ブログにコメントを頂きました。
ぜひ見ていただきたいのですが、
私もそう思います。
こんなことがありました。
100円ショップである50代の男性が激怒していました。
最初は自分が商品を見ていたら、
文具売り場で、店員にいろいろ聞いているお客さんがいました。
そんなに気もとめて聞いていたわけではなかったのですが、
どうやら、そのお客さんが怒りの雰囲気が充満してるような話し方になってきたので、
ちょっと聞いていたら、
バインダーを買いに来たそうでしたが、
サイズがよく分からないと店員を呼んで、自分が買いたいサイズのバインダーはどれだと聞いていました。
店員はA4だとこれですし、A5だとこれですよと説明していた。
そうすると、その初老の男はA4だとかA5だとか俺はわからんのだ!!!と怒りだして、
そんな説明は不親切だと怒りだしたのです。
店員はそれでも、お客様が必要なサイズはどれくらいなのですか?と聞いたのだが、
その質問にそのお客はサイズも分かりもしないで買いに来たのかと。
バカにされたように感じたのかますます怒りが爆裂ぎみになってきました。
う~~~~んと思いましたが、その場を離れました。
そして自分の買い物をしてレジに行ったら、
なんか大声でレジのところで電話をしている人がいます。
その50代後半の男性でした。
いわく「お前のところの社員教育はどうなっているのだ!!!!」などと、
周囲のお客さんにも聞こえる大声で、当事者の社員。。。。たぶんパートのおばさ
んですけど、あてこするような大声で怒り心頭に本部かどっかに電話していました。
どうなんでしょう。
老人というのは社会から尊敬されても良い存在だと思うのです。
しかし、長年人生を生きてきて、いろんなことを経験し、
それを若年の人たちに伝えていくというような存在であって始めて尊敬される存在になっていくのではないでしょうか。
それを、長く生きてきたから何を言っても許されるというような態度はどうかと思うのです。
むしろ逆ではないのでしょうか。
自分が必要なものをきちんと調べて買い物に来なかったから、迷惑かけるね、、、、
という姿勢ぐらいあって人生の辛酸を感じる生き方をされた方なのだなぁと、
若い人たちは老人を尊敬する姿勢になるのではないでしょうか。
それを、なんでもかんでも、老人に対して親切にするのは当然だというようなそぶりはいったいお前はどんな生き方をしてきたんだよ、といいたくなります。
今の時代、消費者はなんでもかんでも言いたいことを言えると勘違いしているような気がします。
違うよ。
なになにしてくれろのが当然だというような”くれない病”にかかっているような人間ばかり、
せめて老人は、人生経験が豊かなわけだからそんなこともなく自省をしか生き方をしてもらいたいと思うのです。
ほんと、いいたい。
ええ年をこいて、
すこしはまともな生き方を後輩に示せ!!! とね。
あと今、タイガーウッズのドバイでの試合を生中継で見ていましたが、
ほんとオオバカ野郎というようなシーンを見ましたので、
それについては次回に書きます(^o^)丿
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2月10日(木) 強欲さ
よくある話だけど、またまた詐欺事件として岡本ホテル事件がニュースになっている。
50万円から3000万円を預けると5年後には、預けた金が全額返ってきて、
なおかつ、それに付帯してホテルにただで泊まれるそうで、
しかも、ホテルに泊まらなかったら、その使用しないポイントを一定の割合で買い取るそうで、
かなりの高利回りになるという詐欺事件です。
だまされた人たちのほとんどが高齢者だそうです。
テレビに出ていた被害者の老人は退職金を300万投資したのに、こんな年寄りをだましてひどいと怒っていた。
う~~~~ん。
まぁ、確かにだますほうがもちろん悪いわけだが、
この手のニュースを見るたびにいつも思う。
こんなあからさまな悪徳商法にひっかかったり、
考えられないような儲け話にころりとだまされるのは、
ほとんどの場合、強欲な年寄りのケースが多い。
何十年も人生を生きてきて、
どうしてそんなバカな話にひっかかるのだろうと正直思ってしまう。
楽して儲けたいという気持ちがしみついている人々なのだろう。
人生をきちんと生きてきていればそのような事件に巻き込まれる素地が出来るはずもないのだが・・・・
と、いつもそんな被害者たちのインタビューを見ていてそう思ってしまうのは私だけでしょうかねぇ。
50万円から3000万円を預けると5年後には、預けた金が全額返ってきて、
なおかつ、それに付帯してホテルにただで泊まれるそうで、
しかも、ホテルに泊まらなかったら、その使用しないポイントを一定の割合で買い取るそうで、
かなりの高利回りになるという詐欺事件です。
だまされた人たちのほとんどが高齢者だそうです。
テレビに出ていた被害者の老人は退職金を300万投資したのに、こんな年寄りをだましてひどいと怒っていた。
う~~~~ん。
まぁ、確かにだますほうがもちろん悪いわけだが、
この手のニュースを見るたびにいつも思う。
こんなあからさまな悪徳商法にひっかかったり、
考えられないような儲け話にころりとだまされるのは、
ほとんどの場合、強欲な年寄りのケースが多い。
何十年も人生を生きてきて、
どうしてそんなバカな話にひっかかるのだろうと正直思ってしまう。
楽して儲けたいという気持ちがしみついている人々なのだろう。
