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外断熱が家族を守る 〇 一番大事なのは構造材

  • 外断熱が家族を守る 〇 一番大事なのは構造材
外断熱において、一番大事なポイントは何といっても構造材の選択になるのではないかと思います。

震災時の状況やモデルハウスの解体結果をみてもわかるとおり、その驚異的ともいえる耐震性の背景には、LVL構造材と構造金物を組み合わせた強固な躯体と経年変化に強い性能の保持力が存分に発揮されたものだと確信しています。

一口に構造材といっても、様々な種類がありますが、高気密・高断熱に絶対に欠かすことのできない構造材としての条件があります。

それは、木が乾燥し、収縮することで生じる「くるい」です。

木にはもともと含んでいる水分があるために、乾燥がすすむとやせる・反る・割れるといった性質があるのはおわかりになるでしょう。

現在の技術では、無垢材の場合18%から20%・集成材でも15%位が含水率を下げる限度であり、新築後に乾燥することで、必然的にくるいが生じてしまいます。

外断熱による、レベルの高い高気密・高断熱の住宅では、小さなエネルギーでも全室暖房を可能にし、壁の中に断熱材も入らないために木材は常に空気に触れているのです。

平衡含水率はおよそ15%といわれておりますが、高気密・高断熱住宅の場合、レベルが高ければ高いほど、乾燥する度合いが大きく、含水率は建築後わずかの間に10%位に下がってしまう場合があります。

水分が抜ければ、木材が縮むのは当然で、4寸角の柱の場合、最低でも3ミリから5ミリ程やせてしまうのです。

こうしたくるいは、これまでの建物であればそれほど問題はありませんでしたが、高気密・高断熱住宅では、気密の劣化や断熱の欠損・外壁の支持力の低下にともなう耐震性の問題など、様々な支障をきたす可能性があり、当初の住宅性能が大きく損なわれる危険性があるのです。

私達のそうした懸念を払拭したのが、含水率8%から10%という完全乾燥材LV L構造材なのです。

LV Lは、ニュージーパインの原木を大根の桂剥きの要領で切削し、一枚一枚をしっかり乾燥させ一枚ごとに強度を測定し、基準を満たした材料だけを積層接着することで、一本一本バラツキのない安定した強度を発揮する理想的なエンジニアリングウッドといえます。

LVLの強度は、ヤング係数や曲げ強度・圧縮・引っ張り・せん断どれをとっても他の木材と比べ非常に強く、これらの性能が乾燥材ゆえに長期間にわたり保持されるのが最大の利点です。

さらに見逃せないのが釘の保持力で、引き抜き抵抗は非常に強く、耐震性の要ともいえる耐力壁と構造材の緊結に抜群の力を発揮するのです。

そして、外断熱にとって肝心な断熱材の躯体との緊結力にも大変優れているために、壁の耐力が増して、東日本大震災でも驚異の耐震性が発揮されたのです。

LVLは、四季の変化が激しく高温多湿という日本独特の気候にも左右されず、長期にわたりその強度や寸法は維持されることで、長寿命住宅の構造材として安心してお使いいただける構造材なのです。

また通常の木造在来工法で、一番の弱点とされる柱と梁の接合部には、木材の欠きこみによる断面欠損を最小限に抑え、専用のJK金物などを使用することで、従来の約1.5倍の強度を発揮します。

基礎と柱が接合する主要部には、基礎に埋め込んだアンカーボルトに専用金物を取り付け、柱に直接固定するため、地震時の引張力にもしっかり耐えて柱は抜けないのです。

※専用の接合金物(JK金物・テックワン金物)は他のメッキに比べ非常に錆びにくい処理を施しております。接合金物には、耐蝕性にすぐれたメッキ防錆処理であるストロンジンクJコート処理(メッキはストロンジンク、後処理は有色または黒色クロメート)を使用しております。塩水噴霧による耐久試験では、亜鉛メッキが500時間前後で赤錆が発生したのに対し、ストロンジンクJコート処理は2,000時間にわたる塩水噴霧にも赤錆が発生せず、すぐれた防錆力が実証されておりますので、沿岸にお住いのお客様にも安心してお使いいただけます。

  

この構造材は、広島に本社のある㈱ウッドワンという建材メーカーが製造・販売しており、構造材や専用金物も含めた工法をJWOOD工法・構造材をJWOOD・LVLと呼び、弊社の構造材として約18年前から標準採用しています。

