人間に能力差があることは厳然たる事実である。
私は、いくら努力してもプロ野球選手にはなれなかっただろう。
日本的平等主義は集団の調和が保てることや、極端な貧富の差をつくらないことなどの利点を持っていた。
一方で、能力のある人の足を引っ張り、創造的な人が能力を発揮するのを抑え込んできた。
「天性の大なるものは大成し、小なる者は小成す」という。
それを個性として認め、「のびのびと生きる力」が求められているのではないだろうか。
人間に能力差があることは厳然たる事実である。
私は、いくら努力してもプロ野球選手にはなれなかっただろう。
日本的平等主義は集団の調和が保てることや、極端な貧富の差をつくらないことなどの利点を持っていた。
一方で、能力のある人の足を引っ張り、創造的な人が能力を発揮するのを抑え込んできた。
「天性の大なるものは大成し、小なる者は小成す」という。
それを個性として認め、「のびのびと生きる力」が求められているのではないだろうか。
伝統的な日本の人間関係は、一蓮托生的である(河合隼雄氏)という。
夫婦であれ、友人であれ、一度関係ができると一体となって運命を共にすることを理想とする。
それほどの濃い関係でなくても、何かにつけてその人のことを配慮していなくてはならないところがある。
ところが、欧米から個人主義の考えが入ってきて、これまでの日本的人間関係が、あまりにもベタベタとしていて個人の自由を束縛するので嫌になってきた。
そこで、他人と「関係ができる」のをできるだけ避けたいような傾向を持つようになった。
といって、深まらない人間関係ばかりの中に生きていると、孤独感が強くなってくる。
誰かとつき合いたい、話し合いたい、でもこれまでの知人は敬遠したいとなると、他人とどのような関係を持つべきかわからなくなってくる。
お互いに気軽に接する一方で、個人としては自分を大事にする自覚を持っている、嫌な時にはいつでもノーといえる。
難しいけれど、そんな人間関係のあり方を考えていく必要があるのではないだろうか。
作家のリリー・フランキーは、多彩なアーティストでもある。
人気のコラムリストであり、デザイナー、さらにはラジオのパーソナリティまで務める。
彼がまだ出だしのころ、仕事をもらうために、やったことのない仕事でも「得意です!」と答えて、受けてから勉強したそうである。
観点は異なるが、自分も駆け出しのころから、「無理です!ダメです!できません!をいうな」と先輩から教えられてきたが、まさしく「生産性は態度である」といえよう。
未だに世界を席巻している「マネー資本主義」。
なぜサブプライム問題が繰り返されるのか、資本主義はどうあるべきなのか。
グラミン銀行の創設者ムハマド・ユヌス氏の指摘に答えがあるように思う。
「自由市場主義の考え方は人間の本質をとらえきれていない。
人間が最大の利益を追求する一次的な存在であることを想定している」
「人間は、わくわくさせられるような多元的な存在」だ。
決して利益の追求こそが、人類の幸福をもたらす最良の方法ではない。
そして、その場所こそソーシャル・ビジネスの新しい概念が入り込む余地なのである」