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「老い」の3部作…その「かたち」と「味わい」と「ゆくえ」と

  • 「老い」の3部作…その「かたち」と「味わい」と「ゆくえ」と

 

 つい、旬日前の“青春賛歌”の余韻(11月13日付当ブログ「ああ、青春よ」参照)がまだ、続いているような不思議な感覚を覚えている。作家、黒井千次さん(87)の「老い」の3部作(中公新書)を読み進むうちに、青春ならぬ“老いの息吹き”を感じたせいかもしれない。読売新聞夕刊の人気コラム「時のかくれん坊」を書籍化したもので、『老いのかたち』(2010年)、『老いの味わい』(2014年)、『老いのゆくえ』(2019年)と刊行が相次ぎ、健筆はまだ続いている。連載が産声を上げたのは2005年5月27日、筆者が72歳の時だから、足掛け15年に及ぶ「老いの実況放送」(読者の声)である。

 

 「この人は老いを満喫しているのではないか」―。8歳年下の私は老作家の背中を追走しながら、そんな思いを強くした。たとえば、こんな文章に出くわす。「病が相対的な状況であるとしたら、老いは絶対的な状態であるといわねばならぬ。病には、病気の過去を否定する意味での快気祝いがあるが、老いにはむしろ重なり続ける年齢を肯定する長寿の祝いしかない。だから、老病人はせめて病気を乗り越えて元気に歩ける老人に戻らねばなるまい。そうでなければ、折角与えられた機会なのに、老いとはいかなるものかを味わう僥倖(ぎょうこう)を失ってしまうからである」(第1部)―。己の老いを突き放して観察する「若さ」がここには感じられる。さて、わが身はというと…

 

 私が市議会議員に初当選したのはちょうど、70歳の時である。この達意の文章について、哲学者の柄谷行人さんは「老いの問題を、広く歴史的・社会的に見る観点、あるいは、セネカ(古代ロ-マの政治家で哲学者)のような哲学的考察があった」(7月27日付「朝日新聞」)と書いている。こんな理屈っぽい話ではなく、私の出馬の動機は「若気の至り」を逆手に取ってやろうという“奇矯”(ききょう)が先に立っていたような気がする。つまりはこの神聖な制度を利用して、わが”老化度”を測定してみようという魂胆である。「歳の割には老けてないな」という自己判定にまんざらでもなかった。2期8年間の議員生活にピリオドを打った78歳の時に転機が訪れた。妻の死である。同じ年齢のころの黒井さんは、こんな老いを味わっている。「物忘れ」についての文章である。

 

 「歳を取る、と一口にいうけれど、それには様々の段階があるらしい。人の名前や土地の呼び名などを忘れて思い出せないのはもう当たり前のことであり、八十に近い同年配者の間では、物忘れは最早(もはや)話題にもならない。…しかし時によっては、自分が何を忘れ、何を思い出そうとしていたか、その内容自体を忘れて見失ってしまうこともある。何かを思い出そうとしていた、という前屈(かが)みの姿勢の余韻だけが身の内に残っているのに、それがどんなものであったかが霧の中にぼやけてしまっている」(第2部)―。私が「物忘れ」症候群の恐ろしさを思い知らされたのは妻と死別した後のことである。

 

 老いの「ゆくえ」を追い求める第3部にこんな記述がある。「独りで家を出ることになるので玄関の鍵をかけることを決して忘れるなと家族に言われ、誰もいなくなる家の玄関ドアに鍵をかけてから門扉までの二、三歩を進むうちに、本当に鍵をかけたかどうかがわからなくなっている。心配なので引き返して確かめると、鍵はしっかりかけられている」―。鍵だけではなく、ガスコンロの消し忘れなど私自身もしょっちゅう、危ない思いを経験している。私の周辺には連れ合いなど注意を喚起してくれる存在がいないだけに事はより深刻である。さらには妻との二人三脚の人生を総括しようにも、その記憶が断絶することさえしばしばある。

 

