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ながいまちなみ物語 18 栄町通り

  • ながいまちなみ物語 18 栄町通り

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

 栄町通り。昭和31年5月26日に繰り広げられた「山形県都市訪問駅伝競走」のスタート写真だ。場所は、現在の仁陽堂外田医院前から北方を撮影。現在の今野石材店北がスタートラインだった。真ん中に見える電柱の後ろが岩城屋さん。ちなみに、この競争は「昭和の大合併」を記念して昭和30年に第1回目、昭和31年ということは第2回大会である。岩城屋さん以外は街並みが変わっている。

2014.10.07:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 17 桜堤防道路とさくら橋

  • ながいまちなみ物語 17 桜堤防道路とさくら橋

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

ながいまちなみ物語16市役所前通りの東側の写真。昭和35年春。大正9年当時は「櫻堤防道路」と呼んでいた。木蓮川に架かる橋は「さくら橋」。橋を境に舗装道路と砂利道に分かれている。舗装は昭和34年11月のこと、まだ半年もたっていない。奥の堤防沿いには「大正天皇御即位記念桜」が見事な花を見せている。4間間隔で植えられた。両側はまだ田圃と畑が広がり、民家1軒が見える。のんびりと花見にいくのだろうか。気持ちよさそう。

 

 

さらに、その奥の写真。貸し切りバスで花見なのか、堤防に多くの人がいる。この時代には、堤防に通ずる道路南側にも桜が植栽されていた。

(資料:文教の杜、長井市史)

2014.09.24:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 16 市役所前通り

  • ながいまちなみ物語 16  市役所前通り

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

市役所前の通りの舗装工事写真。昭和34年の秋。工事完成は11月となっている。左側には、真新しい市役所庁舎が写っているが、完成は昭和33年11月3日なので、ピカピカだ。市役所の奥には長井小学校、手前に松の木が見えるが、当時の町会議員が植えたもので「議員松」と呼んでいる。現在は16本だが、古株は5株ある。その奥には、ちょっと見えにくいが、「慈愛の像」がある。昭和32年5月3日の建立で、PTAが新学制施行10周年を記念して長沼孝三氏に製作を依頼したもの。

目を右側に転ずると、西方石炭店、そして、写ってはいないが長井保健所、続いて市役所分庁舎が少し見える。保健所は昭和15年7月6日に完成しその後昭和26年に増築している。分庁舎は、現在の第二庁舎のところ。市報では、この建物は「昭和22年ごろの自治体警察庁舎」となっている。

 

 

 

同じ舗装道路工事写真で、長井駅の方向。右側に市役所の駐輪場と駅前の街並みが連担している。

 

 

同じ長井駅の方向写真。左側に山交バス駐車場、その奥に「組合のくすり」の看板。協同薬品だ。これは昭和21年に全国製薬株式会社東北工場として操業開始し、翌昭和22年には協同薬品工業株式会社と変名、昭和28年工場の増設、昭和35年には現在の郡是通りに移転した。

右側の建物は、佐々木釣具店、その西隣は職業安定所の建物がある。この建物は昭和37年まで使用され、以後市役所の分庁舎として利用された。

 

(資料:文教の杜、長井市史)

 

2014.09.22:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 15 長井小学校前通り

  • ながいまちなみ物語 15 長井小学校前通り

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

明治43年の長井小学校前通りの写真。右側に私立盲学校が建っている。写真には写っていないが、左側には長井町役場がある。ちょうど、現在の中央十字路西からの撮影。この校舎は明治15年5月、宮小出両村の中央に統合した校舎を新築、以後6回の増築を行い「コの字」形の堂々とした風景を作り上げた。始めは「宮小出学校」と呼んだが、「平章(へいしょう)学校」と変わり、明治20年には「長井高等尋常小学校」、明治38年「長井尋常高等小学校」と改名した。

撮影の位置は、下記地図の②

 

 

私立盲学校は、西置賜唯一の慈善公益事業であった。長井町の竹田嘉蔵氏が私費を投じて点字講習所を開設したことが始まりで、明治43年4月8日に県の認可を受け、学校を開設したものだ。

 

(資料:文教の杜、長井市史)

2014.09.19:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 14 西置賜郡役所前の通り

  • ながいまちなみ物語 14  西置賜郡役所前の通り

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

明治政府が威信をかけて威厳ある建物群をつくった。それが、郡役所であり郡会議事堂だ。郡会議事堂は、明治44年10月の竣工であるため、そのころの写真と考えられる。

下部地図の①の写真撮影の方向。右に明治44年10月に竣工した郡会議事堂、その隣が明治11年11月落成の郡役所だ。その奥には旧郡会議事堂が写る。それぞれに門柱があり柵も張り巡らしている。建物群の前の道路は、通り抜けができない。手前の郡会議事堂は、奥にある旧郡会議事堂が老朽化と手狭になったため郡役所北に新築されたものだ。

 

 

②方向の写真。郡役所を正面から撮影した写真で、明治41年のスタンプが押されている。郡役所は明治11年、その左側に少し写っている建物が旧郡会議事堂だ。明治22年7月に建てられ、梁間6間、桁間10間の二階建西洋風、予算は千円だったようである。洋風建物が三つ連なる風景に、当時、茅葺屋根がほとんどであった住民の驚く顔が目に浮かぶようである。郡役所に通ずる道路の右側(北側)には税務署があった。

 

大正1年ころの地図。長井駅がまだない。

 

(資料:文教の杜、長井市史)

 

 

2014.09.18:n-old:[歴史的建造物]