医療法人社団聰明会 みゆき整形外科クリニック

医療法人社団聰明会 みゆき整形外科クリニック
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毎日の午前午後の外来、施設の回診、学校での講義とその準備、産業医、学校医、各種審査会委員での仕事等々、振り返ってみると私もほかの医師と同様に働きすぎ(働かされ過ぎ)症候群だと思います。ボロボロになる覚悟はできているのですが、年のせいか愚痴が口をついて出ることが多くなりました。亡き教師だった父がある町の教育長になっていた時に「年を取って役職が上がれば上がるほど忙しくなり、休みがなくなる。」と言っていたのを思い出します。まだ世の中は還暦になったら定年退職の時代です。高齢者になっても現役で年と共に仕事が増えるのは自分の体を痛めつけ、ボロボロになっていくという事です。医療以外でも外来に来る会社勤めの人や、農業従事者の方たちを見ると強くそう思います。ましてや私は対人商売なので精神的にかなり疲れます。医学の経験を積んでそれなりに医学的なことに関しては自信があるのですが、理不尽な要求や責めを受ける事が最近はさらに増えてきているような気がします。最近の例を2,3ご紹介します。
神経障害性疼痛治療薬を処方した患者さん、「お前にもらった薬を飲んだらわき腹の皮膚にぶつぶつができた。」私「(ん、もしや薬診か?)どれどれ、あー、これはつづらご(この地方では帯状疱疹の事をこう呼びます)ですよ。体の抵抗力が弱くなると出やすいウィルス性疾患ですよ。薬出しておきますね。」
変形性膝関節症の患者さん、「お前にされた注射のせいで余計に膝が痛くなった。」私「あなたにしたのは麻酔薬の入った注射ですよ。麻酔の注射で余計に痛くなるはずはないんですが。」よくよく聞くと注射して具合がいいので畑仕事をしたら前より余計に痛くなったとのこと。それは注射のせいではなく畑仕事をしたせいでしょうが。
骨粗鬆症の薬を処方している患者さん、「最近前歯がぐらぐらしてきたのはお前の出した骨粗鬆症の薬のせいだ。」私「どれどれ、これは年を取って歯茎が萎縮して歯がぐらぐらしてきたのですよ。年を取るとだんだん歯がぐらぐらして亡くなっていくもんですよ。だから年寄りで入れ歯の人が多くなるのですよ。」
患者「いいや、この薬の説明書にあごの骨が悪くなると書いてある。きっとこのせいだ。」私「それは、この薬を飲むと10万人に1人の割で下顎骨の骨髄炎になる人がいます。交通事故で死ぬ確率よりも低いんですよ。それにそうなった人のほとんどは口の中を不潔にしていた人ばかりなのですよ。」患者「いいや、この薬のせいだ。」私「ではほかの医者に言って相談してみてください。歯医者さんにも言って治療してもらってください。」等々。
最近圧倒的に多いのは薬のせいで悪くなったというものです。それに対する説明で納得してもらうのに時間がかかるし、そうなると他の患者さんが「いつまで待たせるんだ。」とあからさまに顔に表して診察室に入ってくるので、気の弱い私としてはつらいものがあります。
介護の方でも様々なクレームがあります。「何かあったらすぐに病院に連れて行け。」病院の方では「この方はもう看取りの方ではないのですか。そう何回もつれてきてもらってもこちらも困ります。」私「申し訳ありません。家族の方がどうしても病院というものですから。病院の先生の方から家族に引導を渡していただけないでしょうか。」と頭を下げてお願いしています。
こういう人の中には、老人の年金に頼って生活している家族がかなりな数混じっています。遺族年金なんて月に何十万になるのではないですか?公務員だった私の父親の年金もすごかった。月に20万円以上はもらっていたと思います。私の年金は月7万と年金お知らせ便に書いてありました。雲泥の差といっていいでしょう。そういう高額の年金をもらっているお年寄りに安易に死んでもらっては生活が苦しくなる家族がたくさんいるのです。だから、親が死んでも葬式も出さないで役所に届けずにミイラ化して部屋から発見されるなんて例が最近後を絶たないのです。つくづく情けない世の中になりました。
その他にもあきれるクレームが山ほどありますが、それは次回にでもお話ししましょう。嫌な暗い話ばかりしていると心が腐る。
先月、初孫が生まれました。嫁いだ娘が産後しばらくは我が家にいてばあさん(私の妻)がいっしょにめんどうをみています。かわいいものです。今までは赤ん坊が泣くと「うるさいな。」とだけ思っていました。だから小児科の先生なんてよくやるよと思っていました。しかし、自分の孫と思うからか泣くのもかわいいものです。それとも「じじい」になった心境の変化でしょうか。
数か月前に患者さんとの話の中で、自分の子供でもなくてもかわいい、泣いたら余計にかわいいという人がいました。そういう人も世の中にいるんだなと感心しましたが、自分の初孫を見ているとそういう気持ちもわからないでないようになりました。
世の中そんな気持ちの人が多ければ、クレームばかりの殺伐とした国も再びいい方向に変わっていくことでしょう。わが初孫が大人になる時には、自分勝手な意見を強引に通そうとする殺伐な社会から日本が脱却していることを願うばかりです。
病気になった人間を絶対に死なせないで助けることができるというほど医学は進歩していませんが、今年5月に亡くなった母にひ孫を見せてあげたかったと思う今日この頃です。


私事ですが、今月母が亡くなりました。91歳でした。白鷹あゆみの園に入所しており、肺炎を発病し、病院に入院して1か月間の闘病生活の末に亡くなりました。
肺炎だったので、毎分5リットルの酸素投与にもかかわらず、苦しそうな顔で、脈拍も最後の日は1分間に130回、臨終時には1分間に200回にもなっていました。何もできず、私はそばで最期を看取ってあげるだけでした。
母は、昭和20年の東京大空襲を生き残り、その後当時死病と言われていた肺結核を発病し、7年間の闘病生活を送ったのちに病を克服して、結婚し私を生んでくれました。そのせいもあり昔はよく、「私は一族の中で一番早く死ぬんだ。」と言っていましたが、結局一族の中での一番の長生きになりました。晩年は「私にはひしひしと死が迫っている。」「まだ死にたくない。」が口癖でした。
しかし、肺結核を患い片肺の機能がかなり落ちているので肺炎を起こしたら危ないとは思っていましたが、その通りになりました。母は、近年、体の衰えが目立ち、目も見えなくなり、発音も思うようにできなくなり、耳も聞こえなくなり、食事も、一人で食事ができる入所者の中で一番摂取に時間がかかるようになりました。認知症も進み、字も思うように書けなくなっていました。食事をとるのが非常に遅く、呑み込みが悪くなっていたのでしょう。誤嚥性肺炎を起こしたと思われました。
入院後、呑み込みがうまくできず、誤嚥を繰り返しているようだとのことで、点滴のみで飲食、飲水は禁止となりました。手足からの点滴のみでは一日百キロカロリーから多くても数百キロカロリーのエネルギー補給が限界です。それ以上では高濃度になるために末梢血管が閉塞してしまいます。ですから、母も例外なくみるみるやせ細っていきました。
私は施設での看取りを行っており、今まで何人もの人のご臨終の場に立ち会ってきました。人間は、病気以外では高齢になって呑み込みができなくなって、誤嚥性肺炎をおこしたり、食物をのどに詰まらせて死ぬのです。病気が治る見込みがない、またはいわゆる寝たきりで、意思の疎通もできない、自分で自力摂取もできないとなったならば、病院、施設では家族と話し合い了解を得たうえで、看取り対応をします。つまり、点滴で水分を補給するだけで自然経過を待つのです。そうするとそういう人たちの多くは、自分の体に残っていたエネルギーを全部使いきって静かに旅立たれます。
ところで、私の父は8年前に亡くなりました。アルツハイマー病を発病し、最後は寝たきりで、意思の疎通は全くできませんでした。父が、誤嚥による肺炎を繰り返すようになった時に、私はある決断を迫られました。このまま経過を見て呑み込みができなくなるようになったら、点滴して看取るか、経管栄養や胃瘻をして強制的に食べさせて延命を図るかのどちらかです。意思の疎通ができなくてもせめて父の暖かい体に触れていたいと思い、このまま死ぬのをただ見ているのは息子として、医師として悪い事のように感じ、病院で胃瘻形成をしてもらうこととしました。胃瘻形成の時、手術室で父が今まで出したこともないような大声を上げていたとの話を聞き、もしかしたら自分は父に対してかなり悪い選択をしてしまったのではないかと思うようになりました。その父も、その後一言も言葉を発せず、意思の疎通もないまま1、2年後にたぶん窒息と思いますが、突然亡くなりました。やはり、自分は父に対して悪いことをしてしまった、そのまま自然経過で看取ってあげればよかったという思いを強くするようになりました。それで、今回の母の場合は、そのまま看取ることに同意したのでした。
一日百キロカロリーの栄養補給でみるみるやせ細り衰えていく母を毎日見るのは、とてもつらいものでした。しかし、私も医者として看取りの患者さんに同じことをしているのだと思うと、今まで看取った患者さんの家族の気持ちもいかばかりであったろうと強く思うようになりました。
これからも私は否応なく看取りをしていかなければならないでしょう。亡くなっていく患者さんは、人間の運命、命の限界、さらに医学の限界としてしかたがないと思っても、その家族の方達の気持ちに対しての医師としての接し方をどうしていくべきか、母から教わったような気がしています。