人生をきちんと生きてきていればそのような事件に巻き込まれる素地が出来るはずもないのだが・・・・
と、いつもそんな被害者たちのインタビューを見ていてそう思ってしまうのは私だけでしょうかねぇ。
2月6日(日) ブログ
友人のブログを見ていたら、
ある方のブログを紹介していました。
私もここに載せてみます。
その先生が五年生の担任になった時、その中に一人、服装が不潔でだらしなく、
どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを
記入するようになっていた。
あるとき、少年の一年生からの記録が目に止まった。
「ほがらかで、友達が好きで、人にも親切。
勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。
間違いだ。他の子の記録に違いない。
先生はそう思った。
二年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、
時々遅刻をする」と、書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、
教室で居眠りをする」
後半の記録には「母親が死亡。
希望を失い、悲しんでいる」とあり、
四年生になると「父は生きる意欲を失い、
アルコール依存症となり、子供に暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。
ダメと決め付けていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として、
自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で
予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手を上げた時、
先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔をうずめて
叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い!
きょうはすてきなクリスマスだ」
六年生で先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、
いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
それから六年。
またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。
僕は五年生で先生に担当してもらって、
とても幸せでした。
おかげで奨学金をもらって
医学部に進学することができます」
十年を経て、またカードが来た。
そこには先生と出会えたことへの感謝と
父親に叩かれた体験があるから、
患者の痛みが分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生のときの先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を
救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
五年生の時に担任してくださった先生です」
そして一年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」と一行、
書き添えられていた。
ある方のブログを紹介していました。
私もここに載せてみます。
その先生が五年生の担任になった時、その中に一人、服装が不潔でだらしなく、
どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを
記入するようになっていた。
あるとき、少年の一年生からの記録が目に止まった。
「ほがらかで、友達が好きで、人にも親切。
勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。
間違いだ。他の子の記録に違いない。
先生はそう思った。
二年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、
時々遅刻をする」と、書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、
教室で居眠りをする」
後半の記録には「母親が死亡。
希望を失い、悲しんでいる」とあり、
四年生になると「父は生きる意欲を失い、
アルコール依存症となり、子供に暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。
ダメと決め付けていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として、
自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で
予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手を上げた時、
先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔をうずめて
叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い!
