併し、羽前銀行は姿を消した。

 

 

大正15年9月25日、宮境町東2に新築移転した「両羽銀行長井支店」。赤レンガ造り。両羽銀行はその後、昭和15年8月1日に羽前銀行を買収、昭和16年11月1日に羽陽銀行を買収。昭和40年には山形銀行と改称した。

 

羽陽銀行長井支店は、昭和8年8月11日、長井町小出1267番地に設置された。その後、昭和9年10月1日に長井町小出2457番地に移転、昭和16年11月1日の両羽銀行に買収されるまであった。羽陽銀行は左沢町左沢379番地に資本金15万円で設立された「左沢銀行」が前身。昭和4年12月31日に羽陽銀行と改称。 

 

 

2015.04.17:n-old:[歴史的建造物]

2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 15

  • 2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 15

平成26年度「長井の心を育む推進事業」で公開した写真を取り上げる。

長井のまちには、その歴史の中で様々な建物があらわれては消えを繰り返してきた。現存しているものもあれば消えてしまったものもある。その時々の人々の暮らしを彩り、時代を形どってきた建物等を、大正3年・昭和9年の時間軸周辺でご覧いただく。

 

商店・料亭などの大正3年対昭和9年

 

     大正3年の地図

 

 

トモエヤ商店。大正3年11月15日、長井線が長井駅まで開通、合わせて長井に初めて電灯が灯った日だ。その祝賀風景を写した「トモエヤ商店」写真。商店右側に、列車時刻表を掲示した看板と裸電球の装飾が写る。

 

 

 

 

この3枚の写真は「香文閣」。大正3年の地図に表記されている。いつまであったのか、記録はない。栄町・芳賀醤油店の北に位置していた料亭だ。

 

 

「三清楼」の門構え写真。昭和23年の撮影。香文閣と同様、料亭である。

 

 

角万旅館写真

 

 

森旅館。大正3年発行の町勢要覧、商工年鑑広告に掲載された写真。

 

 

長井屋旅館。大正3年発行の町勢要覧、商工年鑑広告に掲載された写真。

 

        昭和9年の地図

地図上の表記はない。駅前通りにあった「三芳屋商店」。

 

東町にあったと考えられる「グリーンホール」。和洋食・レストランと看板に。

 

2015.04.15:n-old:[歴史的建造物]

2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 14

  • 2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 14

平成26年度「長井の心を育む推進事業」で公開した写真を取り上げる。

長井のまちには、その歴史の中で様々な建物があらわれては消えを繰り返してきた。現存しているものもあれば消えてしまったものもある。その時々の人々の暮らしを彩り、時代を形どってきた建物等を、大正3年・昭和9年の時間軸周辺でご覧いただく。

 

公共建築物等の大正3年と昭和9年

 

     大正3年の地図

 

大正3年は長井線がようやく長井駅まで通り、電気もようやく通電された年だ。前出の役場や学校等の公共建物等の他は、あまりない。地図の「長井税務署」は郡役所東に位置し、写真は見つかっていない。山形県蠶業取締所はカイコを指導と取り締まる県の出先で、大正3年の町勢要覧に掲載された写真は下記に。

 

 

明治31年、本町に長井検査所が設置されるが、その後事務所は転々とした。明治35年には舟場、明治38年に「蠶病予防事務所」と改称、明治39年には西置賜郡会議事堂に移転、明治40年に「蠶業取締所」と改称、明治41年には十日町大正倶楽部に、そして大正2年、ようやくこの場所に落ち着いた。

 

 

合資会社長井倉庫の写真。業務内容はわかっていない。

 

 

         昭和9年の地図

 

 

 

昭和9年の町勢要覧に掲載された「長井税務署」の写真。前身は明治26年12月1日、「長井収税署」として西置賜郡役所東に設置されたもの。明治27年には「長井税務署」と改称。上記写真は西置賜郡役所の南側にあった「初代西置賜郡会議事堂」の跡地に昭和4年、新築移転した。開庁式は昭和4年3月10日。

 

昭和9年の町勢要覧に掲載された「長井繭市場」の写真。これは大正15年7月1日に「長井産業株式会社」を「有限責任長井繭市場信用販売購買利用組合」と改称したもの。前身は大正11年1月に「長井産業株式会社」だが、この名称も改称した、という記録があるが、おおもとの名称はわからない。長井産業株式会社時代の建物写真がある。

 

これは大正14年の町勢要覧掲載の「長井産業株式会社」。

 

 

長井初の自動車学校「山形県太陽自動車学院」。昭和2年に設立、昭和3年に新校舎を竣工している。昭和2年10月、バス運営会社・昭和自動車の階上につくり、運転手を養成した。長井橋河原に1,000坪の練習場をつくり、1期15人の養成を目指した。撮影は昭和3年7月。入口に「○○公認太陽○○」とある。職業学校法令に基づく正式な認可も受けている。

 

写真は残念ながら昭和29年以降、長井市となってからの「長井市消防署の写真。この建物は大正9年に栄町(現あやめ交番あたり)に建設、昭和46年まで使用された。建物の北側には「火の見櫓」があって、昼夜監視にあたっていた。

 

 

 

昭和9年発行町勢要覧掲載の写真。「米沢区裁判所出張所」は大正7年に設置された。

 

 

昭和9年の町勢要覧掲載の写真で「長井農業倉庫」。長井駅前通りの現JA長井出張所の場所。農協発足後は農協の米倉庫として使用された。

 

 

 

 

 

2015.04.13:n-old:[歴史的建造物]