(旧菊池捍邸の『黒ぶだう』モデル説に疑義を呈した)上田(東一)市長「発言」をずっと、引きずっている(8月17日当ブログ参照)。で、「そんな時は原典に」というわけで、十数年ぶりに宮沢賢治の掌編『黒ぶだう』を手に取ってみた。仔牛(こうし)がキツネに出会い、誘われて無人のベチュラ公爵の別荘に入り込む。二階に上り、テーブルの黒ブドウを食べていると、公爵らが帰宅。キツネは素早く逃げ出すが、仔牛は取り残されてしまう。
広大な牧場の周りで(キタ)キツネがはね回っている。白樺林が続く道の向こうにはしゃれた洋館の二階建が…。北海道勤務が長かったせいか、読後に目に浮かんだのは北の大地に広がるこんな風景だった。ある意味、目に沁みついた記憶である。ところで、仔牛はとがめられるどころか、幸せのシンボルである“黄色いリボン”を巻いてもらう。ほのぼのとしたラストシーンである。
さて、このミステリー劇場での仔牛の運命はいかに…。黒ぶだう牛を食べたことがある人でも案外、この寓話を読んだことのある人は少ないかもしれない。そこで、皆さんと一緒に考えを巡らしてみたいと思う。では、ご一緒に。
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仔牛が厭(あ)きて頭をぶらぶら振ってゐましたら向ふの丘の上を通りかかった赤狐(あかぎつね)が風のやうに走って来ました。「おい、散歩に出ようぢゃないか。僕がこの柵(さく)を持ちあげてゐるから早くくぐっておしまひ。」仔牛は云(は)はれた通りまづ前肢(まえあし)を折って生え出したばかりの角を大事にくぐしそれから後肢をちゞめて首尾よく柵を抜けました。二人は林の方へ行きました。
狐が青ぞらを見ては何べんもタンと舌を鳴らしました。そして二人は樺(かば)林の中のベチュラ公爵の別荘の前を通りました。ところが別荘の中はしいんとして煙突からはいつものコルク抜きのやうな煙も出ず鉄の垣(かき)が行儀よくみちに影法師を落してゐるだけで中には誰(たれ)も居ないやうでした。そこで狐がタン、タンと二つ舌を鳴らしてしばらく立ちどまってから云ひました。
「おい、ちょっとはひって見ようぢゃないか。大丈夫なやうだから。」犢(こうし)はこはさうに建物を見ながら云ひました。「あすこの窓に誰かゐるぢゃないの。」「どれ、何だい、びくびくするない。あれは公爵のセロだよ。だまってついておいで。」「こはいなあ、僕は。」「いゝったら、おまへはぐづだねえ。」
赤狐はさっさと中へ入りました。仔牛も仕方なくついて行きました。ひひらぎの植込みの処(ところ)を通るとき狐の子は又青ぞらを見上げてタンと一つ舌を鳴らしました。仔牛はどきっとしました。赤狐はわき玄関の扉(と)のとこでちょっとマットに足をふいてそれからさっさと段をあがって家の中に入りました。仔牛もびくびくしながらその通りしました。
「おい、お前の足はどうしてさうがたがた鳴るんだい。」赤狐は振り返って顔をしかめて仔牛をおどしました。仔牛ははっとして頸(くび)をちゞめながら、なあに僕は一向家の中へなんど入りたくないんだが、と思ひました。「この室(へや)へはひって見よう。おい。誰か居たら遁(に)げ出すんだよ。」赤狐は身構へしながら扉をあけました。
「何だい。こゝは書物ばかりだい。面白くないや。」狐は扉をしめながら云ひました。支那(しな)の地理のことを書いた本なら見たいなあと仔牛は思ひましたがもう狐がさっさと廊下を行くもんですから仕方なく又ついて行きました。「どうしておまへの足はさうがたがた鳴るんだい。第一やかましいや。僕のやうにそっとあるけないのかい。」狐が又次の室(へや)をあけようとしてふり向いて云ひました。