 毎日忙しく働き、あっという間に4月になってしまいました。白鷹あゆみの園に増設した認知症棟もおかげさまで順調な滑り出しで、ほっとしています。何しろ2月から森友学園の話題がマスコミに毎日踊っていて、ついには4月を目前にして森友学園は小学校認可取り消しになってしまいました。他人事とはいえ、認知症棟も万が一問題が生じてうまくいかなくなるのではないかという不安を森友学園問題は私の心の中に搔き立ててくれました。
 それは大げさですぎるのではないかと思われるかもしれません。また、もしかして白鷹あゆみの園にも何か問題があるからそう思うのではないのか?と思われるかもしれません。いえいえ、認知症棟建設は手続きもしっかりとして、決してそんなことはないのですが、私にはトラウマともいうべき苦い経験があるのです。
十数年前に白鷹あゆみの園開設準備をしていた時に、クリニックと道路を挟んだ向かいに介護老人保健施設を建設した場合、医師はクリニックの医師1名でいいかどうか、山形県に相談に行きました。その時は山形県から時に問題ないというご指示をいただきました。そこで安心して、クリニックの向かいに白鷹あゆみの園の建設を始めた所、途中で「道路を挟んで建設する場合やはり医師はもう1名必要だ。」と言われました。過疎地で医師の数も少ないこの地で、もう1名の医師を確保するのは大変なことでした。そして、ようやく開設にあと2週間もないという時期に山形県の確認検査が入りました。山形県に提出した設計図通りに建設したはずなのですが、「このレベルの部屋で個室の差額料金を請求してはいかん。」と言われました。山形県には収入予測、返済計画等をすべて提出して認可を受けたはずなのに、個室料金がだめだと言われれば、経営が成り立たなくなります。そこで必死にお願いして個室料金を当初の半額とすることで山形県の了解を得ました。本当に大変な思いをしました。
このトラウマがあるので、タイムリーに森友学園問題、森友学園の小学校開設認可取り消しなどが起って、私は不安を感じていたのです。
森友学園問題は確かにかなり問題がありそうです。しかし、その教育方針には私は大いに共感するものがあります。マスコミは森友学園が教育勅語を子供たちに暗唱させていたとのことで問題にしていますが、人としての道徳を説いた文章は、日本人として代々継承されていくべきものです。教育勅語が戦前の軍国主義を連想して嫌だというのであれば、教育勅語の良いところを抜粋して、「日本人の道徳」という名前にすればいいのです。そして、道徳教育を充実させるべきです。
今の日本では犯罪がものすごく増えました。その証拠に日本全国の刑務所はどこも満杯ですべて収容しきれないために、犯罪を犯して裁判で刑が確定するまでに収容される拘置所も満杯になり、そのしわ寄せが、犯罪を犯して起訴するかどうか検察官が決定するまで収容される警察署の留置場に、起訴されたにもかかわらず、何か月も入っている人間がたくさんいます。今の日本はかつての犯罪の少ない安心安全の日本ではなくなっているのです。
この原因は戦後の道徳教育の荒廃に他ならないと思います。これからの子供達に道徳教育をきちんと行うことは今後の日本の存亡にかかわる問題です。このままでは、道徳的にまだまだ未熟というよりは、はたから見ていて道徳的にとても恥ずかしい韓国、中国と同じレベルになって、100年前までのように西洋に見下される国になってしまわないか心配です。

毎年のことですが、山形は1月、2月は雪の中です。今年も正月から今までは雪がない日が続きましたが、先週からいつも通りの風物詩となりました。当地には最上川が流れており、その東側と西側では降雪量が非常に違います。みゆき整形外科クリニックは最上川の東側にあるので白鷹町の西地区や長井市と比較すると雪の量が少ないです。外来でいつも「こっちは雪が少ないですねー。」と患者さんに言われますが、東京の人に言わせたら「目糞鼻糞を笑う」で、どっちにしたって大雪に見えるはずです。「前世で悪い事をしたからお互いに雪国に生まれて毎年大変な思いをしているのですよ、たぶん。」と患者さんと慰めあっています。早く春になって、オートバイで疾走したいものです。
冬の外来では、患者さんはよく「寒いと痛む。」とおっしゃいます。私は、「そうですか。そうですよね。でも、ここは北国だから耐えるしかないのですよねー。それが嫌だったら沖縄かハワイで暮らしましょうね。私もハワイで暮らしたいが、また何億円も借金したので、一生ここにいるしかないのですよ。お互いにあきらめて少しでも暖かくして暮らしましょうね。」と患者さんとお互いに慰めあっています。
月曜日から土曜日まで、朝クリニックに来てから帰るまで、昼飯10分で食べる以外は働き通しです。さすがに還暦を過ぎると3時間以上外来をしているうちに疲れてきます。そんな時はつい患者さんに対してぐちが出るようになりました。「つくづく疲れたからもう死にたい。」。そうすると決まって「先生にいなくなられると困る。」という言葉が返ってきます。最初は「医者がいなくなると困るから仕事しろとはなんて自分勝手な患者達だ。」と、思っていましたが、最近は私に対する応援と思うようにしています。人間は必要とされているうちが花なのです。年を取れば容姿はだれでも衰える。しかし、必要とされているうちは輝いている花なのだと考えて、明日も頑張ろうと思います。
みゆき整形外科クリニックも介護老人保健施設白鷹あゆみの園もそれぞれ、19年、12年が経過し、あちこち修理が必要なところが目立ってきました。それでしょっちゅう修繕するのですが、「ぼったくり」されているのではないかと思われる位に高い事が多い。業者に対しては、かなりな不信感を持っています。医者と患者は信頼関係がなければ、良い医療はできません。同様に商売においても信頼関係があって初めてうまく行くものだと思います。相手に不信感を持たれるような商売をしている○○商事。お宅の会社は大丈夫なのですか。驕れる者は久しからずですよ。あの東芝や東京電力を見ると、栄枯盛衰はこの世の必須の出来事である事がよくわかります。世の中のためになる事をしている会社が長く繁栄して行くのだと思います。私も「自分は世の中のために働いているのだろうか。」と常に自問自答しながら仕事をしていきたいと思っています。
人も万物も栄枯盛衰は必須です。施設で生活している方もいずれは神に召されていきます。しかし、最近、私には「本当にこれで良いのだろうか。」という疑念を持っている事があります。
施設では、世間の多くの人達が望んでいる「安楽な死」はありません。家族の方達が看取りを希望された場合には、その方が急に容態が変わってもそのまま文字通り「看取り」をさせていただいています。その方達の多くは、苦しそうな顔も見せず、「そっと」なくなられる方が多いです。いわゆる「安楽な死」とでもいうべき最後です。しかし、そうでない方の場合は、蘇生術をしたり、救急車で病院に連れて行ったりします。蘇生術時、高齢で骨粗鬆症の方の場合には有効に心臓マッサージをすると肋骨が折れることが多いです。その方が眠るような「安楽な死」を迎えたのではないかと思われる場合でも、施設としては、家族からクレームをつけられないように蘇生術を必ず行います。そのような時には、この人は安楽に旅立ち、三途の川を渡ろうとしているのに自分達は「死者に鞭打つ!」様な事をしているのではないかと、疑問に感じます。何でもかんでも急変時には病院に連れて行けという家族が結構いますが、いずれ必ずそのご家族の方々も死を迎えます。その時どのように自分は扱われたいかを考えていただいて、父母の最後の扱いをどうしろというのか、我々にお伝えいただきたいと思います。という事で、先ほど、施設では「安楽な死」はないと言いましたが、正しくは「安楽な死」でないことが多い、です。
子供が生まれてから大人になるまで、医者や学校の教師任せにしているくせに自分が子供を育てているつもりになっている人間が非常に多いと、休日診療所の当直の日には特に強く感じます。そのような人間が、自分の親も人任せにして他人に預けっぱなしにして、親の死に目に際して他人に文句を言う。それは人として恥ずかしい事ですよ。自分を振りかえってわが身を直しましょう。