 「物忘れ」は老いの宿命とはいえ、妻の死は一方で「思い出す」ことの大切さとそのエネルギ-を授けてくれたのではないか、とそんな殊勝な気持ちになることもある。ともあれ、これから先も七転八倒を繰り返しながら「男やもめのゆくえ」を手探りするしかあるまいと思っている。ふと見上げると、霊峰・早池峰はもう白雪をいただいている。この山容は永遠に変わることはないのだろう。そうか、神は老いないということなのか…と妙な感慨にふけりながら、「老いとは一体、何なのか」を考える日々―

 

 それにしても「老いの達人」とはそもそも老いを知らない人、いや老いというものを鼻先で笑い飛ばすことができる豪胆(ごうたん)の持主を指すものらしい。老作家のこんな言葉に私はたじたじとなってしまう。「歳を重ね、自分が今や老人となったことは認めざるを得ない。しかし、どの程度の老人であるかを判定するのは難しい。…つまり、自分の現在の気持ちと、客観的な時間の推移とがずれてしまっている。自分の年齢にリアリティ-がない。他人と比べたり、自分の過去の身近さを呼び寄せたりして違和感ばかりを覚えるのだとしたら、なによりそのこと自体が老化の著しい進行を示しているかもしれないのだが―」(第3部)

 

 

 

(写真は話題沸騰の「老い」の3部作)

 

 

ああ、青春よ…歌ってマルクス、踊ってレ-ニン

  • ああ、青春よ…歌ってマルクス、踊ってレ-ニン

 

 それはひょんなことがきっかけだった。やもめ暮らしで孤独をかこっていた酷暑の夏のある日、知人から声をかけられた。「歌なんかどう。腹の底から声を出すとすっきりするんじゃないか」―。ちまたでは「一人カラオケ」とか「一人居酒屋」などが結構、流行(はや)っているらしかった。“孤独人間”を生み出す社会のありようには関心があったものの、そんな自分の姿を想像するだけで背筋が寒くなった。ひとりで酒を飲み、ひとりでマイクを握る…余りにも不気味な光景ではないか。「一人では孤独からは脱出できない。逆に増幅するだけ…」と悶々(もんもん)とする日がそれからしばらく続いた。

 

 和風喫茶「手風琴」―。隣町の北上市にある“てふうきん”という柔らかい名前の店を突然、思い出した。「こっちにおいで」とまるで手招きされているような気持になった。あえて「アコ-ディオン」とは呼ばない、その命名が人恋しさの募る私にぴったりだったのかもしれない。戦後最大のえん罪事件と言われた「松川事件」(昭和24年)を担当した同市出身の弁護士、後藤昌次郎さん(故人)のめい御さんである後藤昌代さんがこの喫茶店を経営している。メンバ-はバナナのたたき売りや皿まわし、南京玉すだれなどの大道芸にも秀(ひい)でており、障がい者施設の園長時代に一度、お招きしたことがある。笑いの渦が施設内にはね返り、利用者の拍手が途絶えなかったことを覚えている。もう十数年も前のことである。

 

 「あの時、たしか歌声喫茶もやっていると言っていたなぁ…」―。酷暑をかき分け、恐るおそる足を運んでみた。首から名入りのプレ-トをぶら下げた20人以上が歌詞カ-ドを手にしていた。ほとんどが70歳を超すと思われるご婦人たちで、男性は私を含めて3人だけ。合唱が始まったが、声が上ずってなかなか唱和についていけない。いつぞやのお礼を述べると、「こんなイベントがあるけどいかがですか」と後藤さんから一枚のチラシを渡された。「第14回新宿歌声喫茶/ともしびinもりおか」と書かれていた。大げさに言うと、ビビッと火花が体を射抜いたような不思議な感慨にとらわれた。そして、その日―「11月9日」がやってきた。

 

