「オカヒジキ」は今でも庄内地方の海岸に自生しており、南陽市に入ってきたのは最上川の舟運によって庄内地方から市内沖郷地区宮崎の船着場に陸揚げされ砂塚村(現在の南陽市砂塚)に移植されたといいます。明治時代になって長谷部藤平という人が改良を重ね今に至っているといいます。
鶴岡市の郷土資料館に所蔵されている「松竹往来」(1672年発行 庄内地方の名産品を紹介した)という古文書にオカヒジキと名前を見つけることができ、その頃からすでにあったことも解っています。
歴史の重みを感じる伝統野菜ですが、南陽8ミリクラブでは今年「ふるさとの伝統野菜 オカヒジキ」をテーマに映像教材づくりが始まりました。完成しましたら上映会も開催いたしますのでお楽しみに。
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