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暑い日が続いています 外に出るとジリジリと肌が焼けそうな暑さです 南陽市の北小滝地区に南陽市の名瀑「くぐり滝」があります 水の流れる音とひやりとする空気はこの暑さの中で一服の清涼剤のような風景で南陽市の避暑地です 

  • 暑い日が続いています 外に出るとジリジリと肌が焼けそうな暑さです 南陽市の北小滝地区に南陽市の名瀑「くぐり滝」があります 水の流れる音とひやりとする空気はこの暑さの中で一服の清涼剤のような風景で南陽市の避暑地です 
  • 暑い日が続いています 外に出るとジリジリと肌が焼けそうな暑さです 南陽市の北小滝地区に南陽市の名瀑「くぐり滝」があります 水の流れる音とひやりとする空気はこの暑さの中で一服の清涼剤のような風景で南陽市の避暑地です 
2021.08.05:masato0525:コメント(0):[コンテンツ]

これは「フウセンカズラ」の種です 初めて鉢植えし収穫した種ですがこんな形をしている種にびっくりして紹介しました 間もなくお盆です この「フウセンカズラ」を見ていると何故かお盆を思い出します ちょうちんの形をしているからでしょうか

  • これは「フウセンカズラ」の種です 初めて鉢植えし収穫した種ですがこんな形をしている種にびっくりして紹介しました 間もなくお盆です この「フウセンカズラ」を見ていると何故かお盆を思い出します ちょうちんの形をしているからでしょうか
  • これは「フウセンカズラ」の種です 初めて鉢植えし収穫した種ですがこんな形をしている種にびっくりして紹介しました 間もなくお盆です この「フウセンカズラ」を見ていると何故かお盆を思い出します ちょうちんの形をしているからでしょうか
2021.08.04:masato0525:コメント(0):[コンテンツ]

これは何だかわかりますか 収穫したばかりの植物の種です 答えは明日

  • これは何だかわかりますか 収穫したばかりの植物の種です 答えは明日
2021.08.03:masato0525:コメント(0):[コンテンツ]

山を散策していた時に茎の先に淡黄色の小さな葉を傘のように咲かせる「アシタバ」が咲いていました 生命力が旺盛で今日葉をとっても明日また新しい葉がよく出るという意味で名付けられと言われています よく似た「ハマウド」という名前の植物がありますのでどちらなのかわかりません

  • 山を散策していた時に茎の先に淡黄色の小さな葉を傘のように咲かせる「アシタバ」が咲いていました 生命力が旺盛で今日葉をとっても明日また新しい葉がよく出るという意味で名付けられと言われています よく似た「ハマウド」という名前の植物がありますのでどちらなのかわかりません
2021.08.03:masato0525:コメント(0):[コンテンツ]

昨日8月1日は南陽市の名誉市民で元日銀総裁の結城豊太郎翁の70回目の命日です 結城翁が眠る赤湯東正寺で墓前祭が行われ在りし日を偲ぶひと時でした 東正寺境内にフルメリア(プルメリア)の花が咲いていました。この花はタヒチやフィジー サモア ハワイ、ニュージーランドなどの太平洋の島々でレイに好んで使われています 花は女性の髪にも飾られ、未婚者は頭の右に既婚者は左に飾るのだそうです この辺ではあまり見られない花です 。

  • 昨日8月1日は南陽市の名誉市民で元日銀総裁の結城豊太郎翁の70回目の命日です 結城翁が眠る赤湯東正寺で墓前祭が行われ在りし日を偲ぶひと時でした 東正寺境内にフルメリア(プルメリア)の花が咲いていました。この花はタヒチやフィジー サモア ハワイ、ニュージーランドなどの太平洋の島々でレイに好んで使われています 花は女性の髪にも飾られ、未婚者は頭の右に既婚者は左に飾るのだそうです この辺ではあまり見られない花です 。
  • 昨日8月1日は南陽市の名誉市民で元日銀総裁の結城豊太郎翁の70回目の命日です 結城翁が眠る赤湯東正寺で墓前祭が行われ在りし日を偲ぶひと時でした 東正寺境内にフルメリア(プルメリア)の花が咲いていました。この花はタヒチやフィジー サモア ハワイ、ニュージーランドなどの太平洋の島々でレイに好んで使われています 花は女性の髪にも飾られ、未婚者は頭の右に既婚者は左に飾るのだそうです この辺ではあまり見られない花です 。

この墓前祭で東正寺本間住職様による結城翁にまつわるお話がありました。本間住職によると、結城翁は赤湯に帰郷すると、必ず東正寺傍の道を利用し正装して秋葉山に登ったそうです。下山すると東正寺に立ち寄り、本間住職様の祖父と語り合ったと聞いていると聞いていたとのことです。

結城翁の正装の紋付や袴が残されており、記念館に寄贈されたとのことです。

また、東正寺には結城翁が揮毫した書が本堂に飾られています。その一つには「第一義」と記されており、その意味するところも解説していただきました。ネットの情報をそのまま掲載します。ご一読下さい。

禅宗初祖の達磨大師がインドから中国にやって来た時、梁(りょう)の武帝に会いました。武帝は「仏心天子」とも呼ばれるほどあつく仏教に帰依した皇帝です。その武帝が達磨に向かって「私にはどのような功徳が有るだろうか」と尋ねた時、達磨大師はキッパリと「功徳などありません」と答えられました。鼻柱をへし折られた武帝がさらに「それなら仏法の最も大切な真理(聖諦第一義=しょうたいだいいちぎ)とは何か」と尋ねたところ、達磨大師は「廓然無聖(かくねんむしょう)」と答えられたのです。「廓然」とは、雲一つないカラリと晴れわたった空のようにサッパリとしてなんのとらわれもないことの形容で、「無聖」とは、聖なる崇高な真理などないということです。何か崇高な価値観を立ててそれを概念化し、聖だ凡だととらわれている武帝に対し、達磨大師は、そういった価値づけを断ち切ってみせました。しかし、実はそれが聖諦第一義にほかならないことを、武帝は気づかなかったようです。

2021.08.02:masato0525:コメント(0):[コンテンツ]