観音堂の境内でたまたま落ち葉を掃き集めていた東正寺本間宗一住職からこの疫神社をお聞きし、初めて知りました
本間宗一住職は春から毎日この神社に祈願しコロナが治まることを念じているとのことした。
南陽市史をひもといてみると、大正3年4月23日に赤湯に腸チフスがが発生し、罹患者58名、死者5名を出したとの記録がありました。この神社の右側面に大正3年6月12日と記されていますので、この腸チフスの流行り病を収束させ安寧を願って建立されたのがこの「疫神社」ではないかと推測されます。大正7年にはスペイン風邪が大流行しています。
この神社の右側面に後藤(現在の後藤医院)氏等6名の名前が刻まれています。その中には結城豊太郎の甥結城忠太郎の名前も見え、赤湯の主だった人たちの名前をみることができます。
いつの時代も流行り病といわれる病気は怖いもので、ましてやその治療法が確立されていない時代ではその不安は大きなものだったに違いありません。
今コロナがいつ収束するのかも見通せず治療法もわからず不安はつのるばかりです。
「疫神社」に手を合わせてきました。早くコロナが収束しますように。
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