きょうはすてきなクリスマスだ」
六年生で先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、
いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
それから六年。
またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。
僕は五年生で先生に担当してもらって、
とても幸せでした。
おかげで奨学金をもらって
医学部に進学することができます」
十年を経て、またカードが来た。
そこには先生と出会えたことへの感謝と
父親に叩かれた体験があるから、
患者の痛みが分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生のときの先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を
救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
五年生の時に担任してくださった先生です」
そして一年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」と一行、
書き添えられていた。
2月2日(水) 早川義男
早川義男というずっと昔に”サルビアの花”という歌を作って歌っていて、
その後、歌手を辞めて本屋さんをやっていた人がいます。
その彼が、最近また活動を始めています。
その彼のエッセイが面白いのです。
その一部を勝手に引用させていただきます。
(早川さんごめん、許してね)
本屋の夢ばかり見る。店を閉めてからもう七年も経つのに、いまだに見る。
たとえば、妻が通路に編物の本をずらーっと並べてしまうので、
何やってんだよと怒ったりするような、そんな夢で、目が覚める。
よっぽど苦労したからだろうか、それとも楽しかったからだろうか。
わからない。とにかく、僕の中では、いまだに本屋が続いているのである。
十八歳から二十一歳ぐらいまで、僕は歌を歌っていた。
売れなかった。
グループは解散し、制作の仕事に回ったが、やめた。勝手な言い草だが、
いわゆる、ふざけたり、かっこつけたりする若者の顔が無性に嫌になった。
二十三歳だった。早く、おじいさんになりたかった。
ファンであったという人から「もう歌わないんですか?」と尋ねられた時、
「なぜ生きているんですか?」と問われているような錯覚に陥ったが、
「五十か六十になったらまた歌いますよ」と僕は冗談まじりに答えた。
しかし、それは案外本気だった。
どんなに月日が流れても、僕は何一つ変わらない。いつの時代も、変わるのは風景だけだ。
二十五歳で店を持った。本屋を選んだのは、風呂屋の番台のように、
猫でも抱いていれば、毎日が過ぎていくだろうと思ったからだが、
それは、まったくの大きな勘違いであった。
そんな苦労話や笑い話は、『ぼくは本屋のおやじさん』という本に書いたことだが、
小さな町の小さな本屋は、本を揃えたくとも、欲しい本は入って来ないのである。
考えてみれば、しかたがないことであった。
たとえば、初版五千部の本をどうやって全国ニ万軒の書店に行き渡らせることが出来ようか。
時々「俺は本が好きだぞ」みたいなお客さんから、「新聞広告が出ているのに、どうしてないの?」とバカにされることはあったが、
そのたびに僕は、街を作るのも、店の棚を作るのも、同じ街に住んでいる人たちなのになーと思った。
幸いいいお客さんに恵まれ、気さくな本屋仲間ともめぐり逢い、本屋は楽しかったが、このまま終っていいのだろうかと思った。
もしも、このまま死んでしまったら、自分の身体はちゃんと燃えないのではないかと思った。
かつて、音楽を中途半端な状態でやめてしまったという、気持ち悪さがあったからだ。
何かやり残していることがあるような、自分が何者なのかを知りたくなったのだ。
笑われても構わない。
これから下り坂という時に、今度は若い頃に戻りたくなってしまったのである。