あけましておめでとうございます。本年もお引き立てのほどよろしくお願い申し上げます。
白鷹あゆみの園では、4月より20床の認知症専門棟を開設します。認知症高齢者の方の症状が少しでも軽快し、できれば在宅復帰ができるように最大限リハビリテーションなどの協力をしていきたいと思います。
医療法人社団聰明会理事長である私は、そのほかに山形県医師会理事、山形県医師信用組合理事、長井市西置賜郡医師会理事として、毎週の山形医療技術専門学校での整形外科の講義、毎月の国民年金障害認定審査、国保連介護給付費検討委員会、医師会等の諸会議、隔月の留置施設視察、市民公開講座などの司会等々でしょっちゅう組織を抜けて、いわば社会貢献としてそれらの仕事をこなしてきました。挙句の果てには、「うちの理事長はしょっちゅう外来を休んで遊びに行っている。」と職員から陰口をたたかれるほどです。
そうしているうちに、恥ずかしながら最近、設立13年目の当医療法人組織のほころびが目立つようになってきました。当たり前です。会社の社長の主な仕事は、会社組織の維持管理です。その社長がしょっちゅう会社を抜け出して別の事をしていたのでは、まちがいなくがたがきます。今年は医療法人設立当初のようにできるだけ組織に関わり、組織の修繕を図っていきたいと思っています。
具体的にはみゆき通所リハビリテーション、あゆみ通所リハビリテーション利用者に初めからかかわり、また、入所者の健康状態も施設長の先生に任せきりにせず、リハビリテーションの面での評価に関わっていき、利用者の在宅復帰を目指したいと思います。それを通して組織の問題点、ゆるみを強制していきたいと思っています。
昨年、当医療法人では通所リハビリテーション利用者数の減少が顕著でした。同じことをやっていたらいつまでも利用者は来るだろうという気のゆるみをケアマネージャーさん達に見透かされたからにほかなりません。通所リハビリテーション本来の目的に立ち返り、デイサービスではできない差のつくサービスを行っていきたいと思いますので、ケアマネージャーさん、よろしくお願い申し上げます。
通所利用者減少のもう一つの理由として、この地方では家族挙げて働きに出るご家庭がとても多いので、自宅で介護する余力がないことがあげられます。施設に預けておけば安心だし、手間もかからずに済むからです。しかしながら、今、国は在宅介護に本腰を入れて取り組んでいます。自宅で高齢障害者を介護することを基本にしているのです。白鷹町の方でも、特に地域包括支援センターでもう少し強力に町民の方々に国の施策のアピールをする必要があると思います。白鷹町地域包括支援センターの職員は、一生懸命働いていて、体を壊さないかこちらが心配になるほどです。その努力のいくらかを「在宅介護が基本なのだ。」という事を町民に周知徹底させることに向けていただきたいと思います。
様々な在宅サービスを使って、できるだけ長くご自宅で生活する。私も還暦を過ぎて、体の衰えを自覚するようになるにつれ、自宅がいいなあと思うようになってきました。いくら施設が快適とはいえ、やはり自宅が一番なのです。今までの経験から施設に喜んで入所されてくる方は極めて少数です。多くの方は、多かれ少なかれ仕方がないとあきらめて入所してくるのです。皆さん、自分で振り返ってみてどうですか。自分がされたくない、いやなことを他人に押し付けるのは悪い事なのですよ。そう考えるとおのずと在宅介護という選択肢になっていくのではないでしょうか。ケアマネージャーさん達はすでによくわかっていると思います。介護保険で指導的立場にあるのは医師ではなくケアマネージャーです。ケアマネージャーさん達も今までのご努力の一部を家族への在宅介護の啓蒙に費やしていただきたいと思います。
という事で、ごちゃごちゃ言いましたが、今年もみんなで協力してこの地の医療、介護を今までのように一層充実したものにしていきましょう。あらためまして今年もよろしくお願い申し上げます。

 12月2日でみゆき整形外科クリニックは開院して満19年になりました。
自分が医師になってから35年。10以上の病院に勤務しましたが、医師人生の半分以上をクリニックで働いています。クリニック開設当初は個人医院でしたが、数年後には、当時自分が副院長を兼務していた病院に合併し、その病院の出先の診療所にする予定でした。しかし、わけがあって私がその病院を辞め、みゆき整形外科クリニックを背負っていかなければならなくなりました。私にとっては断腸の思いでした。
その後、白鷹町から今後のクリニックの事業展開を聞かれた時に介護老人保健施設建設について話をしたところ、賛同していただきました。介護老人保健施設は医療法人か、社会福祉法人でないと設立できない法律があるので、医療法人社団聰明会を設立し、介護老人保健施設「白鷹あゆみの園」を設立しました。当初は、まだ気力、体力がありましたので、がむしゃらに組織の維持のために働きました。しかし、体力に自信のあった私も還暦を過ぎ、最近は無理のきかなくなった体を否応なく自覚させられるようになりました。そうなると、自分の「終活」もそろそろ考えなければならない年になったのだと思うようになりました。
「こんな大変な職業(医師)にだけは絶対になるな。」と、3人の子供達には子供達が小さい頃から言い聞かせていたので、3人とも私の言いつけを守り、医師にはなっていません。ですから、私には後継ぎがいないので、事業を血縁のない第3者の医師に継いでもらうか、他の医療法人に引き受けてもらわなければなりません。
まだ今年の事だったと思いますが、NHKで「原発に一番近い病院」が紹介されていました。福島県双葉郡広尾町の高野病院です。そこの院長先生は年齢がたしか82歳で、今も一人で入院患者を診て、外来もされておられます。テレビからは先生が疲れ果てて、よろけて倒れそうになったり、椅子から滑り落ちて転倒し、職員に助け起こされる姿が映し出されていました。特に印象的だったのは、回診時に100歳の入院患者さんが、院長先生に「大丈夫だか?」と声をかけて、先生が「大丈夫だ。」と答えた場面でした。あれは、患者さんが自分の事ではなくて先生を心配してかけた言葉でした。100歳の入院患者が82歳の医師の健康を心配している!その場面を見て、私はたぶん他の視聴者が受けたショックとは違うショックを受けました。「俺も、ああなっても医師の仕事をしなければならないのか。」暗澹たる気持ちになりました。
白鷹町は国も認定する過疎地域でどんどん人口が減っています。人材も減っています。まして医師数はこの20年全く変わっていません(たしか町立病院は2名減っていると思います)。そんな所に後継の医師が来てくれるのはなかなか困難なのです。医療法人は勝手に止めることはできません。地域貢献、社会貢献を目的とし、利益を追求してはいけない組織で、かつ事業の継続が求められる組織なのです。ですから、後継者がいないと私は死ぬまで朝から晩まで働き続けなければならないのです。
厚生労働省はずるい。自分たちは天下りしてうまい汁を吸い、定年後は悠々自適の生活が待っている。一方医師には一生働き蜂のように働き続けることを求める。
何年か前に当医療法人に労働基準監督署の職員の方が、監査だったか指導だったかにおいでになりました。労働基準監督署は定期的にそういうことはしているのでしょうね。その時に、職員の方が私に「職員に残業させてはいけませんよ。どうしても残業させなくてはならない時にはきちんと残業代を払わなければいけませんよ。」と、指導されました。その時私は、「この組織で一番労働時間が多いのは私なのですが、私はどうなるのでしょうか?」と尋ねたところ、「あ、医者は勘弁してください。」とその労働基準監督署の職員の方が言われた言葉が今でも耳に残っています。医者だって人間だぞ(怒)!外来でもよく「医者も病気するのか。」と言われます(私は開院以来自分の病気で休んだことは一度もありませんが)。当たり前だ!
そんな事もあり、国民も国も「医師は馬車馬と同じで死ぬまでこき使えばいいんだ。」と、思っているのだと、私はどうしても穿った見方をしてしまいます。医者になってしまった以上、医療法人を作ってしまった以上、高野先生はじめ多くの立派な先達の先生方のように「よれよれぼろぼろになっても働いて死んでやる!」と開き直っている作今の私の心境です。子供達を医者にしなくて本当に良かった。

