東江俣集落の板碑は三基目がお堂の近くで、四基目が春日神社の近くで観られます、春日神社の近くのものは比較的大きな板碑です、いずれも個人宅の敷地内にあるようです。
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米沢市窪田町東江股の板碑(その1)
板碑は鎌倉時代中期頃から造られ始め南北朝に全盛期を迎え、室町時代そして新しいものとして安土桃山時代のものがありますが、江戸時代には造られなくなります。武士の間に広まった板碑は信仰と深い関係があり、貴族から武士の政権となった鎌倉時代から徳川家康が江戸幕府を開くまでのあいだ戦乱の続く時代で、戦に直接参加する武士達は、常に死と直面していたのです。いつ死ぬかわからない不安、そして生きるためには人を殺さなくてはならない罪の意識、こうした生活感情と社会的背景が当時広まりつつある浄土教の思想と結び付いて武士の間で盛んに板碑が立てられたと考えられるようです。その後豊臣秀吉の天下統一後は社会が比較的安定してきた為、仏に救いを求める意識が薄れ板碑は造られなくなったと考えられているようです。移住した我が家の屋敷神のある道路反対に地蔵堂がありその中に2基の板碑があります。東江俣集落が古くからあったという証でもあります、この集落には他にあと2か所ありました。