恋をした。僕は再び歌を作るようになった。
ブランクとか技術とか才能は関係ない。へただっていい。
伝えたいことと、伝えたい人がいれば、歌は生まれて来るのだ。
もしも、歌いたいことがなければ、歌わないことが、歌っていることなのだ。
僕は「歌わなかった二十数年間、実は歌っていたんだね」と思われるように、歌を歌いたかった。
復活後の最初の仕事はBSテレビの収録だった。
僕は緊張のあまり、何度もトチッてしまった。
逃げ出したくなるほど恥ずかしかった。
ところが、その時、ディレクターから「早川さん、全然おかしくありませんから。
僕はこの歌が好きになって、何度も聴けて幸せだと思っているくらいですから。
途中でやめてもいいですし、プロとして最後まで歌ってもいいですし、時間はいくらでもありますから」と勇気づけられた。
僕は下を向きながら、ああ、僕の求めている場所はここなのだ、と思った。
この綱の上を歩いていけば、そこに、たどりつけるような気がした。
本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の世界には、そんな感動はなかったからだ。
しかし、それはとんでもない間違いであった。閉店の日、僕は泣いてばかりいた。
棚を見ているだけで、涙がこぼれて来た。
これまでに、一度も喋ったことのないお客さんからも「寂しい」と言われたり、「残念です」とか「元気でね」と声をかけられた。
花束や手紙をもらった。
いつもよりずっと長くいて、棚をひとつひとつ丁寧に見て回る人もいた。
何も語らず、たくさん本を買っていく人もいた。
本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の世界にも感動はあったのだ。
小説や映画やステージの上だけに感動があるのではない。
こうした何でもない日常の世界に、それは、目に見えないくらいの小さな感動なのだが、
毎日積み重なっていたのだということを僕は閉店の日にお客さんから学んだ。
このことは一生忘れない。なにも歌を作ったり、人前で歌ったりすることが素晴らしいことでも、ましてや、かっこいいわけでもない。
日常で歌が歌えていれば、それに越したことはない。
日常をいきいきと暮らし、毎日が幸せなら、わざわざ歌を作って歌う必要などない。
寂しいから歌うのだ。
悲しいから歌うのだ。
何かが欠けているから歌うのだ。
精神が普通であれば、ちっともおかしくなければ、叫ぶ必要も心をあらわにする必要も楽器を震わせる必要もない。
歌わざるを得ないから歌うのだ。
先日、ある本屋で、つり銭を手のひらにポトッと落とされたことがある。
思わず、お金が落ちそうになったので慌てた。
「えっ、俺の手、そんなに汚いの?」と思った。
その話を他の人にしたら、「私もされたことがある」と言っていたから、どうも僕だけではないらしい。
レジにいた女の子は、人と接することはできない潔癖症なのだろう。
その逆に、ある大きなマーケットのレジで、「ありがとうございました。またお越しくださいませ」と頭を下げながら、
おつりを渡された時、手のひらを両手で包まれたことがあった。
その時は感激した。
「あれ、俺のこと好きなのかな」と思った。
一瞬、ポカンとしてしまった。
でも、次のお客さんに対しても同じように丁寧でてきぱきとしていたから、僕の勘違いだったのだが、
それでもなごりおしく、「お友達になりたいな」と思ったものだった。
後日、同じマーケットに行き、レジを見渡したが、彼女を見つけることは出来ず、
おつりを両手で包んで渡してくれるのは、結局その人だけだった。
店の方針とか店員教育ではなく、人柄だったのだ。
たましいだったのだ。
美味しいとか美味しくないとか、商品が揃っているかいないかは、もちろん大切だが、それ以上に接客態度は重要だ。
僕などは、たとえ美味しくても、いくら商品が揃っていても、感じが悪ければ二度と行かない。
別にお得意さんを大切にというのではない。
むしろ逆だ。
お得意さんのふりをしている人には、なるべく事務的にし、いわゆる手のかからない、普通のお客さんに対してこそ、優しくする店がいい。
