6月27日(火)、東田尻区長さんのお話。
昔、学校の裏側の農協には、パン工場がありました。そこで作られるコッペパンは、給食用で、ピーナツバターパンは、それはそれはおいしいものでした。また、有線放送を行っていて、運動会や遠足が中止の時や火事の時には、農協職員が放送したものでした。今でいう、一斉メールのようなものです。
この箱は何だかわかりますか?
です。この箱に、蚕を15頭から20頭入れて、夏休みの自由研究をしたい人に送ったのです。
このセットに、蚕と桑の葉を入れて。
この辺一帯はとてもにぎわって、輸送用のトラックがたくさん並んでいました。蚕桑小の子どもたちも、この小包作りをしました。これが、今でいう郵パックの原点です。この小包をもって、あるテレビ番組で宣伝したこともあります。だから、全国各地から注文が来たのです。
このうちわに、蚕を上族させ、絹のうちわを作りました。
区長様は、大学時代に蚕の研究をなされたということでした。ご自分が勉強した貴重な本も寄付して下さいました。
約40年前のことでしたが、蚕桑小学校の一帯がキラキラと光っていた時代をお話しくださいました。区長様も、キラキラ光っていました。
とても忙しかったけれど、充実していた時代だったということが、手に取るようにわかりました。もう蚕を飼っているお宅は蚕桑にはありませんが、蚕の最盛期の時代がよみがえったような時間でした。貴重なお話、大変ありがとうございました。
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