すっかり秋めいて、朝夕寒気を感じるようになりました。バイク乗りにとって厳しい季節が近づいてくるのをひしひしと感じる今日この頃です。皆様方には健康にくれぐれも気を付けてお過ごしください。
 私の趣味はオートバイに乗ることです。ビックバイクを2台所有しています。しかし、忙しいし、人が休みの時になると決って天気が悪い(雨の時はバイクに乗りません)ので、乗る機会がめっきり減りました。介護老人保健施設ではいつ急変してもおかしくないお年寄りを預かっているので遠くにも行けません。いつももう何回も言ったことのある近場を走り回っています。バイク乗りのあこがれの北海道をツーリングして回るのは一生できないでしょう。
 私も還暦を過ぎましたのでいつまでバイクに乗れるか、気になるとことでしたが、娘がレッドバロンという全国展開をしているバイク屋さんの京都の営業所で「75歳まで楽しくバイクに乗りましょう。」という張り紙を見つけ、ラインで送ってくれました。そんなに乗れるかなと思いますが、何とか事故なく頑張ろうという気持ちにはなりました。しかし、私の所有しているバイクは車重が、1台は300kg以上、もう1台は400kg以上あります。もうすでによろけながらバイクの取り回しをしています。このバイクはいつまで乗れるか。男性の体力は60歳で20歳時の60%まで低下するという報告があります。その後も低下する一方です。これが人生だから仕方がないのですが、転倒する前に排気量の小さい軽いバイクにした方が無難なのでしょうね。それとも加速の良い車で代用するか、オープンカーみたいなものに乗るか。
 悩みは尽きないのですが、別な趣味を見つけるという手もあります。我が家には子供たちのために20年くらい前に購入したピアノがおいてあります。毎年2回調律師の方が来て、調律していってくれるのですが、その料金が1回2万円!誰も弾かないのに毎年4万円も維持費にかかっている。なんともったいない。弾けるように練習しないと本当にもったいないしピアノもかわいそうだと思っていますが、家に帰ると疲れて寝てしまうとか、酒飲んで寝てしまうとか、学生の講義スライド作りとかで夜はつぶれてしまう。休みの日に天気がいいとそわそわしてバイクに乗ってしまうという事で、なかなかピアノの前に座れません。天気の悪い休日に練習しようかな。
 今年から専門学校の学生に毎週整形外科の講義を2時限(1時限90分)しています。自分の勉強にもなるからと引き受けました。毎回70枚から100枚のスライドを作るのですが、ものすごく時間がかかります。それを使って講義をするのですが、毎回学生たちに寝られます。中にはタオルケットを胸から足にまでかけて寝ている女傑もいる。面白くないから寝てしまうのはわかるのですが、悲しい限りです。しかし、私も学生時代、講義で暗幕が張られるといつも寝てしまっていたので人のことを責めることはできません。面白い講義ができない自分が悪いのだと思っています。なんとか眠られないような工夫を日々重ねています。
 それにしても医学の進歩は目覚ましいものがあります。私が学生時代だったのはもう35年以上前になりますが、その時の整形外科の教科書(標準整形外科学)のページ数は450ページでした。私が今教えている教科書(標準整形外科学)のページ数はなんと950ページと倍以上あります。私の知らない知識もたくさん載っています。常に勉強していないとどんどん取り残されて、引退を余儀なくされるんだなということをひしひしと感じています。人間、一生勉強ですね。勉強ですよ。

もうすぐ東北地方も梅雨が明けようとしています。3か月間も院長ブログ更新しませんでした。表向きの理由は忙しいの一言です。山形県医師会理事をしていると、県をはじめ、いろんな団体からの依頼が次々に舞い込みます。それを各役員が分担して応じています。私もいくつかの依頼を担当しているので、クリニックを休診にしていろんなところに出かけなければなりません。ちなみに今日は、某会社の産業医をしているので、その会社に会議と視察に出向くことになっています。明日の午後は、東北厚生局による医療機関の個別指導に立ち会わなければなりません(4時間!)。
 と、いろいろ忙しいのですが、今年4月より医療技術専門学校の整形外科講師をすることになり、毎週1時間半の講義を受け持っています。これが忙しくなった一番の理由です。毎週80枚から100枚のスライドを作成しています。
一生懸命作成しても、教室を暗くして講義を始めると、50〜80%の学生は机に倒れ討ち死にしています。私の講義が面白くないのが一番の理由でしょうが、悲しい思いをしながら話をしています。私も学生時代に暗幕が窓にかかってスライドが始まると、寝てましたから。「因果応報」という言葉が頭に浮かびます。
 しかし、一番は還暦を過ぎて、能力が落ちてきたからだと思います。今回は先月山形県医師会報に載せた文章を横流しします。長くなりますが、ご笑読ください。これからは頑張って月1回はブログを更新したいと思います。