サービスは、幸せと同じように、求めないとやって来るのだ。
瀬戸内寂聴の「この人はひょっとしたら観音さまかもしれない」という言葉を思い出した。
嫌だなと思った人のことを、もしかしたら、観音様なのかも知れないと思えば、嫌でなくなるというのだ。
悟ったわけではないけれど、人を観音様だと思うことは、自分が観音様になれる道なのではないだろうか。
最近、思ったこと。
すべての過去は、あれで良かったのだと思うようになった。
数々の失敗も、出会いも別れも、その道を選んだのも、あの道を選ばなかったのも、すべてあれで良かったのだと思うようになった。
もちろん、あの時、ああすれば良かった、こうすれば良かったというのはあるけれど、
そして今、特別幸せなわけではないけれど、今の僕があるのは、僕の過去のおかげなのだ。
いいものは、うるさくない。月や太陽のように黙っている。
もう二度と会えぬ人たちも黙っている。
耳を澄ませば聴こえて来るかも知れないけれど。
考えてみれば、僕たちの心やたましいは、いつだって黙っている。
本のように、黙っている。
勝手に引用してしまいまいたが、彼の感性がすごく気に入ってます。
彼の歌のほうはかなり人によっては好き嫌いがあるとは思いますが、
彼のような感性をもった人が作った歌という意味合いがある歌であることは間違いない。
勝手に引用したので、
いいなぁと思われた方はぜひ彼の本でも買ってみてください。
CDのほうはユーチューブで確認して・・・・もしよければですが(^_^;)
その後、歌手を辞めて本屋さんをやっていた人がいます。
その彼が、最近また活動を始めています。
その彼のエッセイが面白いのです。
その一部を勝手に引用させていただきます。
(早川さんごめん、許してね)
本屋の夢ばかり見る。店を閉めてからもう七年も経つのに、いまだに見る。
たとえば、妻が通路に編物の本をずらーっと並べてしまうので、
何やってんだよと怒ったりするような、そんな夢で、目が覚める。
よっぽど苦労したからだろうか、それとも楽しかったからだろうか。
わからない。とにかく、僕の中では、いまだに本屋が続いているのである。
十八歳から二十一歳ぐらいまで、僕は歌を歌っていた。
売れなかった。
グループは解散し、制作の仕事に回ったが、やめた。勝手な言い草だが、
いわゆる、ふざけたり、かっこつけたりする若者の顔が無性に嫌になった。
二十三歳だった。早く、おじいさんになりたかった。
ファンであったという人から「もう歌わないんですか?」と尋ねられた時、
「なぜ生きているんですか?」と問われているような錯覚に陥ったが、
「五十か六十になったらまた歌いますよ」と僕は冗談まじりに答えた。
しかし、それは案外本気だった。
どんなに月日が流れても、僕は何一つ変わらない。いつの時代も、変わるのは風景だけだ。
二十五歳で店を持った。本屋を選んだのは、風呂屋の番台のように、
猫でも抱いていれば、毎日が過ぎていくだろうと思ったからだが、
それは、まったくの大きな勘違いであった。
そんな苦労話や笑い話は、『ぼくは本屋のおやじさん』という本に書いたことだが、
小さな町の小さな本屋は、本を揃えたくとも、欲しい本は入って来ないのである。
考えてみれば、しかたがないことであった。
たとえば、初版五千部の本をどうやって全国ニ万軒の書店に行き渡らせることが出来ようか。
時々「俺は本が好きだぞ」みたいなお客さんから、「新聞広告が出ているのに、どうしてないの?」とバカにされることはあったが、
そのたびに僕は、街を作るのも、店の棚を作るのも、同じ街に住んでいる人たちなのになーと思った。
幸いいいお客さんに恵まれ、気さくな本屋仲間ともめぐり逢い、本屋は楽しかったが、このまま終っていいのだろうかと思った。
もしも、このまま死んでしまったら、自分の身体はちゃんと燃えないのではないかと思った。
かつて、音楽を中途半端な状態でやめてしまったという、気持ち悪さがあったからだ。
何かやり残していることがあるような、自分が何者なのかを知りたくなったのだ。
笑われても構わない。