 もみじ、山小屋の灯、青い山脈、カチュ-シャ、琵琶湖周航の歌、高原列車は行く…。JR盛岡駅に隣接する「アイ-ナ」(いわて県民情報交流センタ-)の会場では“懐メロ”のオンパレ-ドが響き渡っていた。500席はすべて満席。陣取るのは“あの時”から一気に時を駆け抜けてきたような「若」を除いた「老(若)男女」たちである。時にはハンカチをはためかせ、こぶしを振り上げる。いつしか、その集団の中で声を張り上げている自分を発見した…。このエネルギ-とは一体、何だったのだろうか。

 

 政治の季節と呼ばれた「60年安保」(1960年の安保条約改定反対闘争)の時、私は大学2年生だった。連日のように「安保ハンタ-イ」を叫んで国会に向かい、疲れた帰途の足は自然の流れのように当時、西武新宿駅前にあったビルに吸い込まれて行った。この元祖・歌声喫茶「灯(ともしび)」は1956(昭和31)年にオ-プンした。ある日、聞き覚えのあるメロディ-が耳に届いた。司会者が「北上川の初恋」と説明したこの歌はのちに「北上夜曲」として、一世を風靡(ふうび)することになる。高校生時代に仲間たちと秘かに口ずさんだ古里の歌がこんな形で歌い継がれていることが何となく誇らしげに思えた。

 

 「歌ってマルクス、踊ってレ-ニン」―。当時、こんな戯れ歌が学生や労働者の間でもてはやされていた。「安保と三池(九州・三池炭鉱の反合理化闘争)」という激動の時代を象徴するのにぴったりのキャッチフレ-ズだった。一方で、こんな悲壮感の中にも何となくホッと安堵するような空間が歌声喫茶にはあった。マルクスやレ-ニンをめぐって、取っ組み合いのけんかが始まったと思えば、次の瞬間には互いに肩を組みながら、労働歌やロシア民謡を歌っている。一杯のトリスウイスキ-で夜更けまで粘った当時が妙に懐かしく思い出される。最盛期、「灯」の前には長蛇の列ができた。作家の火野葦平は名づけて「歌うビルディング」と呼んだ。

 

 今回のイベントは元祖の精神を引き継ぐ現「ともしび」が企画した。老残の身を振りしぼるようにして雄たけびを上げていた時、周囲を壁に囲まれた個室でたったひとりで歌い続ける「一人カラオケ」の光景が目の前にボ~っと浮かんだ。前に座っていた70代の女性が持参の茶菓子をポリポリかじりながら、ポツリと言った。「あんな贅沢な青春を持つことができた私は幸せだった」―。私もそう思った。

 

 元祖「灯」の創立メンバ-のひとりに、歌唱指導をする丸山里矢という女性がいた。その一人娘で女優の丸山明日果さん(45)は母親の足跡をたどった自著『歌声喫茶「灯」の青春』のあとがきにこう書いている。「そんな母の生き方を、私は潔いと思う。同時にこうも思う。母が生きてきた時代は、潔くなければ生き抜けないほど、時の荒波が激しく押し寄せて来た時代だったのかもしれない、と」―。考えて見れば、歌声喫茶も「一人カラオケ」もその時代を映し出す合わせ鏡ではないかと思う。でも私にはひとりで歌いながら、自己陶酔や現実逃避にひたる勇気はとてもない。”歌声”世代の古い人間にとって、それはどうみても「不健全」な代物である。私は大勢の人たちに囲まれながら、ふと感じる「孤独」が好きである。

 

 

 

(写真はこぶしを振り上げて歌う参加者たち=11月9日午後、盛岡駅近くの「アイ-ナ」で)

 

 

ダブルチョンボの合わせ技で一本勝負…あぁ、無情の「イ-ハト-ブ」…が、実は本当だったというお話し…1抜けた、2抜けた~底抜けた!?

  • ダブルチョンボの合わせ技で一本勝負…あぁ、無情の「イ-ハト-ブ」…が、実は本当だったというお話し…1抜けた、2抜けた~底抜けた!?

