この墓前祭で東正寺本間住職様による結城翁にまつわるお話がありました。本間住職によると、結城翁は赤湯に帰郷すると、必ず東正寺傍の道を利用し正装して秋葉山に登ったそうです。下山すると東正寺に立ち寄り、本間住職様の祖父と語り合ったと聞いていると聞いていたとのことです。
結城翁の正装の紋付や袴が残されており、記念館に寄贈されたとのことです。
また、東正寺には結城翁が揮毫した書が本堂に飾られています。その一つには「第一義」と記されており、その意味するところも解説していただきました。ネットの情報をそのまま掲載します。ご一読下さい。
「禅宗初祖の達磨大師がインドから中国にやって来た時、梁(りょう)の武帝に会いました。武帝は「仏心天子」とも呼ばれるほどあつく仏教に帰依した皇帝です。その武帝が達磨に向かって「私にはどのような功徳が有るだろうか」と尋ねた時、達磨大師はキッパリと「功徳などありません」と答えられました。鼻柱をへし折られた武帝がさらに「それなら仏法の最も大切な真理(聖諦第一義=しょうたいだいいちぎ)とは何か」と尋ねたところ、達磨大師は「廓然無聖(かくねんむしょう)」と答えられたのです。「廓然」とは、雲一つないカラリと晴れわたった空のようにサッパリとしてなんのとらわれもないことの形容で、「無聖」とは、聖なる崇高な真理などないということです。何か崇高な価値観を立ててそれを概念化し、聖だ凡だととらわれている武帝に対し、達磨大師は、そういった価値づけを断ち切ってみせました。しかし、実はそれが聖諦第一義にほかならないことを、武帝は気づかなかったようです。
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