これから下り坂という時に、今度は若い頃に戻りたくなってしまったのである。
恋をした。僕は再び歌を作るようになった。
ブランクとか技術とか才能は関係ない。へただっていい。
伝えたいことと、伝えたい人がいれば、歌は生まれて来るのだ。
もしも、歌いたいことがなければ、歌わないことが、歌っていることなのだ。
僕は「歌わなかった二十数年間、実は歌っていたんだね」と思われるように、歌を歌いたかった。
復活後の最初の仕事はBSテレビの収録だった。
僕は緊張のあまり、何度もトチッてしまった。
逃げ出したくなるほど恥ずかしかった。
ところが、その時、ディレクターから「早川さん、全然おかしくありませんから。
僕はこの歌が好きになって、何度も聴けて幸せだと思っているくらいですから。
途中でやめてもいいですし、プロとして最後まで歌ってもいいですし、時間はいくらでもありますから」と勇気づけられた。
僕は下を向きながら、ああ、僕の求めている場所はここなのだ、と思った。
この綱の上を歩いていけば、そこに、たどりつけるような気がした。
本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の世界には、そんな感動はなかったからだ。
しかし、それはとんでもない間違いであった。閉店の日、僕は泣いてばかりいた。
棚を見ているだけで、涙がこぼれて来た。
これまでに、一度も喋ったことのないお客さんからも「寂しい」と言われたり、「残念です」とか「元気でね」と声をかけられた。
花束や手紙をもらった。
いつもよりずっと長くいて、棚をひとつひとつ丁寧に見て回る人もいた。
何も語らず、たくさん本を買っていく人もいた。
本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の世界にも感動はあったのだ。
小説や映画やステージの上だけに感動があるのではない。
こうした何でもない日常の世界に、それは、目に見えないくらいの小さな感動なのだが、
毎日積み重なっていたのだということを僕は閉店の日にお客さんから学んだ。
このことは一生忘れない。なにも歌を作ったり、人前で歌ったりすることが素晴らしいことでも、ましてや、かっこいいわけでもない。
日常で歌が歌えていれば、それに越したことはない。
日常をいきいきと暮らし、毎日が幸せなら、わざわざ歌を作って歌う必要などない。
寂しいから歌うのだ。
悲しいから歌うのだ。
何かが欠けているから歌うのだ。
精神が普通であれば、ちっともおかしくなければ、叫ぶ必要も心をあらわにする必要も楽器を震わせる必要もない。
歌わざるを得ないから歌うのだ。
先日、ある本屋で、つり銭を手のひらにポトッと落とされたことがある。
思わず、お金が落ちそうになったので慌てた。
「えっ、俺の手、そんなに汚いの?」と思った。
その話を他の人にしたら、「私もされたことがある」と言っていたから、どうも僕だけではないらしい。
レジにいた女の子は、人と接することはできない潔癖症なのだろう。
その逆に、ある大きなマーケットのレジで、「ありがとうございました。またお越しくださいませ」と頭を下げながら、
おつりを渡された時、手のひらを両手で包まれたことがあった。
その時は感激した。
「あれ、俺のこと好きなのかな」と思った。
一瞬、ポカンとしてしまった。
でも、次のお客さんに対しても同じように丁寧でてきぱきとしていたから、僕の勘違いだったのだが、
それでもなごりおしく、「お友達になりたいな」と思ったものだった。
後日、同じマーケットに行き、レジを見渡したが、彼女を見つけることは出来ず、
おつりを両手で包んで渡してくれるのは、結局その人だけだった。
店の方針とか店員教育ではなく、人柄だったのだ。
たましいだったのだ。
美味しいとか美味しくないとか、商品が揃っているかいないかは、もちろん大切だが、それ以上に接客態度は重要だ。
僕などは、たとえ美味しくても、いくら商品が揃っていても、感じが悪ければ二度と行かない。
別にお得意さんを大切にというのではない。
むしろ逆だ。