LVL構造材は、コスト面からいっても無垢材や集成材よりも高価で、お客様が受けるイメージも無機質なイメージが強く、当初採用するには大きな抵抗がありました。

しかし、「いつまでも強く、いつまでも快適に」という弊社の家造りのコンセプトを実現するためには、ベースとなる構造材の性能の高さが何より重要であり、見た目のイメージにとらわれずに性能にこだわり選択したのが、LV Lだったのです。

L V Lは、木の持つ特性はそのままに、高い強度と品質、そして8%~10%という驚異的な含水率を実現した完全乾燥材で、木の欠点である、一本ごとのバラツキ・やせやくるいを大きく低減させた次世代の木材であり、高性能住宅のための木材といえるのです。

※ JWOOD・LVLは、JAS(日本農林規格)の認定を受け、JWOOD・EX(防蟻処理剤)は優良木質建材として(財)日本住宅・木材技術センターよりAQ認証を受けております。(独)土木研究所にて、阪神大震災で観測された地震波を再現し実施した日本初の3階建の住宅の振動台実験でも構造躯体への損傷はほとんどありませんでした。



外断熱が家族を守る 〇 築16年の解体結果検証

  • 外断熱が家族を守る 〇 築16年の解体結果検証
今年の1月に、16年の長きにわたり、多くのお客様にご愛顧いただいた利府のモデルハウスを建替するため、解体工事を実施しましたのでその時の様子も説明させていただきます。

解体にあたり、私が一番気になっていたのが気密性能の劣化状況で、築16年経過した建物の気密はどの位劣化するものだろうとの思いから気密測定を実施しました。

新築当時は、初めてのモデルハウスということもあり、これでもか~というくらい、念入りに大工さんが気密工事を施工してくれたおかげで0.1という素晴らしいC値でした。

多分、16年たっても1.0は余裕で切るだろうと期待しておりましたが、測定結果をみてビックリしました。

ナント0.3という驚異的な数値が計測され、測定に立ち会った社員から思わず「お~すげえ」
との声があがりました。



モデルハウスということで、実際に生活をしていないということも多少関係しているかとは思いますが、それを差し引いてももの凄い数値であることは間違いなく、まさしく驚異的な数値だったのです。

さらに、驚いたのが構造躯体の状態でした。

キッチンなどの設備機器を取り外し、内装下地の石膏ボードをはがす作業から工事は始まりましたが、ボードも新品同様ではがすのも一苦労でした。

そして、構造をあらわにしてこれまたビックリ。

築16年も経過し、あれほどの地震に遭遇したにもかかわらず、LVLの構造材には、一切割れやくるい・やせなどなかったのです。

もちろん、結露痕(結露が発生した痕)もなければ、カビも発生しておらず、16年という長い年月の間、綺麗な姿のままでその性能を保持続けていてくれたのです。

その後、構造材の含水率や寸法の測定・釘・ビスの錆の確認及び引き抜き検査・断熱材や気密テープの劣化状況など様々検証いたしましたが、構造にしても、気密や断熱にしても、新築当初の状態を維持し、全くといっていいほど劣化のない状態でした。





※ この綺麗な構造の姿をお客様にもお伝えしたく、急遽、解体現場の見学会を実施しましたが、おそらくは全国でも初めてだったと思います。

こうした強固な構造やカビすら生えていない壁体内は、解体業者の職人さん達も初めての経験のようで、「こんな建物見た事ねえ~」と皆さんがびっくりなされ、「はがれねえ~。」「抜けねえ~。」という声を連発し、最後に重機にて壊す時などは、大型のユンボが何度も何度も持ち上がりひっくりかえるほどで、「何でこの家はこんなに強いんだ~」とあまりの頑丈さに驚いておりました。



「いつまでも強く・いつまでも快適」にをコンセプトに、住む人と建物の健康をいつまでも守り50年後も価値ある家造りに取り組んでいる私達ですが、

こうした構造の姿を目の当たりにしたことで、弊社の建物が耐震性はもちろん、気密や断熱を初めとする様々な住宅性能が、長期間にわたり新築時の状態を維持できる建物だということを改めて再認識すると同時に、震災時に得た大きな自信が私の中で確信に変わったのです。

※ 気密性能は、新築時の数値が築5.6年で最低2倍くらいになるといわれておりますが、弊社の建物の場合は、建物そのもの気密の劣化はほとんどなく、劣化を及ぼすのは、サッシや玄関ドアの開閉にともなうパッキンなどの気密部がほとんどですので、数値的には0.3から大きくても0.5前後だと思います。なお気密部材の交換は可能です。