特別会計どうなった?
 私は整形外科医ですが、外来でも施設でも毎日認知症患者に接しています。ここ数年、自分も外来での間違いや、忘れ物、物忘れがひどくなりました。「なんてばかなのだ!」と、自分を叱りつける毎日で、家族、職員には「認知症だから。」と言い訳しています。今回は軽度認知障害(MCI)になりかかっている男の目から見た世の中の話をしてみたいと思います。
厚生労働省の2015年の発表では、日本の認知症患者数は2012年時点で約460万人、65歳以上高齢者の7人に1人、MCIと推計される約400万人を合わせると65歳以上高齢者の4人に1人が認知症あるいはその予備軍と言われています。さらに2025年には認知症患者数は700万人になり、65歳以上高齢者の5人に1人は認知症という予測がされています。
認知症患者がどんどん増加するのは、長生きする日本人が増えたからからです。明治時代の平均寿命は、男性44歳、女性48歳でした。今は男性81歳、女性に至ってはなんと86歳です。女性の平均寿命は世界一です。私が小学生だった50年位前に、私の父が父の実家で「うちの家系は長生き家系だから、俺も80歳までは生きる。」と親族と話していたのを思い出します。父はその言葉通り83歳まで生きました。結局、レビー小体型認知症になり、約10年の経過でなくなりました。当時、80歳は長寿として認識されていたのです。今では80歳は平均以下です。百歳以上は、日本に6万人以上いる!
 日本人が長生きするようになったのは、決して日本人が丈夫になったからではありません。私はその理由は2つあると思っています。一つは歯科医が増加した事と、その技術の進歩によって日本人がいつまでも自分の口で物を食べられるようになったためです。歯がなくなっても総入れ歯にして食べることができる。口からの経口摂取は、消化管のリンパ組織を活性化して免疫機能の衰えを防いでくれるので健康でいられる確率が高くなります。昔は60歳で自分の歯がほとんどなくなる人がたくさんいました。固いものが食べられなくなり、栄養状態が悪化して病気を併発し、死んでいったのです。
もう一つは、なんといっても医学の進歩です。以前は「死病」だった癌が、今では全癌を合わせた10年生存率が50%を超えています。今や癌は「死病」ではなく、「慢性病」になっているのです。日本人が長生きになるわけです。医学が進歩すると、日本人が長寿になり、認知症患者が増える。当たり前のことです。小さなこと、頻度の少ないことをさも大きなこと、数が多いことのように報道するマスコミでも認知症に対する関心が高くなり、最近はよく認知症患者に対する介護の悲惨さをクローズアップした番組が放送されているようです。「認知症?それがどうした!」なんていうコマーシャル?も放送されているようで、それを聞くと私も勇気が出ます。
 昔、認知症は脳の「老い」とされていたと思います。私が医学部の学生だった時の講義には今の認知症の考えはなかったなあ。医学が進歩して「老い」が「疾患」としてとらえられるようになってきました。そうなると「年だから仕方がない。」では済まされない事になります。「病気」だから「治さなければ!」。ということになります。それに介護する人、される人の悲惨さを増幅して伝える報道が加味され、治療の圧力が高まり、またまた医療費が増えるということになります。実際、認知症の新しい薬も開発され、登場してきています。これがまた高い!
 人が長寿になればなるほど医療費が増えるのは当たり前のことです。日本の医療費は、2001年に30兆円を超え、2014年には40兆円を超えました。また、日本の医療費の対GDP比はOECD(経済協力開発機構)加盟34か国中2005年には世界17位でしたが、2013年には8位になっています。医療費が世界17位だった以前から国は日本の医療費は高すぎると様々な医療費抑制政策を打ち出してきました。私からするとその政策はことごとく失敗に終わっています。医療現場を混乱させ、現場で働く人間の仕事を無駄に増やすことだけに終わっている。全然抑制になってないではないか。そもそも医療費は本当に高すぎるのか、抑制が必要なのか。
国の論理は、財源が限られているので抑制せざるを得ないというものです。そこには大きなからくりがあると私はうがった見方をしています。財源がないのではなく、これ以上増え続けると、官僚の甘い汁の財源となっている特別会計に手を付けざるを得なくなるからです。資本主義国の中で、国民の審査を受ける一般会計予算と、これは必要経費ですからと国民の審査を経ずして各省庁に流れていく特別会計予算の二重立て予算をしているのは日本だけではないですか。現在14の特別会計があり、その今年度予算総額は200兆円を超えています。ちなみに国会で審査を受ける今年度一般会計予算はその半分以下の100兆円弱です。国の予算の2/3が国民の審査を受けずに使われているのです。そこに各省庁のうまみがあります。特別会計から抜いたお金で今でもせっせと天下り先を増殖させているのでしょう。
2000年代になってから特殊法人が天下り先になっているという批判を受けて、法律が作られ特殊法人の数は激減しました。しかし、実は独立行政法人とか、民間への移行とか名前を変えて天下り先は存続しています。役人はいい言い方をすれば、上から下までいつの時代もしたたかなのです。その財源となっているのが特別会計から抜いたお金です。これに手を付けられるのだけは何としても避けたいというのが、各省庁の高級官僚の一致した考えでしょう。だから国民の目を欺くために、医療費は高すぎる、医者はもうけ過ぎだという風評を喧伝したり、日本の借金は1000兆円で破たんするから財政健全化のために増税が必要だなどと事あるごとに吹聴しているのです。こういう話は日本記者クラブを通じて流布されます。日本記者クラブは国の御用記者クラブに成り下がっているという本を読んだことがあります。日本人は新聞、テレビの話を盲目的に信じるので、正直な日本国民はみんな騙されてしまっている。ちなみに国債の引き受け手の94%は日本の銀行などの日本人で、銀行のタンス貯金みたいなものです。国は、日本の銀行のタンス貯金は踏み倒しても銀行が当座の生活には困らないはずなので、いよいよとなったら踏み倒せばいいと考えているのではないですか。または、日本銀行株の55%を保有している国が、日本人の債権者に対しての返済金額分のお札を日本銀行に刷らせて返せばいい。ものすごいインフレと円安になりますが。そうでなければ、こうも平気に国家予算が毎年増えていくことを国会議員、官僚が許すはずがない。
官僚機構が、医療費抑制政策と増税で既得権益である特別会計を必死に守ろうとしているのです。こうした意見のすり合わせは、各省庁間できちんと行われているのでしょう。毎週金曜日の閣議後に内閣官房で各事務次官が出席する次官連絡会議というのがあります。その役割は、「内閣の基本方針を徹底し、各府省間で情報共有する。」というものです。その場で「官僚機構の基本方針を徹底し、各省庁間一体となって特別会計を守る方針が情報共有されている。」のだろうと推測しています。
ですから、医療費が増大していく限りは今後も医療費抑制政策は変わらずにずっと続きます。医療費の増大傾向がなくなり減少に転じた時にその政策は終わりを告げるのでしょう。それまで我々医師は、我慢するしかありません。その間、我々医師がこれ以上医師本来の業務を妨げられることのないように日本医師会が国と渡り合っていかなければなりませんし、我々も日本医師会を支えていかなければならないのだと強く思います。
医療費抑制政策をなくす方法は、特別会計に手を付けることです。私は山形県医師連盟の理事をさせていただいていますが、山形県医師連盟は現在自民党支持です。自民党が国会で憲法改正に必要な2/3の議席を獲得し、憲法改正が可能となる勢力になった今こそ、憲法改正論議に加えて、国の予算のあり方も変える検討をすべきだと思います。裏帳簿みたいな特別会計はやめるべきです。私の生きている間にできるかはわかりません。なんせ、認知症患者の平均余命は約10年ですから。