お得意さんのふりをしている人には、なるべく事務的にし、いわゆる手のかからない、普通のお客さんに対してこそ、優しくする店がいい。
サービスは、幸せと同じように、求めないとやって来るのだ。
瀬戸内寂聴の「この人はひょっとしたら観音さまかもしれない」という言葉を思い出した。
嫌だなと思った人のことを、もしかしたら、観音様なのかも知れないと思えば、嫌でなくなるというのだ。
悟ったわけではないけれど、人を観音様だと思うことは、自分が観音様になれる道なのではないだろうか。
最近、思ったこと。
すべての過去は、あれで良かったのだと思うようになった。
数々の失敗も、出会いも別れも、その道を選んだのも、あの道を選ばなかったのも、すべてあれで良かったのだと思うようになった。
もちろん、あの時、ああすれば良かった、こうすれば良かったというのはあるけれど、
そして今、特別幸せなわけではないけれど、今の僕があるのは、僕の過去のおかげなのだ。
いいものは、うるさくない。月や太陽のように黙っている。
もう二度と会えぬ人たちも黙っている。
耳を澄ませば聴こえて来るかも知れないけれど。
考えてみれば、僕たちの心やたましいは、いつだって黙っている。
本のように、黙っている。
勝手に引用してしまいまいたが、彼の感性がすごく気に入ってます。
彼の歌のほうはかなり人によっては好き嫌いがあるとは思いますが、
彼のような感性をもった人が作った歌という意味合いがある歌であることは間違いない。
勝手に引用したので、
いいなぁと思われた方はぜひ彼の本でも買ってみてください。
CDのほうはユーチューブで確認して・・・・もしよければですが(^_^;)
1月31日(月) 暴論その2
なんで私がこんな暴論を書こうとするかといえば、
先日、私の友人のご子息が家を建てるそうで、彼は反対をしたのだが、
どうしても建てたいというので、しょうがなくしぶしぶ了承したという話を聞いたからです。
何故友人が反対をしたのかというと、
彼のほうにはこれから空くであろう家が2軒あり、
息子さんの嫁さんのほうにも1軒あるのです。
それが両方とも空き家になるのにどうしてこんな不安定な時代に住宅ローンとはいえ、
借金を負うのだという親の心配も理解できるのです。
CMやらなんやらで新しい家の夢をさんざん洗脳されるからそうなるのでしょう。
だからちょっと暴論を吐いてみようというわけなのです。
1.日本の不動産は資産ではない
値上がりするというよりむしろ先々値下がりをするものが資産とはいえないでしょう。
新築のマンションや住宅を購入し、売却しようとした場合、ほとんどの場合購入した価格より安い価格でしか売れないのが現実なのです。
2.ローン
価値の上がるものであれば、ローンを組んだとしてもローンの利率以上の値上がりによって含み資産が大きくなる。
しかし、日本の不動産の場合ほとんどの場合目減りをしていく。
ローンが払い終わってもその価値がとても低いものになっていれば、
何のために支払い続けたのだろうとなってしまう。
ましてや今の日本の状況を考えれば、賃借に出しても借り手がつかず、
キャッシュフローが期待できない。
物件価格が高い場合、賃借に出しても、毎月の返済や維持費が追いつかないような、
不動産に対してローンを組むこと自体がリスクなのではないだろうか。
これから30年、あの日本航空でさえ倒産する時代にどれだけの会社が残っているのだろうか。
昔は、企業30年説と言われたが、今の時代、企業10年説がせいぜいではないだろうか。
ということは毎月入ってくる給与を払ってくれるはずの会社がなくなってしまう。
このリスクも考えたほうが良いとおもうのです。
3.しがらみ
昔は「一国一城の主」という宣伝をしていたようですが、
ローンを組み、住宅を購入してしまえば、
自分の生き方自体をがんじがらめにしばってしまうことになるのではないだろうか。
4.日本という国のリスク
国が持っている借金や崩壊しつつある国民健康保険や年金といった社会保険制度、
永遠に変わりそうもない官僚が支配する仕組み。