外断熱が家族を守る 〇新たな発見と大きな自信

  • 外断熱が家族を守る 〇新たな発見と大きな自信
〇 新たな発見と大きな自信

震災後は、言葉では語りつくせないほど様々な状況に遭遇し、大きな苦しみや悲しみ・怒りに心が痛み、自身の非力さに打ちひしがれたりもしました。

逆に人の優しさや思いやり・絆に触れ、心が揺さぶられるほどの感動や喜びも多くの方々から頂戴しました。

そうした中、私達が長年取り組んできた外断熱の家造りに、多くの新たな発見を見いだし、大きな自信をもたらしてくれた震災でもありました。

震度6強の大地震に加え、度重なる余震に見舞われたにもかかわらず、内陸部で建築した外断熱の家は、エコキュ―トの倒壊や外壁や内装のひび割れ・基礎モルタルのクラックといった軽度の被害で済みました。

そして、大津波の猛威にさらされた沿岸部においても、RCの建物の直撃を受けた1棟をのぞき、津波にもしっかり耐え抜いたのは、構造躯体にJ・WOODというLVL構造材を使用した耐震構造に最大の要因があると考えています。

※ LVL構造材については、後ほど詳しくご説明させていただきます。

この耐震性の高さが、新たな発見でもあるのですが、従来の認識をはるかに越えるほどの耐震性が弊社の外断熱の家にあることを改めて実感したのです。

通常、建物の耐震性を図る一つの基準になるのが壁倍率で、柱の間に組み込む筋違や、柱の外側一面に張る構造用面材によって壁倍率は決まります。

要するに外断熱だから強いとか弱いとかは計算上は全く関係はなく、私自身もこれまでそう思っておりました。

しかし、震災時における耐震性の高さを様々な角度から検証してみると、家の外側に張り巡らせた発泡ポリスチレンという板状の断熱材と構造躯体とをしっかり緊結させることで、壁の強度が増して、数字には表れない耐震性のアップにつながったのではないかという考え方に到達したのです。

それほどに、この強さは驚異的で、基本的にありえない程の耐震性を今回の震災で発揮したといえるのです。

後ほど、16年経過したモデルハウスの解体時の状況についても説明させていただきますが、解体時の構造の姿をこの目で確認してこの考えは間違いないとさらに確信を深めた次第です。

もう一つの発見も説明したいと思います。

外断熱の建物は、万一津波の被害を受け、家の中に津波が押し寄せてきても、その後の改修工事が、非常にスムーズで費用もかなり軽減されるということも新たな発見でした。

何度もご説明しているとおり、外断熱の場合は床下や壁の中には断熱材が入りません。つまり構造の外側に施工した断熱材はそのままの状態で、補修工事が可能だったのです。

もちろん気密も保たれたままの状態ですので、一番費用をを要する気密・断熱工事の改修が不要だったのです。

津波の影響を受けた床や内壁をはがし、高圧洗浄機で洗浄して、その後消毒をし、十分乾燥させてから、内装工事を実施するだけで短期間のうちに工事が完了することができたのです。

今回のような津波被害が伴うような地震には、もう遭遇しないとは思いますが、温暖化による異常気象で、過去に例のない集中豪雨が、全国で発生している現状の中、少し頭に入れていただきたいと思います。

そして、最後にご紹介させていただきたいのは、震災においてもご家族の暮らしを守れる家だということです。

多くのお客様は避雛所にて生活を送っておりましたが、津波をまぬがれた2階部分で過ごされたお客様も大分いらっしゃいました。

3月も半ばとはいえ、まだまだ寒さが厳しい時期でしたが、断熱性能の高い外断熱の家は、建物自体の持つ蓄熱効果によって、わずかな暖房や、衣服の調整で十分家の中で過ごせたのです。

中には、ご近所や被災なされたご親戚をご自宅に呼び寄せ、2階や小屋裏で共同の避難生活を送られたお客様もけっこういらっしゃいました。

多くの避難所は、体育館や学校の教室で、暖房もままならず、毛布にくるまって過ごさなければならなかった方々が数多くいらっしゃいましたが、津波被害を受けた自宅でも寒さを感じず過ごせたお客様が多数いらっしゃったのは何よりの喜びで、多くのお客様から大変感謝されました。

〇 災害時においても家族を守る家

震災時の状況をご紹介させていただいたので、当時私が全国の工務店さんに向けて発信したメルマガの記事を紹介させていただきたいと思います。

「ソーラーサーキットの家で本当に良かった。」
 
今でこそ口にしなくなりましたが、震災後は家族の誰もが口にした言葉でした。

近い将来、必ず発生すると言われてた宮城県沖地震から、家族の命を守り、健康で快適な暮らしを実現する為に建てたSCの家でしたが、こんなにも早く、しかもこれほどの大震災に直面するとは、予想だにしませんでした。