 

 「これじゃ、まるでエイプリルフ-ル(4月1日)ならぬ“ノベンバ-フ-ル”(11月1日)じゃないか」―。月初めのその日に相次いで勃発した“椿事(ちんじ)”に私は思わず、わが目を疑い、ついには卒倒してしまった。地方行政の基本原則…二元代表制の両翼を担っているはずの花巻市と花巻市議会の「ダブルチョンボ」である。

 

 朝起きるとまずパソコンを開け、花巻市のHPを点検することが議員時代からの習い性になっている。その日、ふるさと納税の11月分の返礼品の追加分として、象牙の印鑑がリストに加えられていた。密猟などによって、アフリカ象が絶滅の危機にさらされているという新聞記事が記憶の片隅に残っていたせいかもしれない。一瞬、ワシントン条約との関係で大丈夫かなという思いが頭をよぎったがその時はそのまま、やり過ごした。そして、夕方に何げなくHPを開いてみると、あれっ、その記述がそっくり、消えてなくなっているではないか―。あの“エアガン”騒動(8月9日付当ブログ「真夏の夜の“ミステリ-“…上田城、ついに落城か!?」参照)の悪夢がむっくりと目を覚ました。

 

 ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の取引に関する条約)は1975年に発効し、現在は日本を含めた182か国とEUが締約国に名を連ねている。象牙の国際取引は原則禁止とされ、今年夏に開かれた第18回締約国会議ではケニアなどから「国内市場の完全閉鎖」が求められるなど、象牙取引をめぐる環境はますます厳しさを増している。今回の会議では完全閉鎖は見送られたものの、日本などに対して密猟や違法取引(密輸)をなくす対策の実施状況の報告を義務付けた。象牙は印鑑やアクセサリ-、数珠(じゅず)、彫刻品などに加工され、とくにアジアでは古くから貴重な工芸品として珍重されている。現在、日本国内の在庫は取引禁止以前に輸入されるか、特例として持ち込まれた象牙がほとんどで、その加工や販売に違法性はない。

 

 今回、ふるさと納税の返礼品に出品されたのは市内の印房店から申請があった直径15ミリメ-トルの丸型印鑑や実印と認印、銀行印が三本セットなった数量限定品で、たとえば10万円の寄付に対しては三本セットが返礼されることになっていた。応募開始前に不都合に気が付いたため、“エアガン”騒動の際に申し込みが殺到したような”実害”はなかった。突然、リストから削除したことについて、定住推進課の菊池郁哉課長は「法的に問題はなく、他の自治体でも同じ品を提供していることもあったので…。ワシントン条約については正直、無知だった。ただ、前例(エアガン騒動)もあるので、今後は担当職員全員で慎重に精査したい」と話している。

 

 一方で、花巻市当局がHP上にリストアップしたちょうどその日、インタ-ネットのプラットフォ-ム・国内最大手の「ヤフ-」はショッピングサイトやオ-クションサイトでの象牙関連商品の取引を禁止する措置に踏み切った。楽天やメルカリなどの同業種も2年前に出品から撤退している。「以前、当社のサイトを通じて取引された象牙が外国に違法に持ち出されたケ-スがあった。条約の精神を無視することはできない」というのがヤフ-関係者の言だが、「民」と「官」との認識の乖離(かいり)には「どてびっくり」(ノックアウト)である。つまりは“エアガン”騒動の時もそうだったが、過度な返礼品(地場産品)競争がずさんな選定につながったということなのだろう。と、話はここで打ち止めになるはずだったのだが…

 

 同じ11月1日発行のはなまき市議会だより「花の風」を開いて、またのけぞってしまった。広報広聴特別委員会(瀬川義光委員長ら9人の議員で構成)の委員たちが持ち回りで担当する「連載シリ-ズ」の第5回目に「地球温暖化/今世紀末には海面は1・1m上昇する」という大見出しがおどっていた。野生動植物にとっても「温暖化」は大敵である。すわ一大事と、本文を読み進むうちに本当に卒倒してしまったという次第である。「1・1m」の数字の根拠がどこにも出ていないという摩訶(まか)不思議に遭遇したのである。

 