4月になりました。今年は雪がとても少なく、例年では残雪がまだたくさんあるのに、国道348号線沿いにはもうほとんどありません。やはり地球温暖化の影響なのでしょうか。例年雪かきであちこち痛いと言ってクリニックに来院される患者さんもそう多くはなく、最近では、草取りしてあちこち痛いという人が目立ってきました。今まではこの時期ではまだ草むしりして痛いという人は来たことがありませんでした。話を聞くと、今年は雪がなくて畑の雑草がもうたくさん発育して、それを取り除くのが大変なのだそうです。雪があればあったで大変で、なければないでまた大変。「雪は春になったら解ける。草は冬になったら枯れる。自然に逆らっては、体を壊すだけだよ。」といっても、農業で生計を立てている人にはそういうわけにはいかないのですね。一生働き続けないといけない。私ももう還暦。かなり疲れてきましたが、外来で「先生がいないと困る。」とよく言われます。私も一生働き続けないといけないのかなと思うと同時に、クリニックの必要性、存在意義を感じてます。
白鷹町は人口の3割以上が65歳以上の高齢者になりました。それに伴ってクリニックで診る疾病もだいぶん変わりました。今では、骨祖鬆症、ロコモティブシンドロームの方が大変多いです。しかし、毎年変わらないのは、小中学生の疾患です。冬になるとあちこちの小中学校から指の捻挫、指の骨の剥離骨折が次々とやってきます。ここら辺の小中学校は冬になると体育でバスケットボールをするようです。けがをする子供は頻度的には100〜150人に1人位ではないかと思われます。毎年、必ずけがをする生徒がいると分かっていてなぜバスケットボールを続けるのか理解に苦しみます。
4,5,6月は中学生の来院が増えます。中体連のための練習、練習試合で体を酷使しすぎての障害や、外傷が多いです。「100万円くれるというなら練習や、試合に出てもいいけど、そうでなければ休んだほうがいいよ。」と私はいつも言うのですが、親が黙っていません。「この子にいい思い出を残してあげたいので、何とか何日後までには治してほしい。」という言葉をよく言われます。『いい思い出を残したいのは子供ではなく親のほうでしょ。子供との思い出のために子供に苦しい思いをさせるのはやめなさいよ。』と私は思うのです。事実、20代の若者に「中学校の部活動でいい思い出ありましたか?」と聞くと、ほとんど「忘れた。」と答えます。
今の日本は「スポーツをするのであれば何でも許される、スポーツはすべてにおいて正しい!」という行き過ぎた考えにあふれています。世界的にも「スポーツの暴走」の時代なのです。今回どこかの県議会議員が春の選抜高校野球大会に出場する選手たちに「一回戦で負けろ。」と言ったというので、テレビの全国ニュースで「とんでもないことだ。」とほぼすべてのテレビ局が避難しています。これこそ、スポーツの暴走時代を象徴する行き過ぎた批判だと思います。
スポーツを神聖化するようになったのはマスコミです。「スポーツをするのであれば何でも許される、スポーツはすべてにおいて正しい!」はマスコミの考えです。間違ってますよ。
 ほんとにマスコミ(医者の世界ではマスゴミと言っています。)は、ゆがんだ報道をするようになった。このまま許しておいてはいけないと思います。最近は事ある毎にそう思っています。

 私たちは、障害を持った高齢者が少しでも日常生活を楽に暮らせるよう、できればご自宅に帰れるように、体制を整え、リハビリテーションを行い、体調管理も医師が常勤して行っております。入所者の容態に変化が起きた時には、施設内の設備や投薬で対処できるかどうかを医師、看護師で判断して施設内で治療するか、病院に搬送するかを決めております。急変した場合はすぐに病院に搬送します。
 しかし、様子を直接見にも来ないで、電話で様態を聞いたとたんに、心配なのはわかるが、高圧的態度で「ああしろ、こうしろ。」と言ってくる輩が多い。そうゆう輩は、東京に出て行って二度と戻ってこない生活をしている娘が圧倒的に多いです。私たちは奴隷ではありません。金を払っているから何でも通るとでも思っているのでしょう。しかし、そんなにたくさんのお金をあなたからもらっているわけでもありません。なんか、勘違いしているのではないですか。そんなに心配ならご自分のところで面倒見たらいかがですか。
それができないならば、信用して他人に親を預けるしかないのです。我々は感謝されることはあっても、社会人として見下される必要は全くないのです。あなたには「ああしろ、こうしろ。」という権利はないのです。あなたは自分が信用に足る人間ではないので、他人のことも全く信用できないのでしょう。
 こういう事例がありました。地元に直接面倒を見てくれる人はおらず、病院か、施設で生活をせざるを得ない超高齢の女性(こういう方は白鷹町でもどんどん増えてきました。)。東京在住の娘と、他県に住んでいる長男がいます。入所時には尿道カテーテルが留置されていて、自分では歩行できない方でした。薬は東京の娘がどこからか持ってきてこれを使えという。医師でもない人間が処方した薬を施設の医師が「はいそうですか。」と使うわけにはいかない。どこかよその医師が処方したとしても患者を診ないで処方することは無診察診療で禁止されております。
また、どこで聞きかじってきたのか、「入所後に膀胱訓練をしてカテーテルを抜け。」と要求をされる。少しでも世話をしたなら、この方がカテーテルを抜ける状態でないのはわかるのに見にも来ないで命令する。そして、病院に連れていき、強引にカテーテルを抜いてもらう。この方の場合には尿の排出が悪く、腎盂腎炎を起こして発熱しやすくなるのは当たり前でした。もし熱が出たら、医師が判断し、腎盂腎炎による発熱にはまず、抗生剤、点滴で経過を見て、たいていは施設内で収まります。症状の軽快がない場合は病院に入院してもらうことになります。案の定、すぐに発熱しました。しかし、この方の東京の娘と他県の長男は施設に何の相談も連絡もせずに自分たちで病院に連絡し、突然退所して、病院に親を入院させてしまいました。預かってもらっている施設に何の連絡もなくそのようなことをするのは、社会人のすることではありませんし、全くその施設を信用していないということの表れでもあります。また、極めて人を馬鹿にした話です。施設には施設の決まり事、判断、そして責任があるのです。
 今後医療法人社団聰明会では、このような事例においては、二度とその方には入所していただかないことにしました。私達は奴隷ではありません。他の介護施設でもこのような事はたくさん起きているのでしょう。自己中の日本人がなんと多い事か、嘆かわしい限りです。

 今年は暖冬だと思っていたら、ついに雪が降り、あっという間にいつもの冬景色になりました。このまま雪が降らなければ、地球温暖化も信用しようかと思っていましたが、1月25日には沖縄でも観測史上初の雪が降ったとのことで、どこが地球温暖化なんだと思っている今日この頃です。
 早く春にならないかな、あと1週間で4月1日にならないかななんて馬鹿なことを考えてしまいます。雪のない地方の人々は本当に幸せだと思います。一昨年まではスノーボードをしていたので冬の暇つぶしになっていましたが、今は寄る年波で寒さが先に立ってスキー場に行く気にもなりません。それに初心者コースで転ぶようになってはもうおしまいだと思って、スノーボードはやめることにしました。私に残された趣味はもうバイクしかありません。You tubeなどでバイクの走る画像を見て夢を膨らませています。早く走りたい。残り少ない人生、あと何年バイクに乗れるだろうかと思うとこの雪景色が憎たらしくなります。
 しかし、Face bookで私が「雪なんて嫌だー。」と書いたら、フォローしているある先生が、「私は健康維持のために喜んで雪かきをしている。」という返事がありました。なるほど、物は考えようだと感心させられました(でも、それでも雪は嫌いです)。物事には何でも前と後ろがあります。物は考えようです。
 そういえば、最近は、外来で後ろ向きな患者さんが多いと感じています。以前からそういう人はいましたが、以前よりは明らかに多い。ちょっとしたことをどこまでも心配する。例えば、「お尻がかゆいのは悪い病気でもう治らないから私は死ぬんだ。」なんて感じでクリニックを受診してきます。「お尻のかゆいのなんかはそのうちなおる。」と医者がいっても、「んでもー。」(標準語では、「でもー」)とどこまでも心配する。「どうせいつか死ぬんだから心配しても始まらない。」と考える人は少ないです。「病は気から」とはよく言ったもんだといつも思っています。私も雪国に生きている人間、もう雪国で暮らすしかない人間として何とか前向きに考えて、冬の間の新たな趣味を見つけ出したいと思っています。それとも冬の間はせっせと働いて、雪のない季節は暇を見つけてはせっせとバイクに乗る。それがいいかな。