私達の想像を絶するほどの甚大な被害をもたらした大震災でしたが、津波の被害を受けなかった内陸部の我が家でも、震度6強の地震に2度も見舞われました。

幸いにも写真立てやコップが棚から落ちたくらいの被害ですみましたが、電気や水道・ガスなどのライフラインは完全に止まり、復旧までは1週間を要しました。

当初、寒さに対し、多少の不安もありましたが、何といってもソーラーサーキットの家です。

2~3日は問題ないだろうと思っておりましたが、それ以上となると多少の心配もよぎり、非常用に物置にしまっておいた石油ストーブをスタンバイさせました。

しかし、そうした考えは、取り越し苦労だったようで、結果的に一度も使用する事はありませんでした。

3月とはいえ、外はまだまだ寒い日が続いていたのですが、家の保温性の高さと蓄暖の余熱効果もあり3日間は、20度を下回る事はありませんでした。

その後も、家族が多いせいもあってか、18度前後をキープし、衣服を調整すれば十分な暖かさを保ち、最終的にリビングの室温が一番低かったのが6日目早朝の15.6℃でした。(その日の朝の最低気温は-1℃)

気になる換気も、窓を開けて空気の入れ替えを何回か行いましたが、建物自体の輻射熱によって室温は変わらず、まったく問題のないレベルでした。

その間、多くの親戚や知人が訪れましたが、塗り壁やクロスの割れひとつない家の頑丈さと無暖房にもかかわらず十分な暖かさを保つソーラーサーキットの家に、来る人、来る人が驚いていました。

今回の震災では、水や食料・ガソリンの確保に奔走したり、わずかなお湯で体を拭いたり、笑うに笑えないトイレでの失敗など様々な経験をさせられました。

そして、多くの不安やストレスを抱えながらの生活を家族の誰もが余儀なくされましたが、度重なる余震の恐怖の中、いてつく寒さを感じる事なく、わずかなローソクの灯りのもと、家族が寄り添い、協力しあい、明るく暮らせた事が我が家にとって何よりの幸せでした。

そして改めて想いを強くしたのは、「住み心地のいい家」は災害時においても、家族の生活の支えとなり、大きな頼りになるということです。

そして、こうした時に誰もが見失いがちな人に対しての思いやりや優しさを見失わずに、明るく元気で前向きに生きられるという事は何より大事であって、家族の愛や絆を深める意味においても非常に意義ある事だということを日々痛感しています。

まだまだ、復興への道は険しく毎日が苦労の連続ですが、私達が取り組んでいるソーラーサーキットの家造りは、震災時においても家族の暮らしをしっかり守る家だと今回の地震で、さらに思いを深めました。







外断熱が家族を守る 〇 震災で証明された確かな家造り

  • 外断熱が家族を守る 〇 震災で証明された確かな家造り
宮城県の東日本大震災における住宅の被害は、全壊82,999棟・半壊155,129棟・一部損壊224,195棟にも及び、言うまでもなく甚大な被害をもたらしました。

特に被害が大きかったのは、大津波が襲ってきた沿岸部地域で、弊社で建てさせていただいたお客様も多数いらっしゃいました。

震災直後は、電話やメールが一切つながらず、翌日から、出勤可能な社員が総出でお客様の安否と建物の被害状況を確認するために奔走したことが昨日のように思い起こされます。