 今年9月下旬、国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)は「有効な対策が取られないまま、地球温暖化が進むと今世紀末に世界平均の海面水位は最大で1・1m上昇する」とする認識を公表した。私が調べた結果、数字の根拠はこれしか見つからなかった。ところが、このことに関する記述が本文には一行もなかったのである。

 

 新聞記者の端くれだった私にとって、「見出しは新聞の生命線」という思いが強い。専門部署の整理部(当時)が記事の内容をいかに見出しに凝縮させるか…悪戦苦闘している姿をいまも思い出す。「まずは見出しで読ませる」―が新聞メディアの鉄則なのである。ましてや、記事にないことを見出しに取るような事態に際しては「お詫びして訂正します」という謝罪文の掲載は必至で、場合によっては当事者の処分に発展することも少なくなかった。つまり、本来はあり得ない「想定外」が今回、実際に起きたということである。筆者は広報広聴特別委員でもある共産党所属の久保田彰孝議員。時代を先取りする前向きな姿勢には敬意を表したいが、「フェイク」(嘘)は許されない。次号でその経緯を明らかにすることを期待したい。

 

 それにしても、と近頃つくづくと思い知らされる。宮沢賢治の理想郷「イ-ハト-ブ」をまちづくりの基本に掲げる我がふるさとの土台はとうに崩壊してしまっているのではないか……と。それとも、我われ市民の方がなめられているのだろうか。まったくもって、あぁ、無情である。

 

 

 

(写真は密猟や密輸で絶滅の危機にさらされるアフリカ象の象牙の山=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~泣きっ面にハチ…本当だった「あぁ、無情!?」

 

 免停中の花巻市の消防士(26)が6回にわたって、救急車の運転(救急出動)をしていた事実が8日明るみに出て、上田東一市長ら幹部が深々と頭を下げる姿がテレビに映し出された。HP上に掲載された経緯によると、この消防士は今年6月末、東北自動車道でスピ-ド違反を犯し、罰金刑を言い渡されていた。花巻市交通安全対策協議会が主催する「交通安全コンクールチャレンジ100」に、この消防士が参加していたことから発覚した。当ブログで言及した「イ-ハト-ブ」の崩壊が図らずも証明されるという皮肉な結果になった。このニュースはあの”エアガン”騒動に続いて、全国のメディアで一斉に報じられた。コンプライアンス(法令遵守)に厳しい上田市長は以下のようなコメントを発表したが、後日のために全文を掲載する。なお、今年1月には同市の別の消防士(21)が女性に乱暴(強制性交等未遂)した疑いで逮捕されるという事件も起きている。

 

 「市民の安全・安心を守るべき立場にある消防士が、免許停止期間中の救急車の運転を含む重大な交通違反行為を行ったことは、市民の皆様の信頼を大きく損ねるものであり、心よりお詫びを申し上げます。誠に申し訳ございませんでした。花巻市としては、本件に関する警察の捜査に協力するとともに、捜査の進展を見守りつつ当該消防士に対しては厳正な処分を行い、また、消防職員の運転免許の保持・有効期限の確認を徹底するなどの再発防止策を講じ、職員一丸となって職務にまい進し、一日も早く市民の皆様からの信頼を回復できるよう努めてまいります」

 

 

 

 

 

 

即位礼と啄木、そして“ジョ-カ-”の登場

  • 即位礼と啄木、そして“ジョ-カ-”の登場

 

 「天皇陛下万歳」という発声と21発の祝砲―。「即位礼正殿の儀」(10月22日)の光景をテレビで見ながら、ふいに“狂気”の予感のようなものが体を貫いたように思った。その前日、公開されたばかりの米国映画「ジョ-カ-」(トッド・フィリップス監督)を見たせいかもしれない。「ふんわりと進んだ代替わり/消費される天皇制」(22日付朝日新聞)という見出しが新聞におどっていた。まるで祝祭儀のように粛々(しゅくしゅく)と営まれた「令和天皇制」への移行は一方で、“ジョ-カ-”の出現をいつか許してしまうような「終わりの始まり」ではないのか、とそんな気がしたのである。