あけましておめでとうございます。旧年中皆様方には大変お世話になりました。感謝申し上げます。お陰様で医療法人社団聰明会も設立11年目の新年を迎える事が出来ました。今年もよろしくお願い申し上げます。
 介護老人保健施設白鷹あゆみの園では、20床の認知症専門棟を来年4月に開設する予定です。今年からその新しい建物の建設が始まります。入所者の皆様方には多少の御不便をおかけするかもしれませんが、ご容赦いただきたく存じます。また、新たに看護師、ケアワーカーの募集も致しますのでご応募お待ちしております。
 介護保険制度が始まるとともに開設された白鷹あゆみの園ですが、その間幾度とない制度変更があり、その都度に利用者の方に向けての料金表、手続きの説明書、契約書、パソコンソフトの変更など膨大な事務処理に追われてきました。人員の基準も施設ケアマネージャーの新設など人手のかかるような制度変更がなされ、国、厚生労働省に振り回されてきた印象の強い10年間でした。
 年間1兆円ずつ医療費が増えるとの予測で、平成元年頃より老人を医療ではなく福祉でみるという介護制度が始まりました。しかし、今になっても毎年医療費が1兆円ずつ増えています。これは、この制度が根本的に間違っていた証拠ではないかと思っています。ころころころころ制度が変わって、人手と手間が増えるような変更「改悪」がなされ、地方自治体の現場、医療現場は疲弊しつくしている感があります。国の政策を考える時、「木を見て森を見ず」、「朝令暮改」、「無責任」という言葉が頭に浮かびます。そしてその失敗に対して厚生労働省は絶対に認めないし、責任も取らない。介護制度云々の前にこの国の制度が根本的に間違っているのだと思います。
 医療介護分野のみならず、この日本が何とか成り立っているのは、無責任な政治家、政府、官僚の不出来を尻拭いしている優秀でお人よしで、且つ勤勉な国民がいるからです。だまされても文句を言わない多くの国民の上に胡坐をかいているのが、政治家、官僚です。消費税が、来年から10%にあがることはみんな知っていますが、トヨタをはじめとした自動車会社や輸出型産業では、消費税を払わずに消費税還付金として年間総額3兆円ものお金をもらっているのを知っている国民はほとんどいません。医療機関は、患者が払うべき消費税を負担しているのを知っている人もほとんどいません。この国の自治体のほとんど、国までもが資本主義では当たり前になっている複式簿記をとらずに単式簿記を採用し続けていること、他の国では例を見ない一般会計予算と特別会計予算の二重帳簿があること等々、皆さんほとんど知らないでしょう。私からすればだましの数々の制度です。知れば知るほどいい加減嫌になります。まず少なくとも、若い世代が積極的に投票に参加して意思表示をしなければ、この国は変わりません。これからの若い世代に期待しています。
 この間、自民党参議院議員の羽生田俊先生に質問する機会がありました。先生が話していた言葉が印象に残りました。厚生労働省の役人がこう言っていたそうです。「医者は患者がいる限り、患者から離れない。」どんなに締め付けようが、医者は患者から離れないから締め付けても大丈夫だという意味だそうです。たしかに!その通りではある。しかし、それは江戸幕府の百姓に対する政策と同じでしょう。百姓は土地から逃げない(実際は、苦しさのあまり逃げた人もいるようですが。)。だから絞れるだけ絞って「百姓は生かさぬよう殺さぬよう。」生活させる。官僚は医者も同じだという認識なんだと愕然としました。このような認識の人間に牛耳られているのはなんとも片腹痛し。しかし、我々医者は逃げないで地域医療のためにその生涯をささげなければならないのです。私の知り合いの医師たちもみな同じ気持ちだと思います。しかし、この制度は変えなくてはならないと強く思っています。新たな変革の始まりに今年がなることを願ってやみません。若い医師たちよ、自分の技術を高めることにだけ目を奪われて、自分が馬車馬のごとく働かされている原因に考えが及んでいないことに早く気づいてください。気づいて行動すれば、医療は変わる。国民の多くが気づけばこの国は変わる。
 超高齢化社会の日本では、死者の数もうなぎ上りに増えています。葬儀屋、坊さんは大忙しの丸儲け。医者はただ忙しくなるだけ。それとも忙しいのは私だけか?
 今回、私が所属する長井市西置賜郡医師会主催の「地域在宅医療推進研究会」に参加しました。そこで「一般診療所での自然な形の在宅医療−在宅死と向き合ってー」という講演を聞きました。10年前までは、日本では人が死ぬ時は特別な場合を除いて、病院で死を迎えるのが一般的でした。しかし、超高齢化社会を迎え、また、国の強力な医療費削減政策と相まって(私はそのやり方において悪政と思っていますが、今回は詳しく話をするのは控えます。)、病院にはそういつまでも入院しておられず、自宅、施設で亡くなる方が確実に増えています。
私の施設でも、もはや病院でも治る見込みがない人の最後を看取る機会が多くなりました。気圧の関係からか午前零時から早朝にかけて亡くなる方が多いという印象を持っているのは私のみならず医療関係者、葬儀屋さんの多くがそう思っていると思います。私は、亡くなった方が出た場合には、いつも大急ぎで施設に行って死亡の確認をし、死亡診断書を書いて、その後、ご遺体が施設を出られる時まで残ってお見送りをしてきました。
 しかし、還暦を迎え、夜中に起こされるのはかなりつらくなりました(特に平日。その日に朝から外来があるので)。また、田舎における人口減少で、葬儀屋さんでは夜中に勤務できる職員数が確保できず、1時間半も離れた米沢市からわざわざ葬儀屋さんが来る事も最近多くなりました。そんな場合には、私は、呼ばれてから自宅に戻るまで3時間以上かかり、帰宅する頃には空が白々としていることも多いです。亡くなった方に対する礼儀と思ってきましたが、さすがに医師が少ない東北地方では、死にあたっての対応も変わってきているということをその講演で知りました。在宅では深夜12時から早朝にかけて亡くなった場合は、早朝に医師が出かけて行って死亡確認をし、死亡診断書を書くのだそうです。施設でも同様の事がなされているとの事。びっくりしましたが、みんなにメリットが大きいということも知りました。
様態が急変した方の場合、また、ご家族の方がずっと深夜帯も付き添っていられる場合は別ですが、もう施すすべがなく、お亡くなりになることを待っているような方(看取りの方)の家族にとって、夜中に起こされて慌ただしく葬式の準備を夜中からする場合、その肉体的、精神的負担は大変なものです。まもなくお亡くなりになられるのが分かっている方に対しては、事前に親族の方々に最後のお別れに来ていただき、いつお亡くなりになっても、みんなが働きだす日中に事を進めるのが理にかなっています。実際その講師の先生の所ではそうされているのだそうです。
当施設、また私が嘱託医を務めている特別養護老人ホーム「マイスカイ中山」でも今後はそうさせていただきたいなと思っています。深夜帯で不幸にしてお亡くなりになった看取りの方の場合、早朝までご遺体に今まで生活していたその部屋に留まっていただき、医師の死亡確認後、ご家族に連絡をし、医師の死亡診断書が出来上がり次第、葬儀社を呼んでいただき、葬儀社がご自宅までご遺体をお届けするというものです。皆様方のご意見を頂戴したいと存じます。繰り返しになりますが、様態が急変した入所者の方と、ご家族が深夜帯も付き添われている場合は別です。その場合には時間に関係なく、すぐに医師が飛んで駆けつけるというのは当然の事です。