津波被害の大きかった地域は、どこも想像を絶するほどの悲惨な状態で、どこがどこだか全くわからず現場にたどり着くのがやっとという状況でした。

そうした中、夕方事務所に真っ黒な顔をしてヘトヘトになって戻ってくる社員から、次々と驚くべき報告がなされたのです。

5メートルも10メートルもの津波を受け、街のほとんどの建物が流失した地域にもかかわらず、弊社の外断熱の家だけが、大地震と津波の猛威に耐え残っているというのです。











「社長~名取の〇〇さんの家が残っていました~」

「東松島の〇〇さんの家もありました~」

「女川の〇〇さんの家も耐えてました~」

ほかにも多くの地域で弊社の建てた外断熱の家が津波に堪えていてくれていたのです。

結果、津波被害を受けた弊社が建てた150棟余りの外断熱の家で、家ごと流されてしまった家はわずか一棟だったのです。

その一棟の建物はRCの大きな建物の直撃を受けたのですが、後日500メートルも離れたところで、ほぼ原形を保ちまっすぐ残っていたのです。

そして、お客様が家の中から津波に浸からなかった家財道具や思い出の品を運び出すことができたというのです。

※ ありがたい事に、このお客様も、この春ようやく移転用地の造成が終わり、ご両親の住む家とご自身の住まわれる家の工事が始まりました。

その報告を受けて思わず

「うちの建物はやっぱり凄い。これまでの家造りは間違いなかったんだ。」

との思いがこみ上げ、連絡の取れないお客様もいらっしゃる中、不謹慎ではありましたが涙が止まりませんでした。

〇 応急処理にあけくれた毎日

津波によって、床下や床上浸水の被害を受けたお客様も多数いらっしゃいました。

床上浸水といっても、被害は甚大でその多くが1メートルから2メートルの床上浸水の被害を受けました。

車や材木・ガレキがぶつかり窓が破られ、津波が室内に押し寄せ大きな被害をもたらしたのです。

当然、家具や電化製品・家中にあるものすべてが、使うことのできない悲惨な状態となりました。

ガスや電気・水道のライフラインも完全に止まり、次々と襲ってくる余震の中、多くのお客様は避難所生活を余儀なくされ、私達は、ガラスで破られた家に不審者が入らぬようにコンパネやボードを持ち込み、窓を塞ぐ作業に追われました。

その後、津波で被害を受けた50件あまりの住宅の改修工事に、社員と協力業者一丸となって必死に取り組みましたが、津波で荒らされた室内は、どこから手をつけたらいいかわからない状況の現場が多く、しかも息ができないほどの異臭が立ち込めていたのです。

「これは、早く処理をしないと家が腐れてしまう」との思いが頭をよぎりました。

カビや腐朽菌の増殖が早まるのではとの不安にかられ、それからというものは時間との闘いでもありました。

資材の調達や職人さんの手配に窮する中、それこそ全員が不眠・不休で復旧作業に明け暮れる毎日でした。

しかし、こうした大変な状況にあって、ハウスメーカーやローコストビルダー・他県からきた多くの造り手が、被災なされた方々の建替え受注を得るために、被災地にプレハブの事務所を次々と建てる姿をみて、何ともやるせない気持ちとあせりのような複雑な思いが交錯していた自分がいたのも事実でした。

そのたびに、今私達がやらなければならないのは、お客様が一日も早く以前の生活を取り戻すことだと、自分にも社員にも言い聞かせて、復旧作業に取り組む毎日だったと思います。

外断熱が家族を守る 〇 津波にも耐える家

  • 外断熱が家族を守る 〇 津波にも耐える家
震災当時は、会社のPRではと誤解を受けるため、なかなかご紹介できなかったのですが、震災時の弊社で建てた建物についてご説明させていただきます。

被災を受けた方々にとりましては、複雑な想いをいだく方もいらっしゃることとは思いますが、これから真剣に家づくりを考えているユーザーの皆様に少しでもお役に立てればという想いからの掲載ですので、何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げます。

この画像は東日本大震災の津波により大きな被害を受けた若林区の藤塚という地区で、一棟だけ流されずに残ったI様邸です。



※ 当時は、地元の方々に「奇跡の一棟」と呼ばれ、日経ホームビルダーにも掲載されました。



藤塚地区は、100件程の世帯が暮らす地域でしたが、家のみならず街全体が、大津波に一瞬のうちに流されてしまいました。

そんな中、I様の家だけが地震と津波の猛威に何とか流されずに耐えたのです。

I様は

「地盤も改良し、基礎も頑丈にしたから、大きな地震がきても大丈夫と思っていたが、これほどの津波でも流されなかったとは」

そして

「地震の後は、避難所をはじめ、何件もの親戚や知人の家に泊まらせてもらったが、SCの家の住み心地の良さを改めて痛感した。社長!おらいの家は最高だった!いい家を建ててもらって本当にありがとう。自信をもってこれからも頑張れ」

と当時、涙ながらにおっしゃっていただきました。

本来、私のほうが励まさねばならない立場だというのに、逆にこちらが元気をいただいたことを昨日のことのように思いだします。

震災後は、大変な日々の連続でしたが、I様の言葉を励みに何とか頑張ることができたと思います。

その後、藤塚地域は災害危険区域に指定され、I様の住まいも解体を余儀なくされましたが、震災から4年半を経て、今泉地区の集団移転用地にて、ご自宅の再建を果たしました。

今度の住まいも、弊社の「ソーラーサーキットの家」をご用命いただき誠に感謝に堪えません。

I様本当にありがとうございました。