 

 時はさかのぼり、明治天皇(1852―1912年)の暗殺を企てたとして、幸徳秋水ら12人が死刑に処せられた「大逆事件」(1910年5月~)の直後、石川啄木は『時代閉塞の現状―強権、純粋自然主義の最後および明日の考察』の中に以下のように書き付けた。100年以上も前の啄木のこのメッセ-ジは日本やアメリカだけではなく、世界の現状を射抜いて余すところがない。

 

 「我々青年を囲繞(いぎょう)する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。強権の勢力は普(あまね)く国内に行わたっている。現代社会組織はその隅々(すみずみ)まで発達している。――そうしてその発達がもはや完成に近い程度まで進んでいることは、その制度の有する欠陥(けっかん)の日一日明白になっていることによって知ることができる。…そうしてまた我々の一部は、『未来』を奪われたる現状に対して、不思議なる方法によってその敬意と服従とを表している。元禄時代に対する回顧(かいこ)がそれである。見よ、彼らの亡国的感情が、その祖先が一度遭遇(そうぐう)した時代閉塞の状態に対する同感と思慕とによって、いかに遺憾(いかん)なくその美しさを発揮しているかを」


 「かくて今や我々青年は、この自滅の状態から脱出するために、ついにその『敵』の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々の希望やないしその他の理由によるのではない、じつに必至である。我々はいっせいに起ってまずこの時代閉塞(へいそく)の現状に宣戦しなければならぬ。自然主義を捨て、盲目的反抗と元禄の回顧とを罷(や)めて全精神を明日の考察――我々自身の時代に対する組織的考察に傾注(けいちゅう)しなければならぬのである」

 

 いささか長い引用になったが、啄木のこの予言が名優、ホアキン・フェニックが演じる殺人鬼“ジョ-カ-”として、私たちの目の前にいま立ち現れたのではないのか―。夢想、いや妄想と言われれば、あるいはその通りかもしれない。しかし、その一方で私の脳裏には今次の台風襲来に際し、一部の自治体が避難所へのホ-ムレスの受け入れを拒否したというニュ-スが去来して離れない。そう、「天皇制」という制度はかつて、“非国民”という名の疎外者を内に抱え込むことによって、その権威を維持してきたことはすでに歴史が証明するところである。そして、装いを新たにした「令和天皇制」とそれを演出した政治の側も実はこの種の「外部」に支えられることによって、初めて成立するものなのであろう。そんな思いに私はとらわれていた。

 

 ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞した「ジョ-カ-」は実に不気味な映画である。笑いを振りまくことを生きがいにしていた善人の道化師がいつしか、無差別殺人を繰り返す狂気のカリスマに変貌していく…。何が主人公のア-サ-・フレックをそうさせたのか。現在のアメリカ社会が抱える貧富の格差や弱者への迫害などが背景に描かれているが、ア-サ-の狂気はそれだけでは到底説明することはできない。米国での公開時には不測の事態に備えて、警察や軍隊が警戒に当たったといういわくつきの作品である。評価が真っ二つに分かれる所以(ゆえん)である。

 

 「狂っているのは自分か、それとも世界か」とア-サ-がつぶやく場面がある。その両方だと私は思う。善と悪を超えた地平線上にオ-ロラのように現れた、もうひとりの人間像がぼっ~とかすんで見えるような気がする。ひょっとすると、それは「内なる狂気」を意識する自分自身なのかもしれない。啄木の時代閉塞感とまるで平安絵巻でも見るような令和の代替わり、そして史上最強のヴィラン(悪役)となった“ジョ-カ-”の登場……。この三様の光景が頭の中をぐるぐると回っている。一体、何故なのか!?映画館に二度足を運んだが、このナゾを私はまだ、解けないでいる。

 

 沖縄文化の象徴―首里城が炎上・焼失した。琉球処分や沖縄戦などの受難史を刻み込んだ歴史の喪失…。時代が抹殺されるようなそんな世紀末の光景を、私の混乱した頭は思い浮かべている。余りにもせっかちな思い込みであろうか―

