外断熱が家族を守る 〇新たな発見と大きな自信

  • 外断熱が家族を守る 〇新たな発見と大きな自信
〇 新たな発見と大きな自信

震災後は、言葉では語りつくせないほど様々な状況に遭遇し、大きな苦しみや悲しみ・怒りに心が痛み、自身の非力さに打ちひしがれたりもしました。

逆に人の優しさや思いやり・絆に触れ、心が揺さぶられるほどの感動や喜びも多くの方々から頂戴しました。

そうした中、私達が長年取り組んできた外断熱の家造りに、多くの新たな発見を見いだし、大きな自信をもたらしてくれた震災でもありました。

震度6強の大地震に加え、度重なる余震に見舞われたにもかかわらず、内陸部で建築した外断熱の家は、エコキュ―トの倒壊や外壁や内装のひび割れ・基礎モルタルのクラックといった軽度の被害で済みました。

そして、大津波の猛威にさらされた沿岸部においても、RCの建物の直撃を受けた1棟をのぞき、津波にもしっかり耐え抜いたのは、構造躯体にJ・WOODというLVL構造材を使用した耐震構造に最大の要因があると考えています。

※ LVL構造材については、後ほど詳しくご説明させていただきます。

この耐震性の高さが、新たな発見でもあるのですが、従来の認識をはるかに越えるほどの耐震性が弊社の外断熱の家にあることを改めて実感したのです。

通常、建物の耐震性を図る一つの基準になるのが壁倍率で、柱の間に組み込む筋違や、柱の外側一面に張る構造用面材によって壁倍率は決まります。

要するに外断熱だから強いとか弱いとかは計算上は全く関係はなく、私自身もこれまでそう思っておりました。

しかし、震災時における耐震性の高さを様々な角度から検証してみると、家の外側に張り巡らせた発泡ポリスチレンという板状の断熱材と構造躯体とをしっかり緊結させることで、壁の強度が増して、数字には表れない耐震性のアップにつながったのではないかという考え方に到達したのです。

それほどに、この強さは驚異的で、基本的にありえない程の耐震性を今回の震災で発揮したといえるのです。

後ほど、16年経過したモデルハウスの解体時の状況についても説明させていただきますが、解体時の構造の姿をこの目で確認してこの考えは間違いないとさらに確信を深めた次第です。

もう一つの発見も説明したいと思います。

外断熱の建物は、万一津波の被害を受け、家の中に津波が押し寄せてきても、その後の改修工事が、非常にスムーズで費用もかなり軽減されるということも新たな発見でした。

何度もご説明しているとおり、外断熱の場合は床下や壁の中には断熱材が入りません。つまり構造の外側に施工した断熱材はそのままの状態で、補修工事が可能だったのです。

もちろん気密も保たれたままの状態ですので、一番費用をを要する気密・断熱工事の改修が不要だったのです。

津波の影響を受けた床や内壁をはがし、高圧洗浄機で洗浄して、その後消毒をし、十分乾燥させてから、内装工事を実施するだけで短期間のうちに工事が完了することができたのです。

今回のような津波被害が伴うような地震には、もう遭遇しないとは思いますが、温暖化による異常気象で、過去に例のない集中豪雨が、全国で発生している現状の中、少し頭に入れていただきたいと思います。

そして、最後にご紹介させていただきたいのは、震災においてもご家族の暮らしを守れる家だということです。

多くのお客様は避雛所にて生活を送っておりましたが、津波をまぬがれた2階部分で過ごされたお客様も大分いらっしゃいました。

3月も半ばとはいえ、まだまだ寒さが厳しい時期でしたが、断熱性能の高い外断熱の家は、建物自体の持つ蓄熱効果によって、わずかな暖房や、衣服の調整で十分家の中で過ごせたのです。

中には、ご近所や被災なされたご親戚をご自宅に呼び寄せ、2階や小屋裏で共同の避難生活を送られたお客様もけっこういらっしゃいました。

多くの避難所は、体育館や学校の教室で、暖房もままならず、毛布にくるまって過ごさなければならなかった方々が数多くいらっしゃいましたが、津波被害を受けた自宅でも寒さを感じず過ごせたお客様が多数いらっしゃったのは何よりの喜びで、多くのお客様から大変感謝されました。

〇 災害時においても家族を守る家

震災時の状況をご紹介させていただいたので、当時私が全国の工務店さんに向けて発信したメルマガの記事を紹介させていただきたいと思います。

「ソーラーサーキットの家で本当に良かった。」
 
今でこそ口にしなくなりましたが、震災後は家族の誰もが口にした言葉でした。

近い将来、必ず発生すると言われてた宮城県沖地震から、家族の命を守り、健康で快適な暮らしを実現する為に建てたSCの家でしたが、こんなにも早く、しかもこれほどの大震災に直面するとは、予想だにしませんでした。

私達の想像を絶するほどの甚大な被害をもたらした大震災でしたが、津波の被害を受けなかった内陸部の我が家でも、震度6強の地震に2度も見舞われました。

幸いにも写真立てやコップが棚から落ちたくらいの被害ですみましたが、電気や水道・ガスなどのライフラインは完全に止まり、復旧までは1週間を要しました。

当初、寒さに対し、多少の不安もありましたが、何といってもソーラーサーキットの家です。

2~3日は問題ないだろうと思っておりましたが、それ以上となると多少の心配もよぎり、非常用に物置にしまっておいた石油ストーブをスタンバイさせました。

しかし、そうした考えは、取り越し苦労だったようで、結果的に一度も使用する事はありませんでした。

3月とはいえ、外はまだまだ寒い日が続いていたのですが、家の保温性の高さと蓄暖の余熱効果もあり3日間は、20度を下回る事はありませんでした。

その後も、家族が多いせいもあってか、18度前後をキープし、衣服を調整すれば十分な暖かさを保ち、最終的にリビングの室温が一番低かったのが6日目早朝の15.6℃でした。(その日の朝の最低気温は-1℃)

気になる換気も、窓を開けて空気の入れ替えを何回か行いましたが、建物自体の輻射熱によって室温は変わらず、まったく問題のないレベルでした。

その間、多くの親戚や知人が訪れましたが、塗り壁やクロスの割れひとつない家の頑丈さと無暖房にもかかわらず十分な暖かさを保つソーラーサーキットの家に、来る人、来る人が驚いていました。

今回の震災では、水や食料・ガソリンの確保に奔走したり、わずかなお湯で体を拭いたり、笑うに笑えないトイレでの失敗など様々な経験をさせられました。

そして、多くの不安やストレスを抱えながらの生活を家族の誰もが余儀なくされましたが、度重なる余震の恐怖の中、いてつく寒さを感じる事なく、わずかなローソクの灯りのもと、家族が寄り添い、協力しあい、明るく暮らせた事が我が家にとって何よりの幸せでした。

そして改めて想いを強くしたのは、「住み心地のいい家」は災害時においても、家族の生活の支えとなり、大きな頼りになるということです。

そして、こうした時に誰もが見失いがちな人に対しての思いやりや優しさを見失わずに、明るく元気で前向きに生きられるという事は何より大事であって、家族の愛や絆を深める意味においても非常に意義ある事だということを日々痛感しています。

まだまだ、復興への道は険しく毎日が苦労の連続ですが、私達が取り組んでいるソーラーサーキットの家造りは、震災時においても家族の暮らしをしっかり守る家だと今回の地震で、さらに思いを深めました。







この記事へのコメントはこちら

以下のフォームよりコメントを投稿下さい。
※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。