〇 終の棲家にふさわしい住まい
平成16年8月に入居し、早や12年を迎えようとしている。
完成したのは、暑い盛りで、例年になく猛暑が続いた中での引っ越しであった。
エアコンもつけていないのに家の中が涼しかったあの感動を今でも思い出す。
車椅子の世話になっていた、年老いた母との同居だった。
玄関とアプローチの段差には車椅子でも通れるように板を渡してもらった。そんな母もソーラーサーキットでの暮らしは大満足だったようで、毎日笑顔で過ごしていた。
そして3年後その母を見送った。
東日本大震災では、震度6強の本震に加え、度重なる余震に幾度も襲われ、大きな被害を心配したが、これといった異常はなく、この家が私達の生活をしっかりと支えてくれた。
そして今、老齢の夫婦2人だけの生活になった。
真冬の身も凍える日、外から家に足を踏み入れた途端、ほんわか暖かい空気が全身を包んでくれる。12年目を迎えてもこの暖かさは変わらず、何事にも代えがたい幸せを感じる。
段差ももちろんないが、家中の温度差もなく、空気も綺麗な本物のバリアフリー住宅だ。
この家を建てて良かった!とつくづく思う今日この頃である。
今から遡ること10数年前、既に求めてあった土地へ終の棲家を建てると転住を決心した。
住宅展示場めぐりが始まった。何か所目かでソーラーサーキットなる家を見つけた。
これまで、太陽熱温水器、太陽電池を設置し、その恩恵を受けていたこともあり、当時ソーラーなる言葉に大きな関心を持っていた。
床下から小屋裏まで隅々まで案内され、熱心な説明を受けた。
他社とは全く違う説明に少しとまどったが、理に叶った工法だと直感した。
ソーラーというのは、少々、勘違いだったようだったが太陽光との相性も抜群だったので、ソーラーの名がついた家に太陽光パネルを載せて建てる事になった。
ソーラーサーキットの家にソーラー発電。Wソーラーの家だ。
今でこそ、一般的になったスマートハウスを12年前に建てたのである。
当時、まだそれほど外断熱が、普及していない時期に、名が知れた会社とは言えない大東住宅に依頼して、このソーラーサーキットの家を建てたという事は、私自身この家に賭けたのである。
そのモデルハウスが築16年経って解体し、その構造や気密の検証結果を聞き、当時の私の判断が正しかったと素直に喜びたい。
いずれにしても、夫婦二人の終の棲家として大満足の家であるというのは間違いない。
外から、室内が見えにくいガラスになっているためか野鳥も安心して家の間近まで飛来する。
観察にも最適で冬の間、野鳥の撮影を楽しんでいる。
先日、「今度家を建てる事になって大東住宅にお願いする事にしたよ」
と娘から電話があった
「きっと、大東住宅なら、住み心地のいい、希望通りの家をつくってくれるよ」
といっておいた。
くれぐれもよろしく頼む。
鹿島台K様
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