仔牛はどうもうまく行かないといふやうに頭をふりながらまたどこか、なあに僕は人の家の中なんぞ入りたくないんだ、と思ひました。「何だい、この室はきものばかりだい。見っともないや。」赤狐(あかぎつね)は扉(と)をしめて云ひました。僕はあのいつか公爵の子供が着て居た赤い上着なら見たいなあと仔牛は思ひましたけれどももう狐がぐんぐん向ふへ行くもんですから仕方なくついて行きました。
狐はだまって今度は真鍮(しんちゅう)のてすりのついた立派なはしごをのぼりはじめました。どうして狐さんはあゝうまくのぼるんだらうと仔牛は思ひました。「やかましいねえ、お前の足ったら、何て無器用なんだらう。」狐はこはい眼をして指で仔牛をおどしました。
はしご段をのぼりましたら一つの室があけはなしてありました。日が一ぱいに射(さ)して絨毯(じゅうたん)の花のもやうが燃えるやうに見えました。てかてかした円卓(まるテーブル)の上にまっ白な皿(さら)があってその上に立派な二房の黒ぶだうが置いてありました。冷たさうな影法師までちゃんと添へてあったのです。「さあ、喰べよう。」狐はそれを取ってちょっと嗅(か)いで検査するやうにしながら云ひました。
「おい、君もやり給(たま)へ。蜂蜜(はちみつ)の匂(にほひ)もするから。」狐は一つぶべろりとなめてつゆばかり吸って皮と肉とさねは一しょに絨鍛の上にはきだしました。「そばの花の匂もするよ。お食べ。」狐は二つぶ目のきょろきょろした青い肉を吐き出して云ひました。「いゝだらうか。」僕はたべる筈(はず)がないんだがと仔牛は思ひながら一つぶ口でとりました。
「いゝともさ。」狐はプッと五つぶめの肉を吐き出しながら云ひました。仔牛はコツコツコツコツと葡萄(ぶだう)のたねをかみ砕いてゐました。「うまいだらう。」狐はもう半ぶんばかり食ってゐました。「うん、大へん、おいしいよ。」仔牛がコツコツ鳴らしながら答へました。そのとき下の方で「ではあれはやっぱりあのまんまにして置きませう。」といふ声とステッキのカチッと鳴る音がして誰(たれ)か二三人はしご段をのぼって来るやうでした。
狐はちょっと眼を円くしてつっ立って音を聞いてゐましたがいきなり残りの葡萄の房を一ぺんにべろりとなめてそれから一つくるっとまはってバルコンへ飛び出しひらっと外へ下りてしまひました。仔牛はあわてて室の出口の方へ来ました。「おや、牛の子が来てるよ。迷って来たんだね。」せいの高い鼻眼鏡(はなめがね)の公爵が段をあがって来て云ひました。
「おや、誰か葡萄なぞ食って床へ種子(たね)をちらしたぞ。」泊りに来て居た友だちのヘルバ伯爵が上着のかくしに手をつっこんで云ひました。「この牛の仔にリボン結んでやるわ。」伯爵の二番目の女の子がかくしから黄いろのリボンを出しながら云ひました。
(『宮澤賢治全集6』の「黒ぶだう」から=ちくま文庫)
(写真は共同通信の新聞連載「黒ぶだう」のイラスト=インターネット上に公開の「いっちゃんのイラスト」から)
《追記》~「想像の王国」(第23回=2013年=宮沢賢治賞受賞の富田勲さんの言葉)
「作曲家の冨田勲さんは毎冬、ハワイのマウイ島に残る日本人移民の墓を訪れた。苛酷(かこく)な農場労働を強いられ、故郷への思慕の中で亡くなっていったあまたの人々の痛みを冨田さんは自ら己の心に刻もうとした。煤(すす)けた墓標に手を合わせていると、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』や『よだかの星』がきこえたという。戦時中、自分に想像の王国のありかを教えてくれたのが賢治だった」(8月25日付朝日新聞コラム「日曜に想う」から)
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