いまだに高い給料をとり続け、普段何をやっているのかよく分からない多数の公務員、
(もちろん官僚、公務員の方のなかには、たくさんの素晴らしい方もいらっしゃいますが)
日本の国債のランクが最近下げられたというのは今の日本の現実をよく現していると思います。
経済大国というわりには、あまりにもランクが低すぎる。
預金封鎖になるような可能性は、今のところそれほどでもないだろうけれど、
もしそんなことになれば日本国内にある資産は一瞬にしてほとんど価値を消失する。
そんなことまで考えると資産価値のないような不動産に投資するより、
海外の資産に注目しても良いのかもしれない。
金があれば・・・・・ですが(^_^;)
金のあるひとは海外の資産に注目してはどうかなとも思います。
35年もの住宅ローンを組むのなら、
それも一考ではないのかなぁと思いますが。
まぁ私にはその可能性はありませんけどね。
先日、私の友人のご子息が家を建てるそうで、彼は反対をしたのだが、
どうしても建てたいというので、しょうがなくしぶしぶ了承したという話を聞いたからです。
何故友人が反対をしたのかというと、
彼のほうにはこれから空くであろう家が2軒あり、
息子さんの嫁さんのほうにも1軒あるのです。
それが両方とも空き家になるのにどうしてこんな不安定な時代に住宅ローンとはいえ、
借金を負うのだという親の心配も理解できるのです。
CMやらなんやらで新しい家の夢をさんざん洗脳されるからそうなるのでしょう。
だからちょっと暴論を吐いてみようというわけなのです。
1.日本の不動産は資産ではない
値上がりするというよりむしろ先々値下がりをするものが資産とはいえないでしょう。
新築のマンションや住宅を購入し、売却しようとした場合、ほとんどの場合購入した価格より安い価格でしか売れないのが現実なのです。
2.ローン
価値の上がるものであれば、ローンを組んだとしてもローンの利率以上の値上がりによって含み資産が大きくなる。
しかし、日本の不動産の場合ほとんどの場合目減りをしていく。
ローンが払い終わってもその価値がとても低いものになっていれば、
何のために支払い続けたのだろうとなってしまう。
ましてや今の日本の状況を考えれば、賃借に出しても借り手がつかず、
キャッシュフローが期待できない。
物件価格が高い場合、賃借に出しても、毎月の返済や維持費が追いつかないような、
不動産に対してローンを組むこと自体がリスクなのではないだろうか。
これから30年、あの日本航空でさえ倒産する時代にどれだけの会社が残っているのだろうか。
昔は、企業30年説と言われたが、今の時代、企業10年説がせいぜいではないだろうか。
ということは毎月入ってくる給与を払ってくれるはずの会社がなくなってしまう。
このリスクも考えたほうが良いとおもうのです。
3.しがらみ
昔は「一国一城の主」という宣伝をしていたようですが、
ローンを組み、住宅を購入してしまえば、
自分の生き方自体をがんじがらめにしばってしまうことになるのではないだろうか。
4.日本という国のリスク
国が持っている借金や崩壊しつつある国民健康保険や年金といった社会保険制度、
永遠に変わりそうもない官僚が支配する仕組み。
いまだに高い給料をとり続け、普段何をやっているのかよく分からない多数の公務員、
(もちろん官僚、公務員の方のなかには、たくさんの素晴らしい方もいらっしゃいますが)
日本の国債のランクが最近下げられたというのは今の日本の現実をよく現していると思います。
経済大国というわりには、あまりにもランクが低すぎる。
預金封鎖になるような可能性は、今のところそれほどでもないだろうけれど、
もしそんなことになれば日本国内にある資産は一瞬にしてほとんど価値を消失する。
そんなことまで考えると資産価値のないような不動産に投資するより、
海外の資産に注目しても良いのかもしれない。
金があれば・・・・・ですが(^_^;)
金のあるひとは海外の資産に注目してはどうかなとも思います。
35年もの住宅ローンを組むのなら、
それも一考ではないのかなぁと思いますが。
まぁ私にはその可能性はありませんけどね。