私は夏が大好きです。外に出て、ムッとするような熱気に当たると小学生の夏休みに夢中で遊んだ頃の匂いというか雰囲気というか、懐かしい気持がしてきます。今年もお盆前までは、好天で暑い日が続いていましたが、お盆過ぎからはだいぶん過ごしやすく、天気もめまぐるしく変化するようになってきました。私にとってはがっかりですが、お年寄りにとっては救いです。お年寄りは体が脱水になっていても、のどの渇きを覚えなくなってきているので、暑い日にはすぐに脱水症状が突然にやってきます。中には死に至る方もいます。今年の夏もテレビで暑さのために亡くなった高齢者の話をよくしていました。ですから介護施設では、暑い日には要注意です。脱水にならないように「喉なんか乾いていない!」と入所者に言われても水分補給をまめにしていただいています。夏の大好きな私にとっては面白くないのですが、暑さが和らいでいる日は、施設にとってはほっと一息の日になります。
ところで、今年のお盆には長女とバイク2台連ねて宮城県にある私の両親の実家の墓参りをしてきました。しかし、朝に出発してから間もなく雨が降り出し、宮城県に入ったころには土砂降りになってしまいました。娘は寒いと言って震えだしました。私はずぶぬれになっても平気だったので、「こいつは弱い奴だな。」と思いつつ、どうしようかと途方に暮れて焦ってしまいました。娘が「あそこで休んでいこう。」と言うので、とあるスーパーマーケットで駐車して雨宿りをしました。私はバイクがずぶぬれになるのが悲しくて茫然としていて全然思いつかなかったのですが、娘はさっさとお店でタオルをたくさん買って体をふいていました。パニックになった自分と比べて、「こいつはなかなか危機管理能力があるな。」と感心しました。その後、これもまた娘の進言で近くのファストフード店で暖かい飲み物を飲んで温まっているうちに雨も上がり、再びバイクを連ねて走り、無事にお墓参りをしてくることができました。その日は300km近く走りました。午前は雨で帰りは西日が照り付けて大変でしたが、親子でいい思い出になったと思います。普段こんなに走ったことがない娘は、体のあちこちを痛がっていました。娘よ、お疲れさまでした。疲れ知らずの私は、翌日もバイクで一般道だけで500km弱走りました。唯一の趣味のバイクを満喫できて幸せな休日でした。
昨日は介護老人保健施設白鷹あゆみの園の夏祭りでした。午後5時から屋外でのアトラクションの開会でしたが、雨も降らず、過ごしやすく、普段施設内での生活をしている入所者の方には楽しんでいただけたと思います。このような催しを年中行って、入所者の方に季節を意識していただき、楽しんでいただくことはとても大切なことです。今回も職員の皆さんにはとても頑張っていただきました。感謝申し上げます。またお忙しい中、おいでいただいたご来賓の方々やご家族の皆様、ご近所の皆様方にもこの場をお借りして御礼申し上げます。
昨日いつもの道を走っていたら、いつの間にかススキの穂がいっぱい出ていました。山形はもう秋の気配です。今度は秋の行事の準備をしなければなりません。職員の皆さん、頑張ってください。私は忙しい日々の合間のわずかな休みに、唯一の趣味であるバイクでそこら辺をこそこそ走り回ろうと思っています。

「過剰反応社会の悪夢」という本を読みました。今の日本はまさに「過剰反応社会」です。医療介護の世界では、もう20年以上前から起きていることで今更のような気がしますが、それが今日の日本ではすべての分野に広がって行っているのでしょう。
一方で、テレビでは最近、日本は素晴らしい国だという事を宣伝するような番組が多いです。それを見ると確かに日本はよい国だと思います。しかし、自己中心的ものの考えがこの国をどんどん悪い方向に向かわせている。それを心配しているのが私だけではないという事を教えてくれただけでも、この本を読んだ甲斐がありました。
 今、日本のマスコミは安全保障法制、集団的自衛権の行使をめぐって、戦争反対を声高に言い始めています。そもそも戦争をしたい人間がこの日本に何人いるのでしょうか。私は今年還暦になりますが、今まで戦争をしたいという人間に会ったことがありません。日本の国土、国民が危険にさらされる脅威があるから、それに備えましょうというのが政府、自民党の意見です。それがどうして戦争になるのか理解に苦しみます。マスコミ、民主党をはじめとする反対論者たちは、私に言わせれば過剰反応社会の典型です。政府も自民党も戦争がしたいなんて思っている人はいません。それを戦争反対、徴兵制反対というところまで結びつけるのは、「風が吹けば桶屋が儲かる。」式の三段論法です。
 50年前、日韓平和条約が締結された時も朝日新聞はじめマスコミ各社、左翼活動家、学生、労働組合などはこぞって「北朝鮮との戦争に巻き込まれるから反対!」との大論陣を張り、大規模な抗議活動をしました。しかし、その後50年戦争は起こっていません。当時の反対論理と比べても今の反対は、雰囲気だけの過剰反応としか思えません。
 戦争したいと思われても仕方がないのは、ロシアと中国です。実際、ロシアはクロワチアからクリミア半島を武力で奪い取りました。北方4島なんてもう私の生きている間の返還はないでしょう。
 中国は、毎年軍事費を急激に拡大し、今やアメリカに次ぐ世界第2位の軍事大国になりました。軍事力を持てば、それを使いたくなるのは当然のことです。中国のインターネットでは「日本を圧倒的軍事力で叩きのめせ、滅ぼせ。」という言葉が飛び交っています。一方、日本のインターネットで「軍事力を使って相手をやっつけろ。」という論調はまったくありません。中国は軍事力増強とともに尖閣列島のみならず、あの広大な南シナ海のほとんどが自分のものだと言い張るようになり、フィリピンの目と鼻の先の島を埋め立て軍事要塞化しようとしているではないですか。
 こちらが戦争したくなくても襲ってくることは十分あり得るのですよ。原発の安全性より危うい問題なのです。安全だと言われていた原発がメルトダウンした時に、民主党政権は何もできなかったではないですか。今回の安保法制問題は、他国が日本の領土をかすめ取っても何もできないままでいいのかというのが根本にあります。民主党をはじめとした野党の論調は、「他国は攻めてくることがない。自分たちが戦争を起こそうとする気がなければいつまでも平和は続く。」という夢物語を基礎にしている。危機管理が全くできていないではないですか。1952年韓国の李承晩が突然一方的に李承晩ラインを設定し竹島を韓国に併合した時に、当時の日本は何もできなかった。今だって、韓国民で対馬は韓国領だと言っている人間は多い。もし万が一また民主党が政権を取ったら、今度は対馬がとられるでしょう。こんなだらしない野党ばかりだから、私は国政選挙では、自民党に投票するのです。地方選挙では、古臭い考えの自民党員やまともな仕事をしないでふんぞり返っている議会の議員たちに対する批判票として共産党候補に入れています。
 昨日、小説家の百田尚樹氏が、「沖縄の2新聞はつぶすべきだ。」と発言したのが大問題になっていますが、右翼の一個人が話した一言をもってこんなに大騒ぎする方がおかしいと思います。言論の自由を掲げているマスコミが、一個人の発言に目くじらを立てて潰しにかかっている。これは、長野松本市のサリン事件の時に、奥様が犠牲になった河野義行さんを犯人扱いしたマスコミの報道を彷彿とさせます。マスコミはあの時の反省はまったくなくて、自分の意見と異なる個人の発言は、組織を挙げて潰しにかかる卑劣極まりない組織的悪徳集団です。朝日新聞がその最右翼。
 皆さん、上杉隆著「新聞・テレビはなぜ平気でうそをつくのか」、苫米地英人著「テレビは見てはいけない」、和田秀樹著「テレビの大罪」、これらを読んでみてください。マスコミの見方、接し方が変わります。
 私は「沖縄県民は目を覚ませ。」と言いたい。沖縄のその2新聞も「つぶれてしまえ。」と言いたい。基地負担をしているのは沖縄ばかりではない。年間3500億円も国から特別交付金をもらい (山形県はそんな金一銭ももらってない!)、ガソリン税をはじめとした様々な優遇政策を受けながら、なおかつ被害者意識を丸出しにするのはやめてもらいたい。そんなに文句言うのならいっそのこと独立したらいかがですか。すぐに中国国籍になりますよ。
 何事にも深く考えないで過剰に反応する。誰でもそういうところはあります。「人のふり見てわが身を直せ。」私も反省しなければ。
 あ、そうそう、最近急いでいて前の車を追い越した時、別に違反もしていないのに、それまでのろのろと走っていた追い越された車が急にスピードを上げてパッシングしながら、急接近し、ものすごく車間を詰めてくることがよくあります。「怒ってんだろうな。」と思いますが、何で怒っているのかがわからない。その理由を聞きたいといつも思います。たぶん、これも追い越された車に乗っている人間の過剰反応の一例なのでしょう。そんな車には、「ごめーん」という張り紙が後ろの窓に出るような工夫を自分の車にしようと今思っています。
違法改造になるのかな?

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