 

 

 

 

(写真は玉座「高御座」(たかみくら)に立つ天皇陛下に向かって、万歳三唱をする安倍晋三首相と祝砲を放つ自衛隊の祝砲部隊=10月22日午後、皇居で。インタ-ネット上に公開の写真より)



 

男と女の“棺桶”リスト

  • 男と女の“棺桶”リスト

 

 

 「女房に先立たれた夫は大体、2年以内に死ぬらしいぞ」(2019年1月29日付当ブログ参照)―。歯に衣着せぬ盟友のジャズミュ-ジシャン、坂田明さん(73)からこんな“ご託宣”を受けてからさらに時が流れ、ふと気が付けば本日(10月29日)が14回目の月命日である。ということは、坂田さんの定理に従えば、私の余命は最大であと9か月ということになる。「老い先」のことはなるべく考えないことにしていたが、チコちゃんから「ボ~っと生きてんじゃね-よ」(NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」)と一喝(かつ)され、我に返った。折しも、こんな自分にお灸(きゅう)をすえてくれるような映画が公開された。

 

 「最高の人生の見つけ方」(犬童一心監督、10月11日公開)は、人生のほとんどを家庭のために捧げてきた主婦・幸枝(吉永小百合)と、仕事一筋に生きてきた大金持ちの女社長・マ子(天海祐希)が主演。がんの余命宣告を受けた2人は病院で偶然に同室となる。人生に空しさを感じていた2人は難病で入院中の少女が残した…「死ぬまでにやりたいことリスト」をたまたま手にする。幸枝とマ子は、残された時間をこのリストに書かれたすべてを実行するために費やす決断をし、自らの殻を破っていく…。「人生の中の幸せの時間というのは永遠には続きません。だからこそ、できるだけハッピ-に見える時間を作るようにしました」と犬童監督は語っている。何となく勇気をもらったような気持になった。

 

 実はこの映画には“元祖”がある。米国で2007年に公開され、世界中で大ヒットした同名の映画(ロブ・ライナ-監督)である。がんで余命半年を宣告された大富豪の剛腕実業家(ジャック・ニコルソン)と勤勉実直な自動車修理工(モ-ガン・フリ-マン)がこっそり、病院を抜け出し、人生最後の旅に出るという場面で映画はクライマックスを迎える。ところで、「The Bucket List」―つまり、“棺桶リスト”がこの映画の原題である。まさに、言いえて妙(みよう)。チコちゃんの言うように、ボ~っと生きている暇なんてない。

 

 「何でも手に入れることができた人間が本当に欲しかったものは?」、「最後に見つけた本当の幸せとは?」…。この二つの映画に共通するテーマである。さ~て、わが男やもめも我流の“棺桶リスト”を作ってみることにするか。と、ここでまた頭を抱えてしまう。「果たして同じ境遇の相方がすぐに見つかるかなぁ」。とりあえずは以下の手引書をわきに置きながら、じっくり考えて見ようと思う。“棺桶リスト”を完成させないままに哀れな人生に幕を閉じることになるのか、それとも何か奇跡が起きるのか……

 

 

【男たちの棺桶リスト】

 

・スカイダイビングをする
・ライオン狩りをする
・万里の長城をバイクで走る
・ピラミッドを見る
・香港に行く
・壮厳な景色を見る
・エベレスト登頂
・世界一の美女にキスをする
・泣くほど笑う
・見ず知らずの人に親切にする

 

 

【女たちの棺桶リスト】

 

・スカイダイビングをする

・お金持ちになる

・ももクロのライブに行く

・日本一大きなパフェを食べる

・他人のために何かをして喜んでもらう

・さかあがりが出来るようになる

・パパとママにありがとうを言う

・ウェディングドレスを着る

・好きな人に告白をする

・宇宙旅行をする

 

 

 

 

(写真は日本版「最高の人生の見つけ方」のポスタ-=インタ-ネットに公開の写真から)